No Rose without a Thorn

03.Name of Me, Name of You


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「歩けるか?」
「……なんとか……」
 けだるげな台詞と、まだおぼつかない足取り。部屋からずっと、俺の腕に寄りかかって、なんとか歩いている……という状態である。ただでさえ脚を動かすのが億劫だというのに、絨毯を敷き詰めたホテルの廊下ときては、余計に歩き難いのだろう。生まれたての子羊のよう、というのはこのことか、と妙に納得しつつ、風澄に頼られるのは結構嬉しかったりする。事情を知らない人間が見たら、身体の調子が思わしくないようにも見えるかもしれないが。……いや、むしろバレバレか。
「そんなに異常にたくさんしたわけでもないのになぁ」
「……どこがよ……」
 真っ赤になりながら彼女は小さな声で抗議する。
 まぁ、そうかもしれない。
 なにしろ風澄は俺の倍は軽くイってたし。
「あれぐらい慣れただろ?」
「どこが『あれぐらい』なのよ……」
 表情こそげっそりとしてはいるものの、肌は睡眠と栄養を十二分に摂ったかのようにつややかである。
 風澄も心底満足してくれたってことで。
「じゃ、風澄が慣れるように今夜も頑張るか」
「……!?」
 彼女の表情を形容するならば……呆気に取られたような顔。しかも目が点、更に白黒している。そして二の句が告げない……と言ったところか。どれもあてはまるのに、それでも可愛く見えてしまうあたり、俺も重症である。
「なにしろ、やっと解禁だし」
「私はお魚っ!?」
「ああ、アユとかヤマメとかイワナとか? 風澄は魚っていうイメージじゃないな」
「……ボージョレ・ヌーヴォー?」
「飲めないだろうに」
「うー、飲めないことはないもん。『嗜む程度』は大丈夫だってば!」
「そうかぁ? 前にぶっ倒れてたじゃん」
「ううう……」
 どうやら風澄は、あの夜のことは殆ど憶えていないらしい。自分ではわからない以上、情報源は俺の言葉しかないわけで、しかも、それすら正確な情報かどうか確かめようがないのだから……自分がどんな醜態を晒したのか、想像を巡らせてしまうのだろう。こんな状況で開き直れるようなタイプではないしなあ。口ごもるのも当然か。
「美味いと思わないんだったら無理すんなよ。飲まされる席なんか行かないだろ?」
「うん……でも、どうしてだかわからないけど、お酒に強いと思われがちなの。見た目の所為なのかしら、苦手だって言っても信じてもらえなかったりして、何かっていうと勧められちゃうのよねえ……」
「酒と煙草は似合う奴ほど苦手っていうパターンが多いもんなあ」
「私、まさにその典型例だわ……どっちも大の苦手なのに」
 よほど鬱陶しい思いをしたことがあるのだろうか、彼女は心底深々とため息をついた。
 俺のほうはと言えば、酔わないことはないにしろ、少なくとも、ほとんど顔に出ないので、酒豪だの底なしだのウワバミだの枠だのという名を欲しいままにしていたりする……いや、別に要らんが、そんなもん。そんなわけで、風澄の感覚はさっぱりわからないのだが、世の中多少は飲めたほうが楽だということは想像に難くない。なお、後者に関しては、俺も風澄も断固たる嫌煙家である。
「でも、昂貴はお酒に強いのよね? やっぱり男性だからかな」
「俺んとこは両親とも酒に強い家系なんだよ。みんな、幾ら飲んでもけろっとしてるし」
「ううう、その体質、ちょっとわけて欲しいわ……」
「こればっかりは、アルコール分解酵素に左右される問題だからなぁ」
「そうなのよねえ……わかってはいるんだけど」
 多少は慣れもあるけれど、あの夜の風澄を思い出す限りでは、どうも無理そうだ。そもそも味からして嫌いだと言っていたから、ひょっとしたら、自己防衛のために身体が受け付けないのかもしれない。
「でもさ、どっちにしろ、味は好きじゃないんだろ?」
「うん、正直なところ、美味しいと思ったことはないの。だから、飲めなくても一向に構わないんだけど、お酒の席で断るのって、少し気まずいでしょ。ちょっと嫌な言い方だけど、お酒が飲めたら便利だったのになぁって思ったことは結構あるのよね」
「ああ、むしろ礼儀の一環として?」
「そんな感じかな。そういう考え方も、そういう状況に陥らなきゃいけないのも、なんかおかしいとは思うんだけどね」
 まぁ、一緒に飲めないという意味ではひとつ楽しみが減ってしまって残念なような気もするが、紅茶とコーヒーが好きだという点は共通しているし、なにより、風澄と一緒に居るようになってから、自分のアルコールへの執着の薄さに気づいた。
 ビールや日本酒はともあれ、ワインは結構好きなつもりでいたから、チーズに合わせて楽しむことも少なくなかったのに。
 なんだ、その程度だったのか……と、自分で自分が不思議なほどだ。
「それじゃあ、昂貴のおうちは、ご家族で夕食の後にお酒を飲んだりするの?」
 ただでさえ広いホテルの端のほうの部屋から今の風澄の歩調にあわせて暇つぶしの散歩のような足取りで歩いてきて、やっとエレベーターホールに着いた頃、風澄が問うた。
「まったく無いわけじゃ無いけど、そんなにはないな。良いワインが手に入った時くらいか。みんな、飲めるには飲めるし強いけど、結局はコーヒーや紅茶や緑茶のほうが好きなんだよなぁ、うちって」
「あ、うちの家族もそう」
「「ティータイム大好き一家!」」
 タイミングを合わせたわけでもないのに重なった声に、思わず笑ってしまう。
 家族の職業とか、この大学に来るまでの学歴とか、違うことも多いけれど、やはり、どこか似たところがあるのかもしれない。
 バロック時代の美術だとか、イタリア料理だとか、鮮やかな色だとか、趣味嗜好から、本気の相手との恋愛をしたことがないとか、そんな悲しい面も含めて……。
「実家にいた時、家族揃ってのティータイムが楽しみだったなぁ。私がひとり暮らしを始めて、下の兄も留学しちゃったから、家族全員っていうのは殆どなくなっちゃったけど」
「じゃあ、今度の盆が楽しみだな」
「あ、そうか……そうだね。そろそろ、帰らなきゃいけないんだ……」
 どこか沈んだ彼女の口調に、言った俺のほうが落ち込みそうだ。
 ……言わなきゃ、良かったかな。少しでも寂しいと思ってくれるなら嬉しいけれど、やっぱり、離れる不安もある。知り合った頃に較べれば相当親しくなったとは言え、不確かな関係であることは、変わりないから。
 今もし離れたら、風澄は、俺のことなんて忘れちまうんじゃないだろうか……。
「……まぁ、まだしばらくあるけどさ」
 まだ八月になったばかりだ。中旬までは、しばらく時間がある。その間、こうして一緒にいられるだけ、充分じゃないか。
 今はもう、遠くから彼女を想うだけではないのだから……。
「そういえば、火澄兄は帰ってくるのかなぁ」
「火澄さんって、下の兄貴だよな。澄んだ火って書いてホズミだっけ?」
「うん、そう。初対面の人だとね、まず絶対にホズミって読んでもらえないみたい。ヒズミとか、カスミって読まれちゃうんだって」
「そりゃあ読めんだろうな、『火澄』で『ほずみ』じゃ」
「でね、内心で大笑いしながら、『残念ながら、カスミは僕じゃなくて妹です』って、真顔で言うんだって! おかしいでしょ?」
「って、風澄の兄貴が!? うわー、見てみてぇ!」
 俺は風澄の家族の顔を知らないけれど、風澄から想像するに、整った顔立ちであることは間違いないだろう。風澄と同じような外見でそんなことを言うのかと思ったら、思わず笑ってしまった。なかなかおもしろい人のようだ。
 って言うか素朴な疑問なんですが、一人称がボクなんですか、それともギャグだからですか。ちょっと聞くのが怖かったり……いやギャグだということにしておこう。うん。
「まぁ、うちの家族の場合、初対面でちゃんと読んでもらえたためしはほとんどないんだけど。例外は母だけね。眞澄じゃ間違えようがないから」
「上の兄貴、澄んだ水でミズミさんだよな? それなら結構読めそうだけど」
「あぁ、水澄兄はそうかも。読めないっていうよりは、なんて読むんだろうって考え込んじゃう人が多かったかな。で、見当をつけて読んだりして。父に至っては、見当もつかないみたいだけど」
「大地の地に、大洋の洋で『地洋(ちひろ)』だっけ? 珍しい名前だよなあ。火澄さん以上に読めんだろう、それは」
「読めないだけなら説明すれば済むけど、小さい頃は、読み方がわかってからのほうが大変だったみたい。小さい頃とか、女の子みたいだってからかわれたこともあったって、前に苦笑しながら話してたし」
「あぁ、子供はなぁ……」
 悪意がないというか、悪意に自覚がないというか。無邪気なぶん残酷というやつだな。俺は弟が居るし、実家の隣には弟の幼馴染みでもある姉弟が居たから、昔からよくこの三人の面倒を見ていたこともあって、子供は嫌いじゃないし、小さい頃にそんな理不尽な思いをした記憶も、させたつもりもないけど……そんなの、不可抗力だよな。自分で選んだわけでも、自分に責任があるわけでもないし。言われても困るだろう。
 そういえば、知り合った日に、風澄が言ってたな。『宗哉と、色素が薄いところを理解し合えた』って。……小さい頃、何かあったんだろうか。あったんだろうな。……どうせ、俺は黒髪黒目だよ。あぁ、肌は白いか。だけど、ずっとスポーツをやってたから、年中日焼けとはお友達状態で、そんなことがコンプレックスになることもなかった。まぁ、屋内競技のほうが性に合ってたから、成長するにつれ、自然とそっちに傾いていったし、院に入ってからは大学時代に所属していた部に時々顔を出す程度だったから、今はすっかり、親譲りの、生来の肌色だけど。
「でもねえ、そんな苦労をしたなら、どうして子供の名前までややこしい読み方の名前にするのかしらねえ、うちの両親は……まぁ、書くのは楽だけど……」
「俺は好きだけどな、風澄の名前」
 やばい、思わず『好き』とか言っちまった。……まぁ大丈夫か、話題は名前だし。
「……そう? 私は、そんなイメージじゃないと思うんだけどな」
「綺麗だと思うよ。澄んだ風なんて、ぴったりじゃん」
「んー、そう言ってもらえるのは嬉しいかな。最華は、『名が体を表しすぎ!』なんて言うけど。でも私は、ぴったりって言ったら、昂貴のほうが似合ってると思うなぁ」
「偉そうで?」
「……、否定はしないけど」
「しろよ、そこは!」
 知り合った頃は、身体を重ねてからも、どこかに緊張の糸が張っていたのに、いつの間にか、こんな掛け合いも、あたりまえになってしまった。……正味半月以上をふたりっきりで過ごせば、それも当然か。
「昂貴の名前は、読み方、間違えようがないね」
「確かにそうなんだけど、俺の場合は、字がなぁ……『昂』を『昴(すばる)』って書き間違われることが結構あるんだよ」
「ああ、確かに、それは間違えやすそう」
「風澄は名字も読み間違えられるんじゃないか?」
「そうねえ、学校の人だと、やっぱり知ってる人も多いのか、間違えられたことは少ないけど、初対面だと、やっぱり『イチガヤさん』って呼ばれちゃうかな。出席とか、音だけで聞いてる場合、字を見てびっくりする人もいるみたい。音だけなら、ごく普通の名前だから」
「よりによって、東京にあるもんなぁ、『市ヶ谷(いちがや)』が……『一谷』ならまだしも、『市谷』と来たら、やっぱり『イチタニ』じゃなくて『イチガヤ』って読んじまうよな、普通は」
 俺は、風澄の名前を浅井和之という腐れ縁の友人に教えてもらったので、どう読んだらいいのか首を傾げることも、イチガヤさんと呼んでしまうこともなかったけれど……やっぱり、そうでなかったら、わからなかっただろうな。少なくとも、正しく『イチタニ カスミ』とは読めなかっただろう。
「火澄さんは、『イチガヤさん』って呼ばれた場合、やっぱり、真顔で『残念ながら、イチガヤは僕じゃなくて千代田区です』とか言ったりするんだろうか……」
「うわ〜、言いそう言いそう! やだおかしい、あっはははは……!」
 そのシーンを想像したのか、笑い上戸の如くに受ける風澄につられて、俺まで笑ってしまった。……いや、顔は知らないが。きっと、仲が良い家族なんだろうな。風澄の表情を見ていれば、わかる。今度帰省したら、家族写真でも撮って見せ合ったら面白いかもしれない。どれほどの美男美女一家なのか、楽しみだ。
 そして、風澄の爆笑がある程度収まった頃、やっと、下りのエレベーターが到着した。
Line
To be continued.
2005.01.22.Sat.
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