Dolce Vita

04.親族


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 次の日。いつまでもいちゃこらしているわけにはいかない。いい加減プレゼンの準備を済ませなければということで、リハーサルを始めた。
「なんでこんなもの持ってるのよ……」
 彼女が呆れ顔で見やったのは、この部屋に置いているスライドプロジェクターだ。とは言っても、古くて小さいものが一台あるだけなのだが、ちゃんとリモコンで操作できるし、充分だろう。風澄も、去年の発表の時に使ったことがあるから、勝手はわかっているはずだが、実際に映して練習したほうが失敗が少ないからな。
「医学者も使うんだよ。学会とかで」
「え?」
「母方の祖父が医学者だから。古いやつをもらったんだ」
 と言ったら、彼女は溜め息をつきがなら肩を竦めた。そういえば、コピー機の時も同じような反応だったなぁ。こっちはもともとこの部屋に住んでいた親戚のものだけど。感光体とかトナーとか、コピー機には意外と手入れが必要だから、遠慮なく使わせてもらっている。そういえば、スライドチェック用のライトテーブルも、母方の祖父にもらったんだっけか。意外と電化製品好きな家なんだよ、うちって。で、どちらかと言うと物を捨てられないタイプ。貧乏性とか言うなよ? 物持ちがいいんだから。
「でも、医学者なの? お医者さんじゃなくて?」
「あぁ、違う違う。よく間違われるけど、臨床じゃないから」
 専門は病理学だったか薬理学だったか、俺にもよくわからんが、あくまで医学者であって医者ではないのだ。まぁ、どちらにせよ、とっくに引退してるけどな。
「ほんとに、いろんなご専門のひとがいるのねぇ……」
「まぁなー、普通なら、文系か理系とか、多少の偏りがあるものなんだろうけど、うちの場合は、のべつまくなしっつぅかなんつぅか、とにかく多岐に渡ってるよなぁ」
 と言っても、わざとばらけさせようとしたわけではなく、単に、みんな好き勝手やってるだけだと思うが。俺は身内が誰もやっていない分野を専門に選んだけど、別に、それだけが理由で美術史学を専攻したわけじゃないし。
「そういえば、母方っていうことは……確か、お祖母さまは昂貴の名前を決めたひとじゃなかった?」
「あぁ。とは言っても、字だけだけどな。国文学者で、やたら漢字に詳しいんだ。それで、名前に使える漢字の中から『コウ』と読めるものを片っ端から列挙して、この子には『昂』がいいんじゃないかって言ってくれたんだ」
 手書きでもパソコンでも、よく書き間違えられる字なのだが、俺自身は気に入っている。なにより、他の『コウ』と読む字よりも自分らしいと思うし。
「『こうき』っていう読み方は、父方のお祖母さまの案なのよね?」
「そうそう。よく憶えてくれてたな」
「だって、父方と母方の双方の祖母に命名されたって、すごく珍しいことじゃない? それに、私、母方の祖父母のこと知らないから、双方とも祖父母が居て、どちらとも交流があるって、ちょっと羨ましくて」
「え……? 風澄、母方の親戚は、もう居ないのか?」
 親しくなるにつれ、家族の話はよく聞くようになったけれど、親戚の話はこれまでほとんど耳にしたことがなかった。確か、母親は良い血筋の生まれだと聞いたように思うが、もしかして、実家が絶えたとか、そういうことだろうか……。悪いことを言ってしまったかなとも考えたけれど、風澄は、たとえ羨ましく思ったとしても、そういうどうしようもない理由で相手を責める子じゃない。それに『知らない』という言葉が引っかかった。母方の親戚が居ないだけなら、こういう言い方はしないのではないだろうか……。
「うーん、そうねぇ……居るか居ないか知らないし、知りたくもないっていうのが正直なところかなぁ」
 俺の家が少し羨ましいと言う一方で、母方の親戚のことは知りたくないと言い切る風澄。話したくないことならばそれで構わないのだが、彼女の様子を鑑みるに、そういうことでもないらしい。なぜって、本当に言いたくないことならば、風澄は自分から話題に出したりしないだろうから。そのことを問うてみると、彼女は、自分自身もきちんと知っているわけではないけどと前置きして、話し出した。
「うちの母親、旧家の出身でね……とは言っても、どういう家かは全く知らないんだけど。旧家とは言え一般的な知名度は低い家だから、まず知っているひとは居ないらしいし」
 聞けば風澄は、母親の旧姓すら知らないそうだ。これまでに知る機会もなかったし、知りたいとも思わなかったらしい。
 旧家と言えば、元宮家だとか、旧華族だとかなんだろうか。俺にとっては専門外だが、近代の日本の建築に関する本を読んだ時、旧何々邸だのなんだのと学んだ憶えがある。そういえば、特に気に入っている美術館の中にも、そういう由来を持つところがあった。まぁ、幾つか聞いたことがある家名もあれど、知名度が低いとなれば、俺ごときが知っているはずもないだろうが。
 しかし、それにしたって、母親の旧姓すら知らないというのは、ちょっと極端過ぎるのではないだろうか。そう思って聞いてみると、風澄の母親――眞澄さんは、地洋さんとの結婚に反対され、勘当同然に家を出ているのだという。
「そのあたりの詳細ないきさつも知らないんだけどね。まぁ、うちの母親は、就職することにすら反対されたって言ってたから、家の体質は推して知るべしでしょ。なにはともあれ、絶縁状態なのは間違いないし。今も全く交流がないのよ。母親自身、話したいわけじゃないみたいだし、だったら、私も知らなくていいと思って」
 彼女の、決然とした言葉。
 口調は淡々としたものだったが、どこか強い意志を感じた。
 それは、たぶん、自分の大切な存在を否定した人間に対する、反感。
 顔も名前も、なにひとつ知らなくても、彼女の敵愾心を刺激するには充分だ。家族を大切に思うからこそ、それを傷つける可能性がある者は、どんな理由があろうと赦せないのだろう。
 もちろん、母方の親戚だって身内ではあるのだろうが、それは単に血が繋がっているというだけ。そして、だからこそ赦せないこともある。
 だって、それは、風澄自身の存在を否定するも同じことなのだから。
 ……だとすれば、俺にとっても、その家名も知らぬ一族は敵ということになる――というのは、さすがに飛躍し過ぎだろうが。

 それにしても、考えてみると、家名すら知らなくても構わないというあたりは、やはり彼女らしい。もちろん、知ることで避けられるものもある。その家名に僅かでも関わる可能性のあるものを排すれば良いだけの話。だけど、知ってしまうことで避けられなくなることもある。たとえば、万が一、その家名にどこかで触れる機会があった時に、沸き起こる嫌悪感だとか、そういうものだ。旧家なんて、戦時中までの近代史には意外と出てくるものだし、近代文学でも目にすることがある。醜聞の種になることも無いとは言えない。幾ら知名度が低かろうと、可能性はゼロではないのだし、存続しているならば尚更だろう。そのために、一切知らないまま、ここまで来たのかもしれない。

 風澄は、どちらかと言えば器用な子だし、彼女自身が考えているほど苦手分野は多くない。だが、性格的にはものすごく不器用なタイプだ。おそらく、生来の性質が、いまどき稀有なほど純粋で、頑固で、潔癖なのだろう。世渡りも、人付き合いも、上手なようでいて実は下手だし、苦手なほうだ。あまり良い言い方ではないが、彼女の交友範囲の狭さと友人の少なさが一つの証明かもしれない。別に友人の数でその人物の価値が決まるわけではないと俺は思うが、理解されにくい子であることは確かだろう。近寄り難い容姿だし、決してとっつきやすい性格でもないから。
 だからこそ、自分が信頼した存在を、心から大切にするんだ。

 ただでさえ綺麗で、賢くて、学歴も良くて、しかも日本屈指の大企業の令嬢で。
 風澄のことを知っている人間の中で、彼女のことを羨ましいと思ったことがない奴は、たぶんそうは居ないと思う。そうでなくても、同じ人間なのに、どうしてこんなに違うのかと、肩を竦めたことくらいあるだろう。
 幾らでも楽に生きられるはずなのに。
 なのに彼女は、その道を選ばない。

 そして、もうひとつ、知っていることがある。
 それは、風澄のことをよく知っている人間の中で、彼女のことを損な性格だと思ったことがない奴も、たぶんそうは居ないだろうということ。
 生真面目で、苦労性で、神経質で。
 きっと、彼女のことを知れば知るほど、その気質に苦笑する回数が増えるだろう。
 彼女に対して嫉妬や羨望といった感情しか抱けない間は、たぶん風澄の本質を知ることはできないに違いない。

「……だから、いいの。知らないままで。たぶん、一生、関わることもないだろうし」
「風澄……」
「あっ、気にしないでね? 私は別に、なんとも思ってないから。父方の祖父母はすごく元気だし、可愛がってもらってるし、父方の親戚がものすごく多いから、寂しい思いなんて全然してないもの」
「でも……」
「ただ、祖父母が四人とも居るってどんな感じかなって思うことがあるだけ。母方の親戚のことなんて知らなくていいっていうのは本心だし、別にどうでもいいの」
「……そっか。それなら、良かったよ」
 俺が聞いてしまったせいで、風澄を嫌な気持ちをさせたり、嫌なことを思い出させたりしていたら悪いし、立つ瀬が無いというものだ。
「それに、いとこもたくさん居るしね。たぶん昂貴の親戚全員より多いわよ?」
「へぇ……じゃあ、父方の親戚だけでも、充分に楽しそうだな」
「そうなの。ものすごく賑やかだし、人数が人数だから、全員集まると、圧巻としか言いようがないのよねぇ」
「そんなに多いのか? いとこだけで何人?」
「ええと……まずは一番上の伯母さまのところが三人、叔母さまのところは四人で、あっちの叔母さまのところが二人でしょ、次が叔父さまのところだから、そうすると、十、十一、十二……あ、あれ? 私、どこまで数えたっけ?」
 首を傾げては何度も指を折っていたけれど、正確な人数はよくわからなかった。少なくとも十数人、二桁は余裕で上回っているようだ。確かにうちより多い。
「それに、小さい頃から、両親が忙しい時とか、三人で親戚のうちによく泊まりに行ってたの。だから、いとこって言うより、きょうだいって言ったほうが近いかも」
 彼女の表情を見るだけで、良い関係なのだとわかる。
 そうだよなぁ、両親とも兄弟に子供が居なかったり、ひとりっ子だったなら、いとこも居ないんだし。はとことなると、また関係が違うだろうから。たとえ父方だけだとしても、相当多い部類だろう。
 それにしても、風澄の親戚か。家族からして美男美女揃いなのだ、親戚一同ともなれば、そりゃあ大変なものだろう。
「昂貴の名前の話に戻るけど、私たちの祖父母の世代で、『ノーブル』なんて表現するひとって、すごく珍しいわよね」
「あぁ、父方の祖母は英文学が専門だし、海外で暮らした経験もあるんだよ。確か、英検一級も持ってる。確かに、あの時代のひとにしては珍しいよなぁ」
「父方のお祖母さまも語学が得意な方なのね……」
 はぁ、と再び溜め息をついて肩をすくめる彼女。いつかは、この語学コンプレックスも解消される日が来るのだろうか。成績は悪くないんだし、相性が悪いのと、苦手意識が邪魔してるだけだと思うけどな。
「そういえば、昂貴のおうちって、ご両親とも学者一家の生まれなのね」
「高原家は、な。さすがに父方の祖母の家と母方は代々じゃないよ、たまたまそうだっただけ。まぁ、どっちにしろ『変人一家』なのは似てるけど」
「へ、へんじん……」
「そう。変人の巣窟。弟の侑貴がさ、いっつも『俺は高原の家の常識のありかだから』とか言うんだけど、侑貴は侑貴で相当変わった奴なんだよ。俺と姉と同じ大学なんか受験もしなかったし。真貴乃と父親はそっくり。変人ぶりが。ついていけないぜ、あれは……」
 なんて話してたら、いきなり風澄はくすくすと笑い出した。
「昂貴って本当、おうち好きよね」
「……は?」
「だって、家族の話するとき、すごく楽しそうだもの」
 そうかあ? いつもひたすら呆れてるだけなんだけど。いや嫌いじゃないが。ひとり暮らしも気に入ってるけど、実家の居心地は良いし。
「ねえ、お母さんはどういうひとなの?」
「うーん、策士だな」
「え?」
「歴史から多くのことを学んで実生活に生かしてる。専門は西洋史学なんだけどさ、日本史や東洋史にも驚くほど詳しいし、そのせいなのか、先を予測する能力って言うのかな、人でも物でも、流れを読むのが上手いんだよなぁ。って言うか、歴史だけじゃなくて、とにかくありとあらゆる知識を生活レヴェルで実践するタイプだな」
 化学者の妻だからかなんなのか、家事は化学だって言って、旨み成分の相乗効果の話とか、食い合わせの話とか、楽な皿洗いの方法とか、汚れ落としだの片付けだの、昔からよく習ったもんだ。そういうことを教わるのが楽しかったあたり、俺も学者一家に生まれるべくして生まれたってことなんだろうけど。
「あ、そうそう、うちの両親って留学先で知り合ったんだけどさ、そこで母親が父親に惚れて……いや、なんであんな風変わりな父親がいいんだかサッパリわからないんだが、とにかく鈍感な父親をいつの間にか自分のものにしてたとかなんとか」
「……す、すごいお母さまね……」
 サマって。いや、別にそんな怖いひとじゃないよ。怒らせたり敵に回したりしなければ。
「まぁ、手に入れようと決めたものは必ず手に入れるな」
「昂貴ってお母さん似でしょ?」
「……なんでわかった?」
「だって、昂貴も手に入れようと決めたものは必ず手に入れるでしょう?」
 と、明るく笑った。
 そういえば、そんなふうに風澄を手に入れたんだろうって言われたな、真貴乃に。風澄の言葉もそういう意味なんだろうか? まぁ、手に入れてはいないけどさ。
Line
To be continued.
2009.01.30.Sat.
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