共に生きる者
10.再会
六時になっても、少し日が落ちてきたかという程度で、あたりは昼間みたいに明るい。真夏だものね。
途中、いつも使っているスーパーが目に入った。でも、食材は後でいいかな。少しは残ってるし、足りないぶんは昂貴と買いに行こう。約束、してるから。
なんだか不思議。
あの部屋に帰るのに、ひとりじゃないなんて。
そりゃあ、最華とか、同期の友達が来たことはあるけれど……こんなふうに、帰省から戻ったその日に逢うひとが居るっていうのは、今までにはなかった。
こんな時はいつも、実家のあたたかさがかえって辛くて、寂しい気分になっていたのに、今はむしろ楽しみなくらい。昂貴はどんなふうに過ごしてきたのかなって想像したり、なにを話そうかなって考えたり、それだけで、なんだかうきうきしてくる。
……早く、逢いたいな。
たった三日とは言え、こんなに離れていたのは久しぶりだから、ほんの少しだけ緊張に似た気持ちもあるけれど、それ以上にわくわくするの。
頭上に広がる空は、昼間の空とは少しだけ違うけれど、まだ充分に明るい。
雲のわずかな陰りが、夕刻に属する時間であることを感じさせる。
さすがに日傘を差したらおかしいだろうけど、日中は絶対に欠かせない。
本当は、夏は苦手。
日差しには疲れるし、湿気にはうんざりするし、不安定な気候には落ち着かないし、冷房には骨まで凍りそうな気がする。
日本には明確な四季があると言うけれど、そもそも季節などと言うものは人間が勝手に定めた曖昧模糊な分類。暦の上ならいざ知らず、その推移はいつだってあやふやで、移行期と停滞期があるだけだとすれば、夏が好きだの嫌いだのと言うこと自体が妙なのかもしれない。
と言いつつ、やっぱり夏は苦手だと思う私が居るのだけれど。
夕方でも、真夏の東京はしっかり暑い。
昼間ほどの熱気は無いにしろ、お世辞にも過ごしやすい気候とは言い難い。
早く過ぎてしまえば良いのにと思うけれど、夏が終われば秋が来る。またひとつ、年を取る季節が訪れる。
そのたびに不安になる。私は本当に去年の自分より成長しているのだろうかと。
そして、夏は、あの恋が終わった季節――。
蘇る胸の痛みに、未だにあの頃に捕らわれていると、嫌でも思い知らされる。
だって、私の中では終わってなどいなかった。
ただ、全ての望みが絶たれただけ。
ほんのわずかな可能性すら存在しなくても、それで恋心が消え去るわけじゃない。
けれど、ひとつ思い出したことがある。
宗哉への想いはまだ消えないけれど、初恋を失った頃の痛みは、明らかに薄らいでいるということ。宗哉への恋心だけが痛みを癒してくれたわけではないけれど、宗哉に出逢う『以前』と『以後』とでは全く違う。
最華の言っていた『昔の恋を忘れるには、新しい恋をするのが一番』というのは、やっぱりひとつの真実なんだと思う。
昔の恋の終わりは、新しい恋をした時。
過去の痛みを、現在の幸せが凌駕した時。
新しい恋が成就したとしても、過去の恋を完全に忘れられるとは限らないけれど……少なくとも、それまでは忘れられない。ただ時が、ほんの少し痛みを和らげてくれるだけ。
私にも、いつかそんな日が訪れるだろうか。
逃避ではなく、無理矢理でもなく、自暴自棄でもなく――新しい恋をすることができるんだろうか?
二度目の恋が、宗哉への想いが、過去の恋になる日が……。
巡る季節に、去来する記憶と想いは、きっと簡単には消えないけれど。
ただ、今は、ほんの少し違う。
日差しも湿気も気候も冷房も、相変わらず苦手だし、あの頃の恋も、決して楽しい思い出では無いけれど。
たったひとつ、『夏』という季節に、嬉しい思い出が増えたから。
そんなことを考えていたら、結構長い道のりが、あっという間だった。
いつもの道に、いつもの街並み。
――でも。
「……え?」
ふと前方を見やったところで、私は思わず足を止めた。
見慣れたマンションの前に、見慣れたシルエット。
夏の太陽が、彼の姿を浮き彫りにする。
高い背。漆黒の髪。彫りの深い顔立ち。
意外と色白な肌も、筋肉質の身体も、思ったより長い睫毛も、少し厚めの口唇も。
もうとっくに、自分よりも見慣れてしまったひとが、そこに居た。
「…………昂貴」
ずっと、待ってたの?
もう少し遅くに帰ってくると思ってたのに、私より早く……。
驚いて見つめたら、こっちを向いて。
「おかえり、風澄」
そう言って、優しく微笑んでくれた。
ほんの少しだけ傾いた陽が、彼を優しい色に染める。
穏やかな光が降り注ぐ。
風が吹いて、髪がたなびき、服がはためく。
環境汚染とか。温暖化現象とか。
知ってる。地球が病んでいるっていうこと。
……だけど、綺麗。
だけど世界は、こんなに綺麗――。
彼がいるだけで、私の世界は目覚めていく。
――私は、ひとりじゃない。
彼の笑顔が、私の心に、あたたかさをくれる。
それが、嬉しかった。
昂貴がそこに居るということが――嬉しかった。
だから。
「ただいまっ」
「うわっ」
思わず抱きついたら、勢い余って壁にぶつかっちゃった。ごめん背中痛かった? でも、ぎゅって抱きつきたかったの。そうしたら昂貴は片腕で私を抱き寄せ、もう片方の手で頭を撫でてくれた。
「ああ、本物だ。やっぱいいな」
あれ? その台詞、初めてえっちした次の朝にも言ってたような。なんなのかしら?
「うん、私も」
軽い疑問は置いておいて、それだけ口にする。
毎日メールはやりとしていたんだけどね。でもやっぱり、私も実物がいい。
「ねえ?」
「ん?」
「家族も好きだけど、やっぱり昂貴のそばが一番いいな」
って、思ったとおりのことを言ってみた。
「……俺も」
願ったとおりの答えが返ってきたことが嬉しくて、誰も見ていないことを確認してから、軽くキスして部屋に向かう。
手を繋いで、決して離さないでね。
このひとが、今の私を支えてくれてる。
彼と知り合ってから、生活の全てが楽しくなった。
笑えるのも、楽しいのも、彼のおかげ。
私も、彼を支えられるだろうか?
大切な存在を、大切にできるだろうか。
いつか、そんな日が来るのだろうか――。
聞かせてね。離れてた、この数日間のあなたの話を。
抱きしめて、数日ぶりのその腕の中で。
途中、いつも使っているスーパーが目に入った。でも、食材は後でいいかな。少しは残ってるし、足りないぶんは昂貴と買いに行こう。約束、してるから。
なんだか不思議。
あの部屋に帰るのに、ひとりじゃないなんて。
そりゃあ、最華とか、同期の友達が来たことはあるけれど……こんなふうに、帰省から戻ったその日に逢うひとが居るっていうのは、今までにはなかった。
こんな時はいつも、実家のあたたかさがかえって辛くて、寂しい気分になっていたのに、今はむしろ楽しみなくらい。昂貴はどんなふうに過ごしてきたのかなって想像したり、なにを話そうかなって考えたり、それだけで、なんだかうきうきしてくる。
……早く、逢いたいな。
たった三日とは言え、こんなに離れていたのは久しぶりだから、ほんの少しだけ緊張に似た気持ちもあるけれど、それ以上にわくわくするの。
頭上に広がる空は、昼間の空とは少しだけ違うけれど、まだ充分に明るい。
雲のわずかな陰りが、夕刻に属する時間であることを感じさせる。
さすがに日傘を差したらおかしいだろうけど、日中は絶対に欠かせない。
本当は、夏は苦手。
日差しには疲れるし、湿気にはうんざりするし、不安定な気候には落ち着かないし、冷房には骨まで凍りそうな気がする。
日本には明確な四季があると言うけれど、そもそも季節などと言うものは人間が勝手に定めた曖昧模糊な分類。暦の上ならいざ知らず、その推移はいつだってあやふやで、移行期と停滞期があるだけだとすれば、夏が好きだの嫌いだのと言うこと自体が妙なのかもしれない。
と言いつつ、やっぱり夏は苦手だと思う私が居るのだけれど。
夕方でも、真夏の東京はしっかり暑い。
昼間ほどの熱気は無いにしろ、お世辞にも過ごしやすい気候とは言い難い。
早く過ぎてしまえば良いのにと思うけれど、夏が終われば秋が来る。またひとつ、年を取る季節が訪れる。
そのたびに不安になる。私は本当に去年の自分より成長しているのだろうかと。
そして、夏は、あの恋が終わった季節――。
蘇る胸の痛みに、未だにあの頃に捕らわれていると、嫌でも思い知らされる。
だって、私の中では終わってなどいなかった。
ただ、全ての望みが絶たれただけ。
ほんのわずかな可能性すら存在しなくても、それで恋心が消え去るわけじゃない。
けれど、ひとつ思い出したことがある。
宗哉への想いはまだ消えないけれど、初恋を失った頃の痛みは、明らかに薄らいでいるということ。宗哉への恋心だけが痛みを癒してくれたわけではないけれど、宗哉に出逢う『以前』と『以後』とでは全く違う。
最華の言っていた『昔の恋を忘れるには、新しい恋をするのが一番』というのは、やっぱりひとつの真実なんだと思う。
昔の恋の終わりは、新しい恋をした時。
過去の痛みを、現在の幸せが凌駕した時。
新しい恋が成就したとしても、過去の恋を完全に忘れられるとは限らないけれど……少なくとも、それまでは忘れられない。ただ時が、ほんの少し痛みを和らげてくれるだけ。
私にも、いつかそんな日が訪れるだろうか。
逃避ではなく、無理矢理でもなく、自暴自棄でもなく――新しい恋をすることができるんだろうか?
二度目の恋が、宗哉への想いが、過去の恋になる日が……。
巡る季節に、去来する記憶と想いは、きっと簡単には消えないけれど。
ただ、今は、ほんの少し違う。
日差しも湿気も気候も冷房も、相変わらず苦手だし、あの頃の恋も、決して楽しい思い出では無いけれど。
たったひとつ、『夏』という季節に、嬉しい思い出が増えたから。
そんなことを考えていたら、結構長い道のりが、あっという間だった。
いつもの道に、いつもの街並み。
――でも。
「……え?」
ふと前方を見やったところで、私は思わず足を止めた。
見慣れたマンションの前に、見慣れたシルエット。
夏の太陽が、彼の姿を浮き彫りにする。
高い背。漆黒の髪。彫りの深い顔立ち。
意外と色白な肌も、筋肉質の身体も、思ったより長い睫毛も、少し厚めの口唇も。
もうとっくに、自分よりも見慣れてしまったひとが、そこに居た。
「…………昂貴」
ずっと、待ってたの?
もう少し遅くに帰ってくると思ってたのに、私より早く……。
驚いて見つめたら、こっちを向いて。
「おかえり、風澄」
そう言って、優しく微笑んでくれた。
ほんの少しだけ傾いた陽が、彼を優しい色に染める。
穏やかな光が降り注ぐ。
風が吹いて、髪がたなびき、服がはためく。
環境汚染とか。温暖化現象とか。
知ってる。地球が病んでいるっていうこと。
……だけど、綺麗。
だけど世界は、こんなに綺麗――。
彼がいるだけで、私の世界は目覚めていく。
――私は、ひとりじゃない。
彼の笑顔が、私の心に、あたたかさをくれる。
それが、嬉しかった。
昂貴がそこに居るということが――嬉しかった。
だから。
「ただいまっ」
「うわっ」
思わず抱きついたら、勢い余って壁にぶつかっちゃった。ごめん背中痛かった? でも、ぎゅって抱きつきたかったの。そうしたら昂貴は片腕で私を抱き寄せ、もう片方の手で頭を撫でてくれた。
「ああ、本物だ。やっぱいいな」
あれ? その台詞、初めてえっちした次の朝にも言ってたような。なんなのかしら?
「うん、私も」
軽い疑問は置いておいて、それだけ口にする。
毎日メールはやりとしていたんだけどね。でもやっぱり、私も実物がいい。
「ねえ?」
「ん?」
「家族も好きだけど、やっぱり昂貴のそばが一番いいな」
って、思ったとおりのことを言ってみた。
「……俺も」
願ったとおりの答えが返ってきたことが嬉しくて、誰も見ていないことを確認してから、軽くキスして部屋に向かう。
手を繋いで、決して離さないでね。
このひとが、今の私を支えてくれてる。
彼と知り合ってから、生活の全てが楽しくなった。
笑えるのも、楽しいのも、彼のおかげ。
私も、彼を支えられるだろうか?
大切な存在を、大切にできるだろうか。
いつか、そんな日が来るのだろうか――。
聞かせてね。離れてた、この数日間のあなたの話を。
抱きしめて、数日ぶりのその腕の中で。
To be continued.
2007.06.29.Fri.
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