Dolce Vita
06.小さな約束
それから、ふたりで軽めの昼食を摂り、レジュメや内容の最終確認とチェックをしながら、帰省した時に真貴乃に貰った紅茶を飲んだり、受験勉強がてら、イタリア語の復習をしたりして過ごした。……勉強していた場所が寝室のベッドの中だったことは、ご愛嬌と言うべきか、乞うご容赦とでも言うべきか。
* * * * *
夕食は、風澄が率先してキッチンに立ってくれた。メニューは、グリュイエールチーズがたっぷり入った、ベーコンとほうれん草と玉葱のキッシュロレーヌ。それにパン、生野菜とナッツのサラダ、コンソメのスープ。キッシュの台に冷凍のパイシートを使ったこともあり、手抜きかなぁと呟いていたが、初めて作ったとは思えないほど上手に出来ていて、感心してしまった。卵液を使うため、生地が水っぽくなりやすいのに。まぁ、その場合はホイルに包んでトースターで焼けば良いのだが。タルト型ひとつぶん作ったので、さすがにふたりで一度に食べきれる量じゃなかったから、残りは明日の朝のお楽しみ。それにしても、本当に上達したなぁ。オーヴン料理なのに、思ったほど時間はかからなかったし、すごく手際が良くなった。そういえば、いちから風澄にやらせたのは珍しいな。
心尽くしの手料理を堪能していると、彼女が聞いてきた。
「ねえ、河原塚先生って、どんな食べ物が好きなの?」
「は? 教授? なんで?」
「今度の中間発表の最終日の夜にね、みんなで色々持ち寄って、打ち上げをするの。夏だし、お庭でバーベキューをするみたいだから、それに合うものがいいと思うんだけど。それで、なにを持っていこうかなぁって」
「あぁ、あれか。定番の行事だな」
ゼミによってイベントの回数や種類はさまざまだが、学部の河原塚ゼミの場合は、四月の顔合わせ、八月の中間発表、一月の新年会と、年に三回が恒例だ。中でも、夏休み中のプレゼンの打ち上げはメインと言ってもいいだろう。日程は年によって違うが(ゼミ生の人数が違うし、複数回の発表をすることもあるからだ)、だいたい二〜三日程度で、その最終日が打ち上げとなる。学部のゼミに所属する全員が集まる上、開催時期が夏のため、留学前や留学帰りのゼミ生も揃うし(これは西洋美術史学を専門としたゼミであるがゆえに留学先がヨーロッパと相場が決まっているからだけど)、卒業生も何人か招待されるしで、一番の大所帯となる。会場は毎回、教授の家の離れの大部屋。真夏だから、庭でバーベキューだのカレーだのを作ったり、時には花火をやることもある。教授の家は都会の閑静な高級住宅街の中にあるのだが、会場が離れの上、庭は広いし、近所に住んでいるのは親戚ばかりなので、事前に連絡すれば充分なのだ。騒ぎ放題とまでは行かないが、毎回、とても賑やかな会合となっている。他にも、年度末には最高学年のみで打ち上げおよび卒業パーティを開くし、不定期で飲み会をやることもある。人数が人数だから集まりにくいけれど、それなりに交流の機会があるゼミと言って良いだろう。
ただ、幾ら教授の家が広いと言っても、教授は学部と大学院の双方でゼミを受け持っているため、さすがに全ゼミ生というのは大所帯すぎるようで、学部生は学部のゼミだけ、院生は大学院のゼミだけで集まるのが恒例となっている。ゆえに、俺と風澄は、同じ教授に指導してもらっているとは言え、これまでに一度もそういった会合で関わる機会がなかった。それに、学部のゼミは文学部全体で考えても規模が大きいほうだが、院生はもともと人数が少ないから、学年を問わず飲みに行ったり食事に行ったりする機会が多いのだ。わざわざイベントを開くまでもなく、知り合いばかりである。
「そうだな、ワインを持って行けば問題はないだろうけど」
教授はワイン派だし、好みも幅広い。白だろうが赤だろうがロゼだろうが、大抵のものは大丈夫だ。しかもメンバー全員が二十歳以上、更に夏休み中、会場が離れとなれば、徹夜で飲み会の勢いになるのも至極当然の話。特に、文学部に所属する男は少ないから、そのぶん親しくなりやすいし、毎回、ほぼ全員が貫徹で飲み明かすことになる。
「でも、ワインだと、みんなで分け合うのは難しいでしょ? それに、私、お酒のことってあまりよく知らないし。せっかく昂貴に教えてもらったから、お料理でも作って行こうかと思ってたんだけど」
「なにぃ!? 風澄の手料理なんかゼミ生に食わせんでいい食わせんで。もったいない。うちに転がってるワインでも持ってけ、要らないから」
「なに言ってるのよ……」
風澄は呆れた顔で俺を見やった。おまえねえ、男にとっての手料理の魅力ってわかってるか? 初めて風澄に料理を作ってもらったときの嬉しさと言ったらもうもうもう……。エプロン姿も可愛くて好きだし。そうだ、今度キッチンでしようかな。料理中は無理としても、後片付けの最中になだれ込むとか。そして、キッチンでのあれやこれやと言えば、男の夢の代表格が……してくれるわけないか。って、頭の中はそればっかりかよ。我ながら阿呆過ぎるぞ、俺。
「だって、アイツも来るんだろ、杉野琢磨」
「あ、そうね、そういえば」
経済学部のくせに文学部のゼミなんか履修しやがってあの男。わざわざ単位にならない授業を取っているんだから、それなりに勉強は好きだってことなんだろうが、それにしたって鬱陶しい。しかし、河原塚ゼミは昔から人気があるから、うちの専攻の学生だけで定員オーバーしているだろうし、たぶん履修登録はせずに教授に許可を貰って聴講しているんだろうな。風澄目当てか、本当に興味があるのか知らないが。
「うーん、それなら、杉野君の嫌いなものとか」
「って、そんなもん知ってるのかよ?」
スープを飲み、パンをひと齧りして、彼女は首を傾げてしばし考え込む。
「……あ、知らない」
「それじゃ無理だろうが。……って、風澄、仮にも元彼氏の食べ物の好みも知らないのか、おまえは……」
「んー、当時は知ってたかもしれないけど、忘れたわよ、そんなこと。他にもっと大事なことがいっぱいあったし」
うわ……さらっと酷いこと言ってるぞおまえ。
まぁ、杉野は、元彼氏とはいえ、風澄にとっては『友達の延長』だったらしいから、そんなもんか。……たぶん、宗哉の好きな食べ物なら、今でも憶えているんだろうな……。
いや、俺も憶えていないけどな、昔の彼女のことなんて。俺は本当に酷かったので、なんとも言えない。なにしろ相手によっては顔と名前さえ危ういもんなぁ。記憶力は良いほうだと思うんだが。
ちなみに風澄の味覚はひととおり知ってるぞ、うん。
「……俺の好物は知ってるよな?」
「あまり好き嫌いないでしょ」
ふと不安になって聞いてみたが、彼女の返答は非常にあっさりとしたものだった。
いや、確かにそうだけどさ……。好きな食べ物くらい知っておいて欲しいんだけど。俺も数年後あんなこと言われちまうんだろうか……シクシク……。
「えーっと……チーズが好きなのよね? 前に、ゴルゴンゾーラやパルミジャーノ・レッジャーノって言ってたし。今日キッシュに使ったグリュイエールチーズも好きなんでしょ?」
「あぁ、そうか。『大好物は風澄』のときに教えたんだっけ」
前にイタリア語を教えた時の話だ。我ながら、とんでもない方法を使ったもんだと思うけど。あの時は風澄が素直に俺を求めることなんて考えられなかったからな……ちょっと酷いことをしちまったかもしれない。すまん。でも気持ち良かっただろ? あ、風澄真っ赤。
「ちなみに、俺の大好物は変わってないぜ?」
「ううう……食事中にそんなこと言わなくていいからあぁ……」
本当のことなんだけど。わかってんのかな。較べようもないくらいなんだぜ?
「まぁ、イタリアに居た期間が長いから、イタリア料理全般は好きだな。ただ、水気のないパンは勘弁。あれだけはどうしても慣れなかった。オリーヴオイルとかバルサミコ酢とか、あるいはソースやスープに浸したりして食べるものだから仕方ないけど、どうもなぁ。食べられないことはないんだが、やっぱパンは焼きたての柔らかいやつがいいな」
「そんなのあるの?」
「ああ。最初に行った時は知らなかったから驚いてさ。現地人の先輩に説明されて、やっとわかったよ。でも『この美味しさがわからないなんて』とか『アナタもまだまだガイジンね』とか言われてさあ……あったりめーだっつーの」
「そりゃあ、日本人だものねえ」
「まったくだ。そうだな、あとは、甘いもの全般は好きだな」
「そういえば、ハニートーストも、実家から持ってきたお菓子も食べてたわよね」
「もともと甘いものは好きなんだよ。ティータイム好きの家だったし、ほとんど毎日、なにかしら甘いものを食べてたから。ひとり暮らしを始めてからは、研究が佳境に入ると他に構ってられなくてさ、チョコレートとか、簡単に補給できるもので済ませたり。あと、うちの父親が、菓子作りが趣味という妙な一面があって……」
「ええぇっ、お父さまがっ!?」
「そう。なにしろ両親ともに『男子厨房に入らず』なんて言葉とは無縁の家の出だし。ほら、実家から帰った日に作っただろ、ハニートースト。あのレシピも父親が教えてくれたやつなんだ」
「へぇ……」
あの時は少々風澄の地雷を踏んでしまったが、後は引いていないようだ。素直な反応は気を許してくれている証拠だろう。
「こないだ帰った時なんてアイス作ってたし。他にも、いきなりパフェとかクレープとかホットケーキとか作り出したりするんだぜ? しかも手際が良くて、美味いんだこれが。んでもって、また丁度良くパフェに使えそうなグラスが揃ってたりしてさぁ……謎だよなーうちって」
「あ、いいなあ、自家製アイスクリームにパフェ……」
風澄は果物や菓子など甘いものに目がなく、特にアイスクリームが好きなようだ。お気に入りの外国の有名メーカーのものを必ず冷凍庫に入れているほど。今年の季節限定シリーズのひとつがとても好みだとかで、しょっちゅう食べてる。きっと、今日も食後に食べるだろう。俺も好きな味なのだが、別のものを選ぶほうが多い。なぜかって、それはもう、口移しで味見をしたり、同じスプーンで食べさせてもらったりするのが格別で……あれは美味かったなぁ、いろいろな意味で。逆もやったし。しかしどれだけ食べても例によって体重および体型変動はゼロ……。いや、嬉しいけど。
「アイスは知ってるけど、パフェも好物?」
「うん、あのこってり加減がたまらないの」
ハートマークつきでうっとりしてる……おいおい。まぁ、そういう食べ物、好きだもんな。意外にも。それなのに全く太る気配がないということは、たぶん代謝が良く、燃費が悪いんだろう。となれば、あまり空腹のままセックスしないようにしないと可哀相かもしれない。今後は気をつけよう。
彼女も、いずれ太ったりするんだろうか。でも見せてもらった家族写真――実家に帰ったときにお互いに撮って見せ合ったのだ――は、文句なしの美男美女一家だったけど。予想はしていたが、さすが風澄の家族だけあって、五人揃ってる写真は圧巻だった。
前に彼女も言っていたように、風澄は父親似。色素の薄いところは母親似だったが、華やかな美貌は父親譲りだ。男性、しかも二十代の子供が三人も居るというのに、華やかだのなんだのという形容詞は珍妙かもしれないけれど、風澄の父親にはぴったりだ。大企業のトップだの実業家だのと言うよりは、良家の子弟がそのまま父親となったような男性。紳士と言ってもいいだろう。落ち着いた雰囲気を漂わせつつも、華やかで、けれど堅物だったり浮世離れしているようには見えない、不思議な印象だったな。母親は、とてもか細い、か弱い印象で、品の良い立ち姿は、いかにも高い血筋の生まれという印象だった。が、儚げに見えるけれど、中身は大胆不敵だとか。さすが風澄の親……。上の兄は外見は母親似だけど髪や瞳は真っ黒で、下の兄は父親似だけど髪や瞳は明るい栗色だった。聞くところによると、兄二人は中身は真逆だとか。五人とも、違いはあるけどやっぱり目立つ人間ばっかりだよな、あの家族は。
「じゃあ、さっき話した中間発表のご褒美に、プレゼンが終わったらパフェを食べに行こう。どこか行きたい店は?」
「そうねぇ、前に最華と一緒に行ったんだけど、大学の近くにあるお店のパフェは結構美味しかったわよ」
と言って、風澄はメジャーなチェーン店の名前を挙げた。
「あそこ紅茶とコーヒーが不味くないか?」
「うーん、それは確かに」
「やっぱりそっちも美味くないとな。特に希望がなければ、真貴乃に聞いておくよ。それに、その店には行ったことがあるんだろ? どうせなら行ったことがない店のほうがいいよな。どんなパフェがいい?」
「一番好きなのは、生クリームたっぷりの苺パフェ!」
「おいおい……苺の旬は終わったって……」
ちなみに、勘違いしてる奴が多いけど、本来の苺の旬は五・六月。今はハウス栽培のせいで早くなってるけどな。たぶん、クリスマスに合わせるためにそうなったんだろう。昔はクリスマスにショートケーキなんて言語道断だと思っていたが、今や定番だもんなあ。味も年々良くなっているし。
「じゃあ、なにが旬?」
「今ならそうだな、桃、スイカ、メロン、梨、バナナ、巨峰、マスカット……」
「それなら断然、桃。あとね、ブルーベリーとかラズベリーとか好き」
「ベリー系が好きなんだな。了解」
考えてみたら、風澄のお気に入りの今季限定のアイスクリームもベリー系だ。だが、ブルーベリーやラズベリーは、あまり旬のある果物というイメージがない。おそらく栽培方法や収穫方法のためだろう。どうせなら、今の時期でないと食べられないものが良いな。
そういえば、最近できたという、夏が旬の苺の話を聞いたことがある。もしかしたら、それを使ったパフェがあるかもしれない。まずは真貴乃に聞いて、探してみよう。それに、これって、三度目デートにはバッチリな理由じゃないか? 一度目がアレで二度目はホテル帰りだったから、今度こそ……!
「食事は? どうせなら一日出かけようぜ」
「やっぱり、昂貴と一緒ならイタリアンよね」
「オッケー。楽しみにしてろよ?」
「うん、遠慮なく。期待してるね」
屈託のない笑顔。風澄はそういうことに遠慮がちなほうだったけど、俺がなにがなんでも払わせなかったせいか、だんだん慣れてきてくれたようだ。ちなみに、払わせないのは俺の考えでもあり家の考えでもあり。男女平等派のくせに、同世代の学生同士ならともかく、そういうことは女性にさせないほうが良いとかなんとか、母親が言ってたんだよな。うちの父親がさらりと出すほうだったんだろうか、それとも、出してくれなかったから母親が子供には出させようとしてるんだろうか……なにしろ鈍いからなぁ、うちの父は。母親が教育しなおしたのかもしれない。そんなわけで、薫陶を受けて育った俺は恋人のぶんも完全に払う派。今時珍しいかもしれない。別に俺はそんな金遣いの荒いほうじゃないし、前に貯めたバイト代もあるから、これが普通だと思って出してた。だいたい、そういうの出されるより自分を磨いて欲しいよな、そういう相手には。まぁ風澄は磨きどころなんか残ってないほどいい女だけど、なんて。だいたい風澄と俺じゃ同じ学生とはいえ五歳も違うんだから、それくらいしないと男の甲斐性ってものが、なあ?
「あぁ、楽しみー。最近お出かけしてなかったし」
「外出は嫌いなんじゃなかったのか?」
「まぁ、家の中のほうが好きだけど、たまにはお出かけしたいじゃない? でも、今の時期は暑いよね……ううう……それはちょっと嫌だなぁ」
「いつも日傘さしてるもんな」
「真夏の日差しが苦手なのよ。目の色素は薄くないんだけど、全体的に弱いから」
「白人みたいだなあ」
「さすがに、そこまで弱くないと思うけど。でも、サングラスはしたくないのよね。なんか違う意味で似合っちゃって」
「……確かに」
風澄は造形が整っているぶん、サングラスをかけると威圧感が出そうだ。決してガラが悪いという意味じゃないぞ。なんつぅか、芸能人系のオーラが出てしまいそうな感じだな。俺もハマりすぎて怖い型かもしれない。だけどお互いそういうタイプじゃないから、俺たちはしない。そういうのが似合う奴がしたらいいと思う。
「晴れて、あまり暑くない日になるといいなあ……」
なんて言ってる。おいおい、真夏だぞ?
「せっかくだし、目一杯お洒落してくれよな」
風澄はシンプルな服装を好むほうだけれど、一緒に出かけるのだ、どうせなら可愛い格好をした風澄と歩きたい。なにより、俺のために風澄が自分を飾ってくれると考えると、思わずにやけてしまう。
「うーん、そうねぇ……でも、このマンションに置いてるのは、大学に着て行ってるような服ばかりだし。あとは、夏物だと、ワンピが二、三枚くらいかなぁ。それに、昂貴が見たことのない服なんて、もうゼロに近いと思うけど」
「それなら、それも込みでご褒美とか」
「えぇっ、それは駄目! 自分で出すっ!」
慌てて首と手振ってる。なんだ、残念。『男が女に服をプレゼントするのは、それを脱がせたいからだって言葉知ってるか〜?』とか言って、そのままなだれ込もうと思ったのに。いや、まぁ、プレゼントするまでもなく、さんざん脱がせてるけどな、なんて。
でも、いいよなあ、俺好みのコーディネイトした風澄なんて……。俺のためにお洒落してくれると思うだけで嬉しいのに、やばい、想像しただけで頬が緩む……。
「じゃあ、一緒に選ぶ。前にも言ったよな、秋になったら探しに行こうって」
「あぁ、そっか、まだ八月だけど、もう秋物が出てる時期だものね」
「そう。風澄の好きな『ローテローゼ』みたいな、綺麗な赤い色の服」
「変なの選ばないでよ?」
信用ねぇなあ。思わずふたりで笑っちまった。
「いつ行く? 早めがいいよな。プレゼンは土日だから、その後か」
「そうね、日曜日は打ち上げに出ようと思ってるから、月曜日も避けたいな。でも、その後ならいつでも大丈夫」
「その日さ、遅くなるだろ? 迎えに行くから、電話してくれよな」
「ん、お願いね」
俺たちは最近、ほとんど同棲しているようなものだったから、迎えに行くのも、どっちの家に帰るか相談するのも、既に当然のなりゆきだった。ただ、迎えに行くからっていうのは嘘だ。俺は風澄の中間発表を聞きに行くつもりだったから。教授には予定を確認済みで、実は打ち上げにも呼ばれている。とは言え、わざわざ俺から頼んだわけじゃない。ゼミの卒業生の一人として、招待を受けているのだ。まぁ、呼ばれなかったら頼んでいただろうけど。そもそも、風澄と俺が知り合ったきっかけは教授の紹介だったから、彼女の研究の経過を見せようと、気をきかせてくれたんだろうな。まさか教授も、俺たちがこんな関係になっているとは夢にも思うまい。そして、俺の目的の八割は確かに風澄のプレゼンだが、残り二割は虫除けと観察だったりして。でも、まだ風澄には内緒。当日、俺が教授の家に行ったらどんな顔するだろう?
「教授の家からは風澄の部屋のほうが近いけど、どうしようか」
「どっちでも大丈夫よ。うちから昂貴のお部屋だって近いんだし、そのとき決めてもいいし」
「そうだな」
こんな四六時中くっついてて、どうして飽きないんだろう。
やっぱり、これが惚れてるってことなんだろうな。
その日は珍しく夜にはせず、ふたりでベッドに入ってのんびり話をした。
もうすっかり一緒に眠ることには慣れてしまっているのだが、パジャマ越しに感じるぬくもりが、とても心地よかった。
おやすみと囁いてキスをして、同じ夢を見られたらいいなと思いながら。
* * * * *
夕食は、風澄が率先してキッチンに立ってくれた。メニューは、グリュイエールチーズがたっぷり入った、ベーコンとほうれん草と玉葱のキッシュロレーヌ。それにパン、生野菜とナッツのサラダ、コンソメのスープ。キッシュの台に冷凍のパイシートを使ったこともあり、手抜きかなぁと呟いていたが、初めて作ったとは思えないほど上手に出来ていて、感心してしまった。卵液を使うため、生地が水っぽくなりやすいのに。まぁ、その場合はホイルに包んでトースターで焼けば良いのだが。タルト型ひとつぶん作ったので、さすがにふたりで一度に食べきれる量じゃなかったから、残りは明日の朝のお楽しみ。それにしても、本当に上達したなぁ。オーヴン料理なのに、思ったほど時間はかからなかったし、すごく手際が良くなった。そういえば、いちから風澄にやらせたのは珍しいな。
心尽くしの手料理を堪能していると、彼女が聞いてきた。
「ねえ、河原塚先生って、どんな食べ物が好きなの?」
「は? 教授? なんで?」
「今度の中間発表の最終日の夜にね、みんなで色々持ち寄って、打ち上げをするの。夏だし、お庭でバーベキューをするみたいだから、それに合うものがいいと思うんだけど。それで、なにを持っていこうかなぁって」
「あぁ、あれか。定番の行事だな」
ゼミによってイベントの回数や種類はさまざまだが、学部の河原塚ゼミの場合は、四月の顔合わせ、八月の中間発表、一月の新年会と、年に三回が恒例だ。中でも、夏休み中のプレゼンの打ち上げはメインと言ってもいいだろう。日程は年によって違うが(ゼミ生の人数が違うし、複数回の発表をすることもあるからだ)、だいたい二〜三日程度で、その最終日が打ち上げとなる。学部のゼミに所属する全員が集まる上、開催時期が夏のため、留学前や留学帰りのゼミ生も揃うし(これは西洋美術史学を専門としたゼミであるがゆえに留学先がヨーロッパと相場が決まっているからだけど)、卒業生も何人か招待されるしで、一番の大所帯となる。会場は毎回、教授の家の離れの大部屋。真夏だから、庭でバーベキューだのカレーだのを作ったり、時には花火をやることもある。教授の家は都会の閑静な高級住宅街の中にあるのだが、会場が離れの上、庭は広いし、近所に住んでいるのは親戚ばかりなので、事前に連絡すれば充分なのだ。騒ぎ放題とまでは行かないが、毎回、とても賑やかな会合となっている。他にも、年度末には最高学年のみで打ち上げおよび卒業パーティを開くし、不定期で飲み会をやることもある。人数が人数だから集まりにくいけれど、それなりに交流の機会があるゼミと言って良いだろう。
ただ、幾ら教授の家が広いと言っても、教授は学部と大学院の双方でゼミを受け持っているため、さすがに全ゼミ生というのは大所帯すぎるようで、学部生は学部のゼミだけ、院生は大学院のゼミだけで集まるのが恒例となっている。ゆえに、俺と風澄は、同じ教授に指導してもらっているとは言え、これまでに一度もそういった会合で関わる機会がなかった。それに、学部のゼミは文学部全体で考えても規模が大きいほうだが、院生はもともと人数が少ないから、学年を問わず飲みに行ったり食事に行ったりする機会が多いのだ。わざわざイベントを開くまでもなく、知り合いばかりである。
「そうだな、ワインを持って行けば問題はないだろうけど」
教授はワイン派だし、好みも幅広い。白だろうが赤だろうがロゼだろうが、大抵のものは大丈夫だ。しかもメンバー全員が二十歳以上、更に夏休み中、会場が離れとなれば、徹夜で飲み会の勢いになるのも至極当然の話。特に、文学部に所属する男は少ないから、そのぶん親しくなりやすいし、毎回、ほぼ全員が貫徹で飲み明かすことになる。
「でも、ワインだと、みんなで分け合うのは難しいでしょ? それに、私、お酒のことってあまりよく知らないし。せっかく昂貴に教えてもらったから、お料理でも作って行こうかと思ってたんだけど」
「なにぃ!? 風澄の手料理なんかゼミ生に食わせんでいい食わせんで。もったいない。うちに転がってるワインでも持ってけ、要らないから」
「なに言ってるのよ……」
風澄は呆れた顔で俺を見やった。おまえねえ、男にとっての手料理の魅力ってわかってるか? 初めて風澄に料理を作ってもらったときの嬉しさと言ったらもうもうもう……。エプロン姿も可愛くて好きだし。そうだ、今度キッチンでしようかな。料理中は無理としても、後片付けの最中になだれ込むとか。そして、キッチンでのあれやこれやと言えば、男の夢の代表格が……してくれるわけないか。って、頭の中はそればっかりかよ。我ながら阿呆過ぎるぞ、俺。
「だって、アイツも来るんだろ、杉野琢磨」
「あ、そうね、そういえば」
経済学部のくせに文学部のゼミなんか履修しやがってあの男。わざわざ単位にならない授業を取っているんだから、それなりに勉強は好きだってことなんだろうが、それにしたって鬱陶しい。しかし、河原塚ゼミは昔から人気があるから、うちの専攻の学生だけで定員オーバーしているだろうし、たぶん履修登録はせずに教授に許可を貰って聴講しているんだろうな。風澄目当てか、本当に興味があるのか知らないが。
「うーん、それなら、杉野君の嫌いなものとか」
「って、そんなもん知ってるのかよ?」
スープを飲み、パンをひと齧りして、彼女は首を傾げてしばし考え込む。
「……あ、知らない」
「それじゃ無理だろうが。……って、風澄、仮にも元彼氏の食べ物の好みも知らないのか、おまえは……」
「んー、当時は知ってたかもしれないけど、忘れたわよ、そんなこと。他にもっと大事なことがいっぱいあったし」
うわ……さらっと酷いこと言ってるぞおまえ。
まぁ、杉野は、元彼氏とはいえ、風澄にとっては『友達の延長』だったらしいから、そんなもんか。……たぶん、宗哉の好きな食べ物なら、今でも憶えているんだろうな……。
いや、俺も憶えていないけどな、昔の彼女のことなんて。俺は本当に酷かったので、なんとも言えない。なにしろ相手によっては顔と名前さえ危ういもんなぁ。記憶力は良いほうだと思うんだが。
ちなみに風澄の味覚はひととおり知ってるぞ、うん。
「……俺の好物は知ってるよな?」
「あまり好き嫌いないでしょ」
ふと不安になって聞いてみたが、彼女の返答は非常にあっさりとしたものだった。
いや、確かにそうだけどさ……。好きな食べ物くらい知っておいて欲しいんだけど。俺も数年後あんなこと言われちまうんだろうか……シクシク……。
「えーっと……チーズが好きなのよね? 前に、ゴルゴンゾーラやパルミジャーノ・レッジャーノって言ってたし。今日キッシュに使ったグリュイエールチーズも好きなんでしょ?」
「あぁ、そうか。『大好物は風澄』のときに教えたんだっけ」
前にイタリア語を教えた時の話だ。我ながら、とんでもない方法を使ったもんだと思うけど。あの時は風澄が素直に俺を求めることなんて考えられなかったからな……ちょっと酷いことをしちまったかもしれない。すまん。でも気持ち良かっただろ? あ、風澄真っ赤。
「ちなみに、俺の大好物は変わってないぜ?」
「ううう……食事中にそんなこと言わなくていいからあぁ……」
本当のことなんだけど。わかってんのかな。較べようもないくらいなんだぜ?
「まぁ、イタリアに居た期間が長いから、イタリア料理全般は好きだな。ただ、水気のないパンは勘弁。あれだけはどうしても慣れなかった。オリーヴオイルとかバルサミコ酢とか、あるいはソースやスープに浸したりして食べるものだから仕方ないけど、どうもなぁ。食べられないことはないんだが、やっぱパンは焼きたての柔らかいやつがいいな」
「そんなのあるの?」
「ああ。最初に行った時は知らなかったから驚いてさ。現地人の先輩に説明されて、やっとわかったよ。でも『この美味しさがわからないなんて』とか『アナタもまだまだガイジンね』とか言われてさあ……あったりめーだっつーの」
「そりゃあ、日本人だものねえ」
「まったくだ。そうだな、あとは、甘いもの全般は好きだな」
「そういえば、ハニートーストも、実家から持ってきたお菓子も食べてたわよね」
「もともと甘いものは好きなんだよ。ティータイム好きの家だったし、ほとんど毎日、なにかしら甘いものを食べてたから。ひとり暮らしを始めてからは、研究が佳境に入ると他に構ってられなくてさ、チョコレートとか、簡単に補給できるもので済ませたり。あと、うちの父親が、菓子作りが趣味という妙な一面があって……」
「ええぇっ、お父さまがっ!?」
「そう。なにしろ両親ともに『男子厨房に入らず』なんて言葉とは無縁の家の出だし。ほら、実家から帰った日に作っただろ、ハニートースト。あのレシピも父親が教えてくれたやつなんだ」
「へぇ……」
あの時は少々風澄の地雷を踏んでしまったが、後は引いていないようだ。素直な反応は気を許してくれている証拠だろう。
「こないだ帰った時なんてアイス作ってたし。他にも、いきなりパフェとかクレープとかホットケーキとか作り出したりするんだぜ? しかも手際が良くて、美味いんだこれが。んでもって、また丁度良くパフェに使えそうなグラスが揃ってたりしてさぁ……謎だよなーうちって」
「あ、いいなあ、自家製アイスクリームにパフェ……」
風澄は果物や菓子など甘いものに目がなく、特にアイスクリームが好きなようだ。お気に入りの外国の有名メーカーのものを必ず冷凍庫に入れているほど。今年の季節限定シリーズのひとつがとても好みだとかで、しょっちゅう食べてる。きっと、今日も食後に食べるだろう。俺も好きな味なのだが、別のものを選ぶほうが多い。なぜかって、それはもう、口移しで味見をしたり、同じスプーンで食べさせてもらったりするのが格別で……あれは美味かったなぁ、いろいろな意味で。逆もやったし。しかしどれだけ食べても例によって体重および体型変動はゼロ……。いや、嬉しいけど。
「アイスは知ってるけど、パフェも好物?」
「うん、あのこってり加減がたまらないの」
ハートマークつきでうっとりしてる……おいおい。まぁ、そういう食べ物、好きだもんな。意外にも。それなのに全く太る気配がないということは、たぶん代謝が良く、燃費が悪いんだろう。となれば、あまり空腹のままセックスしないようにしないと可哀相かもしれない。今後は気をつけよう。
彼女も、いずれ太ったりするんだろうか。でも見せてもらった家族写真――実家に帰ったときにお互いに撮って見せ合ったのだ――は、文句なしの美男美女一家だったけど。予想はしていたが、さすが風澄の家族だけあって、五人揃ってる写真は圧巻だった。
前に彼女も言っていたように、風澄は父親似。色素の薄いところは母親似だったが、華やかな美貌は父親譲りだ。男性、しかも二十代の子供が三人も居るというのに、華やかだのなんだのという形容詞は珍妙かもしれないけれど、風澄の父親にはぴったりだ。大企業のトップだの実業家だのと言うよりは、良家の子弟がそのまま父親となったような男性。紳士と言ってもいいだろう。落ち着いた雰囲気を漂わせつつも、華やかで、けれど堅物だったり浮世離れしているようには見えない、不思議な印象だったな。母親は、とてもか細い、か弱い印象で、品の良い立ち姿は、いかにも高い血筋の生まれという印象だった。が、儚げに見えるけれど、中身は大胆不敵だとか。さすが風澄の親……。上の兄は外見は母親似だけど髪や瞳は真っ黒で、下の兄は父親似だけど髪や瞳は明るい栗色だった。聞くところによると、兄二人は中身は真逆だとか。五人とも、違いはあるけどやっぱり目立つ人間ばっかりだよな、あの家族は。
「じゃあ、さっき話した中間発表のご褒美に、プレゼンが終わったらパフェを食べに行こう。どこか行きたい店は?」
「そうねぇ、前に最華と一緒に行ったんだけど、大学の近くにあるお店のパフェは結構美味しかったわよ」
と言って、風澄はメジャーなチェーン店の名前を挙げた。
「あそこ紅茶とコーヒーが不味くないか?」
「うーん、それは確かに」
「やっぱりそっちも美味くないとな。特に希望がなければ、真貴乃に聞いておくよ。それに、その店には行ったことがあるんだろ? どうせなら行ったことがない店のほうがいいよな。どんなパフェがいい?」
「一番好きなのは、生クリームたっぷりの苺パフェ!」
「おいおい……苺の旬は終わったって……」
ちなみに、勘違いしてる奴が多いけど、本来の苺の旬は五・六月。今はハウス栽培のせいで早くなってるけどな。たぶん、クリスマスに合わせるためにそうなったんだろう。昔はクリスマスにショートケーキなんて言語道断だと思っていたが、今や定番だもんなあ。味も年々良くなっているし。
「じゃあ、なにが旬?」
「今ならそうだな、桃、スイカ、メロン、梨、バナナ、巨峰、マスカット……」
「それなら断然、桃。あとね、ブルーベリーとかラズベリーとか好き」
「ベリー系が好きなんだな。了解」
考えてみたら、風澄のお気に入りの今季限定のアイスクリームもベリー系だ。だが、ブルーベリーやラズベリーは、あまり旬のある果物というイメージがない。おそらく栽培方法や収穫方法のためだろう。どうせなら、今の時期でないと食べられないものが良いな。
そういえば、最近できたという、夏が旬の苺の話を聞いたことがある。もしかしたら、それを使ったパフェがあるかもしれない。まずは真貴乃に聞いて、探してみよう。それに、これって、三度目デートにはバッチリな理由じゃないか? 一度目がアレで二度目はホテル帰りだったから、今度こそ……!
「食事は? どうせなら一日出かけようぜ」
「やっぱり、昂貴と一緒ならイタリアンよね」
「オッケー。楽しみにしてろよ?」
「うん、遠慮なく。期待してるね」
屈託のない笑顔。風澄はそういうことに遠慮がちなほうだったけど、俺がなにがなんでも払わせなかったせいか、だんだん慣れてきてくれたようだ。ちなみに、払わせないのは俺の考えでもあり家の考えでもあり。男女平等派のくせに、同世代の学生同士ならともかく、そういうことは女性にさせないほうが良いとかなんとか、母親が言ってたんだよな。うちの父親がさらりと出すほうだったんだろうか、それとも、出してくれなかったから母親が子供には出させようとしてるんだろうか……なにしろ鈍いからなぁ、うちの父は。母親が教育しなおしたのかもしれない。そんなわけで、薫陶を受けて育った俺は恋人のぶんも完全に払う派。今時珍しいかもしれない。別に俺はそんな金遣いの荒いほうじゃないし、前に貯めたバイト代もあるから、これが普通だと思って出してた。だいたい、そういうの出されるより自分を磨いて欲しいよな、そういう相手には。まぁ風澄は磨きどころなんか残ってないほどいい女だけど、なんて。だいたい風澄と俺じゃ同じ学生とはいえ五歳も違うんだから、それくらいしないと男の甲斐性ってものが、なあ?
「あぁ、楽しみー。最近お出かけしてなかったし」
「外出は嫌いなんじゃなかったのか?」
「まぁ、家の中のほうが好きだけど、たまにはお出かけしたいじゃない? でも、今の時期は暑いよね……ううう……それはちょっと嫌だなぁ」
「いつも日傘さしてるもんな」
「真夏の日差しが苦手なのよ。目の色素は薄くないんだけど、全体的に弱いから」
「白人みたいだなあ」
「さすがに、そこまで弱くないと思うけど。でも、サングラスはしたくないのよね。なんか違う意味で似合っちゃって」
「……確かに」
風澄は造形が整っているぶん、サングラスをかけると威圧感が出そうだ。決してガラが悪いという意味じゃないぞ。なんつぅか、芸能人系のオーラが出てしまいそうな感じだな。俺もハマりすぎて怖い型かもしれない。だけどお互いそういうタイプじゃないから、俺たちはしない。そういうのが似合う奴がしたらいいと思う。
「晴れて、あまり暑くない日になるといいなあ……」
なんて言ってる。おいおい、真夏だぞ?
「せっかくだし、目一杯お洒落してくれよな」
風澄はシンプルな服装を好むほうだけれど、一緒に出かけるのだ、どうせなら可愛い格好をした風澄と歩きたい。なにより、俺のために風澄が自分を飾ってくれると考えると、思わずにやけてしまう。
「うーん、そうねぇ……でも、このマンションに置いてるのは、大学に着て行ってるような服ばかりだし。あとは、夏物だと、ワンピが二、三枚くらいかなぁ。それに、昂貴が見たことのない服なんて、もうゼロに近いと思うけど」
「それなら、それも込みでご褒美とか」
「えぇっ、それは駄目! 自分で出すっ!」
慌てて首と手振ってる。なんだ、残念。『男が女に服をプレゼントするのは、それを脱がせたいからだって言葉知ってるか〜?』とか言って、そのままなだれ込もうと思ったのに。いや、まぁ、プレゼントするまでもなく、さんざん脱がせてるけどな、なんて。
でも、いいよなあ、俺好みのコーディネイトした風澄なんて……。俺のためにお洒落してくれると思うだけで嬉しいのに、やばい、想像しただけで頬が緩む……。
「じゃあ、一緒に選ぶ。前にも言ったよな、秋になったら探しに行こうって」
「あぁ、そっか、まだ八月だけど、もう秋物が出てる時期だものね」
「そう。風澄の好きな『ローテローゼ』みたいな、綺麗な赤い色の服」
「変なの選ばないでよ?」
信用ねぇなあ。思わずふたりで笑っちまった。
「いつ行く? 早めがいいよな。プレゼンは土日だから、その後か」
「そうね、日曜日は打ち上げに出ようと思ってるから、月曜日も避けたいな。でも、その後ならいつでも大丈夫」
「その日さ、遅くなるだろ? 迎えに行くから、電話してくれよな」
「ん、お願いね」
俺たちは最近、ほとんど同棲しているようなものだったから、迎えに行くのも、どっちの家に帰るか相談するのも、既に当然のなりゆきだった。ただ、迎えに行くからっていうのは嘘だ。俺は風澄の中間発表を聞きに行くつもりだったから。教授には予定を確認済みで、実は打ち上げにも呼ばれている。とは言え、わざわざ俺から頼んだわけじゃない。ゼミの卒業生の一人として、招待を受けているのだ。まぁ、呼ばれなかったら頼んでいただろうけど。そもそも、風澄と俺が知り合ったきっかけは教授の紹介だったから、彼女の研究の経過を見せようと、気をきかせてくれたんだろうな。まさか教授も、俺たちがこんな関係になっているとは夢にも思うまい。そして、俺の目的の八割は確かに風澄のプレゼンだが、残り二割は虫除けと観察だったりして。でも、まだ風澄には内緒。当日、俺が教授の家に行ったらどんな顔するだろう?
「教授の家からは風澄の部屋のほうが近いけど、どうしようか」
「どっちでも大丈夫よ。うちから昂貴のお部屋だって近いんだし、そのとき決めてもいいし」
「そうだな」
こんな四六時中くっついてて、どうして飽きないんだろう。
やっぱり、これが惚れてるってことなんだろうな。
その日は珍しく夜にはせず、ふたりでベッドに入ってのんびり話をした。
もうすっかり一緒に眠ることには慣れてしまっているのだが、パジャマ越しに感じるぬくもりが、とても心地よかった。
おやすみと囁いてキスをして、同じ夢を見られたらいいなと思いながら。
To be continued.
2009.12.05.Sat.
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