共に生きる者

07.目標と未来と


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「ええと、出願期間は九月の頭……って五日間しか受け付けないのに郵送? 九月に入ってすぐ出せば良いかしら。成績証明書は取ったから、あとは考査料……振込みならすぐできるわね。ええと、それからそれから……」
 今日は、実家に帰った次の日。
 私の手の中にあるのは、夏休み前に大学で買ってきた封筒の中身。
 その表紙には『大学院文学研究科 入学試験要項』と書かれている――。
「それ以外の出願書類は、入学志願票に入学志願者調書? 履歴書もあるし、書くものが一杯だわ。……あ、写真も撮らなきゃ」
 入試だもの、やっぱりスーツを着て撮るべきよね。入学式に着たスーツでいいかな。しばらく髪を切っていないし、実家に居るうちに美容院に行って、帰りに撮りに行こう。切り揃えるか、せいぜい、心もち短くする程度だけどね。
 入学志願票と入学志願者調書は、これも実家に居るうちに下書きをして、帰ったら昂貴に見てもらおうかな……なんて考えている時点で、ちょっと他力本願もいいところなんじゃないの私と思わないでもないんだけど、見てやるからって言ってくれたんだもの。
 やっぱり、昂貴に甘えてるわよね、私って……。だからこそ、自分でできることはまず自分でやるようにしてるんだけど。同期の他の誰も、こんな状況には居ないと思うし、いくら昂貴を紹介してくれたのが河原塚先生だからって、ずるいかな……。
 実はね、夏休み前のゼミの授業で、大学院進学志望の子たちに、一緒に勉強しないかって誘われたの。うちのゼミだけじゃなくて、西洋美術史を専門にしてる進学志望の子たちは、そうやってみんなで勉強してるみたい。
 私はもともと、そういうふうに集団で何かするということがあまり好きじゃない。と言うか、むしろ苦手なほうだと思う。グループ学習とか、すごく苦手なのよね。自分のペースを保てないの。最華と一緒に勉強したことは幾らでもあるし、生徒会に入っていたこともあれば、そのメンバーで文化祭に参加したこともあるんだけど、基本的には苦手。ほら、あまりよく知らない人と居る時って、どうしても所在ない気持ちになっちゃうでしょ。そういうのが居心地悪くて。これって人見知りしてるってことなのかしら? なんだか違うような気もするけど。それに、ゼミ生の中にはそれほど親しい人が居ないから。もちろん喋ったりはするわよ? でも、なんとなく仲良くなるきっかけを逸しちゃって……。だから、まるで自分だけが浮いているような気分になっちゃうのかな。同級生のゼミ生は、三年生の春から今までほとんど同じメンバーなのに。まぁ、杉野君という知り合いが居たわけだけど、彼は本来経済学部で聴講しているだけ、私は専門、しかも大学院進学志望だし。
 でも、それを断った最大の理由は、やっぱり昂貴と知り合った後だったからだと思う。
 河原塚ゼミにおいて、夏休み中にあるゼミの中間発表は慣例的に大学四年生の発表のラストであるらしい。四年生はそれまでに全員が発表を終え、夏休み明けからは三年生の発表となる。その中間発表の日は修士課程秋期入試の約一ヶ月前。就職活動をしている場合はどうしても勉強する時間が少なくなるから就職活動後、つまり夏休み中の中間発表にし、大学院進学志望者は夏休み中に勉強をしなければならないから、できるだけ夏休み前に中間発表を終わらせたほうが良い――と河原塚先生は言っていたけれど、私は三年生の時とは違う画家を扱っているし、なにより、前のような発表には決してしたくなかったから、夏休み中を希望した。
 昂貴も学部の河原塚ゼミの出身だから、私は発表をとっくに済ませたものと思っていたらしく、最初は驚いていたのだけれど、理由を告げたら風澄らしいなと苦笑していた。昂貴も私と同じく夏休み中の中間発表だったそうだけど、それは留学帰りだからだし。私がしていることは、たぶん例外中の例外で、もしかしたら無謀なことなのかもしれない。あくまで『中間発表』で、卒論じゃないのに。でも、それくらい今度の中間発表に力を注がずにいられないのは、去年の発表で聞いた昂貴の発言が、ずっと頭に残っていたから。
 面白い、興味深い、楽しい――
 それは大事なことだし、自分でも、それを意識して準備した。
 でも、それだけでは研究にはならない。
 面白くて興味深くて楽しい発表が、良い研究とは限らない。
 それだけで終わらない研究をしなければ、研究者になどなれない。
 あの日、そう気づいた。昂貴の一言で。
 その発言者が見学に来ていた院生だなんて、昂貴と知り合うまですっかり忘れていたのに、あの言葉が、私に大きな変革を与えた。

 そして、夏休み中の発表を選んだからこそ、角を立てずに断ることができたのだ。
 同期の子に、私の場合は中間発表と同時進行だから一緒に勉強するのはちょっと無理だと思うと言ったら、それもそうだねと納得してくれたようだし。
 ……でも、もし、それまでに昂貴と知り合っていなかったら。
 そして、これほどまでにお互いの距離が近づいていなかったら。
 そうしたら、私は今、どうしていただろう……。

 * * * * *

 その日の夕食後、ひととおり願書をチェックした私は、食後のお茶の時間のついでに父に考査料を頼むべく、書類を持ってダイニングへと下りた。
 別に考査料くらい自分で払っても良いのだけど、私の両親は、学生の間は生活費含め全部出すのが親の務めだと言ってくれる。ただでさえ『本ゲル係数』が高い家だしね。まぁ、経済的援助は惜しまない代わりに手を抜くなということかもしれないけど、私、そんなことしないもの。これまでにアルバイトをしたこともあるけれど、それは主に社会勉強のため。その時のお金には、ほとんど手をつけていない。その必要もなかったから。
 でも、こんな時、萩屋さんの言葉を思い出す。
 彼女だけでなく、今まで、幾度も言われてきたこと。
 ――脛齧り――。
 私は今、二十一歳。もうすぐ、二十二歳になる。法律上の成人――つまりは大人。
 だけど、私は学生だ。日本のどこにでもいる、一介の大学生。
 それでも脛齧りと――甘えていると言われなければならないのだろうか。
 アルバイトをして学費を稼ぎながら大学に通っている人や、奨学金を取って通っている人や、一度社会に出て自分のお金で大学に通っている人。
 そういう人が居るのは知ってる。
 でも、そんなの、それぞれの家の考え方じゃないの?
 高校生なら良いの? 高校生なら良くて大学生が悪いって言うの?
 成人しているから駄目なの? だったら大学二年生までなら良いの?
 高校卒業後に学校に通うのが悪いって言うの? それなら短大や、専門学校は?

 ……それとも、ただ単に、私が、日本を代表する多角経営企業の社長の娘だから?

 だからって、文句を言われる筋合いは全く無いじゃない。
 私の家族でも親戚でも無いひとに、どうしてそんなこと言われなきゃいけないのよ。
 どうして、私が後ろめたい気持ちにならなきゃいけないんだろう……。

 勉強がしたくて、研究がしたくて、この道を目指しているけれど。
 そのことに家族も賛成してくれているけれど。
 それでも、自分の中に、どこか怯む気持ちがある。

 幼い頃から……誰にも負けたくなくて、高い成績を維持してきた。
 私の勉強における考えは『満点を取れば誰が居ようとトップ』で、テストは明確に点数化されているぶん、はっきりとした順位づけによって自分の位置を確認できたから、とても楽だった。
 勉強という手段は私の味方であり自信の源。
 誰に何を言われても、勉強ができるだけで、私は自分の価値を見失わずに済んだ。
 文句があるなら私の成績を抜いてから言いなさいよ――と、そういう気持ちもあったのかもしれない。
 ……嫌味な考えだと自分でも思う。結果として勉強ができたからこそ言えることだし、強者の論理以外のなにものでもない。
 でも、私は、そう考えなければ生きていけなかった。
 それくらい、自分に自信が無かった。本当は。
 あくまで自分のために、私は『学年トップ』の位置に居たのだ。

 もちろん、もともと勉強は好きだった。と言うより、なにかを学ぶことが好きだった。勉強に限ったことじゃない。それまでに知らなかったことを知ることとは、世界を理解する視野が広がること。自分自身の器が大きくなり、成長したと感じられるから。
 そして、そうやって得た知識を応用できる研究は、もっと好きだった。与えられた課題を解くのではなく、自分自身で課題を探し、自分自身でその解答を探すこと。……難しいと思う以上に、面白かったし、楽しかった。そして、嬉しかった。これまで自分が蓄積してきた全てのことが役に立ったから。どんなことも、無駄にするかしないかは自分しだい。私のしてきたことは決して無駄ではなかったのだと思えたから。
 でも、私が本当に研究を楽しいと思えたのは、昂貴に逢ってからなのかもしれない。
 手段でも方法でも知識欲でもない、研究することの喜びを知ったのは……。

「いよいよ、だね」
 父の言葉に、我に返る。
 いけないいけない。考えが暗い方向に行ってしまうのは、私の悪い癖だわ。卑屈になってどうするのよ? 自信家を装うのは得意でも、自分を全く信じられないのじゃ意味がない。これまで頑張ってきたのは本当だもの。
 そういうところ、すぐには変えられそうにないけれど、自分で自分を見捨てちゃ駄目。
 そうよ。私だって、少しは強くなったんだから。
「んー、入試までは、まだ一ヶ月以上あるけど」
 ぱらぱらと入試要項をめくり、父は試験内容のページで苦笑した。
 ……私は苦笑じゃ済まないんだけど、お父さん。
「緊張してる?」
 母が五つのカップに食後のコーヒーを注ぎながら問う。
 今日の食後のお菓子は、マドレーヌ、ガレット、ダックワーズなどの焼き菓子。こういうお菓子は日持ちがするから、うちではケーキと一緒に買ってくることが多い。次の日以降のお楽しみ、かな。会社帰りに買いに行くと売り切れているものも多いし、やっぱり、のんびり食後のお茶を楽しめる日ばかりではないから。
「そうね……ついに来たか、っていう感じかな」
 大学院に進もうと決めた時から来たるべき時ではあったのだけど、こうして実際に要項を見ると、現実感が全く違う。
 未だ確定せざる未来への期待と不安。
 正念場を迎えるって、こんな気分なんだろうか。
 試験日は一ヶ月以上先だけど、『来月』と考えたら、そう遠い話じゃない。
 これが、私にとって最初の関門。
「でも、中間発表にも集中しないとね。大詰めだから」
 前期のレポートが終わってからは中間発表の準備と試験勉強を並行して進めているんだけど、マンションへ戻ったら発表の最終調整に入る予定。と言っても、プレゼンテーションのおおまかな流れは決まっているし、スライドなど、時間がかかる作業も終えている。後はレジュメを作って、発表の場で喋る内容をまとめる程度。
 本当に、自分でも驚くくらい順調に進んでる。その完成度だって。現時点の進捗状況だけで考えても、去年の発表とは較べる気にもならない。
 それはもちろん昂貴のおかげなんだけど、私自身も、ここまで研究の完成度を高められるくらい成長したって思ってもいい?
 自惚れかな。自画自賛かな。でも、自分自身が成長していることは確かだし、そのことだけは間違いないよね。
「もし、万が一、今回が駄目でも、もう一度機会はあるんだろう?」
「うん。でも、できるだけ早めに決めたいし、ちゃんと卒論に取り組みたいから」
 修士課程の入試は、九月末と三月頭の二回行われる。どちらに受かっても結果は同じなのだけれど、早く決まるに越したことはない。それに、三月頭の試験となると、卒論の執筆もままならないんじゃないかしら。本格的な論文を書くの、これが初めてなんだもの。そんなふうに取り組みたくない。提出は年明けだけど、どうせ提出するならちゃんと製本したいし、十二月の頭くらいには形を整えておきたいのよね。じっくり書いて、ゆっくり校正したいもの。
 ……まぁ、その前に、中間発表と試験を乗り越えなきゃいけないんだけど。
「俺は大学を出てすぐ就職したし、火澄はイギリスの大学院だし、兄弟でうちの学校の大学院を受験するのは風澄だけだから、アドヴァイスもなにもできないが……」
「そもそも学部からして違うんだ。僕らにできることと言えば、まぁ語学くらいだろうね」
 えぇと、そのあたり、強力なアドヴァイザーがついているのでご心配なく。
 ……なんて言えないけど。
「なにはともあれ、風澄が納得できる結果になるといいわね」
「くれぐれも、無理はしないようにな」
「……うん。ありがとう」
 今の私がやるべきことは、中間発表を終わらせ、願書を書き、自分の全力で試験に臨めるよう努力すること。
 ……準備は、もうほとんどできてる。
 あとは中間発表を終え、願書を提出するだけ。
 語学ばかりの試験勉強はきっと辛いけど、これが、彼に追いつくための一歩。

 意外に知らない人が多いらしいけれど、大学院は五年制。うちの学校では、前半の二年を修士課程、後半の三年を後期博士課程という。学校によっては、修士課程、博士課程と呼ぶところや、博士課程前期、博士課程後期と呼ぶところもある。
 また、修士のことを『マスター』、博士のことを『ドクター』という。日本でドクターと言うと医師、あるいは理系の研究者のようだけれど、本来は博士のこと。大学の場合は『学士』で、これは『バチェラー』という。この言葉となると、独身男性という意味合いが強くて学士という意味を知らない人が多いらしい。まぁ、四年制大学の卒業生ならば誰もが学士なのだから、特に珍しいものではないし(もちろん、大学に通い卒業できるということは、恵まれていると知っているけれど)。大学時代、どんなに学問に勤しみ研究に打ち込んだとしても、大多数の人にとっては就職の資格でしかないのかもしれない。日本人の感覚ではマスターが一番いろいろなことができそうな印象を受けるけれど、上には上がある。理系ならば修士課程を出ていても就職において障害にはならず、多少有利になることが多いそうだけど(今は不利になることもあるらしい)、文系では就職難一直線。就職にあぶれた人は、大学院に進むより留年を選ぶだろう。それにしても、『修士』という言葉がそれほど馴染みのある言葉でない一方、『博士』という言葉は使い古されいるように思う。でも事実は言葉の響きでは語れない。
 それに、理系の場合はひとつの発見で大逆転が可能だから、若くして画期的な発明をしたり賞を取ったりして有名になるひとや大金持ちになるひとも居るけれど、文系の場合は研究歴がものを言う。場合によっては、結果そのものよりも……。
 たとえ、世界に認められる大きな発見があったとしても、文系の学問における発見は、理系の学問における発見ほど大きく取り上げられることはないだろう。
 例えば美術史学において『世界に認められる大きな発見』があったとしても、それで世界の何かが変わるわけじゃない。
 美術史学の研究がなんの役に立つのかと言われれば、たぶんなんの役にも立たない。
 でも――世の中、役に立つことだけが全てじゃないでしょう?
 生きるうえで役に立たないことに情熱を注ぐことができるのは、きっと人間だけだから。

 年功序列だし、派閥もあるし、特別な実績がなくても出世できるとなれば、もちろん、理不尽なのだけれど。
 でも私は知ってる。あのひと――昂貴がどれほど、レヴェルの高い研究をしているのか。

 日本に居ながら西洋のことを学ぶのは非常に難しい。昂貴は学部時代から期間はさまざまだけれど幾度も留学をしていたため、その間に集めた資料が膨大で、また、その時の人脈が生きているから、今でもイタリアに居るのと同じくらいの資料が手に入るのだそうだ。しかも学者一族だから、海外にも親戚がたくさん居る。
 ……うちも色々言われるけれど、昂貴の家のほうがすごいと思うのは私だけかしら?
 だけど、どれほど良い環境に在り、有用な資料が手に入ろうと、それを生かせるか――すなわち、活かせるかどうかは、そのひとしだいだと思う。
 昂貴の論文は、徹底的に正確で、どこまでも論理的。まるで理系の論文のようだと思ったほど。ほんの少し引用しただけの文章さえ、きちんと裏づけを取っている。脚注だけで半分以上埋まっていたページもあった。推測か確定か必ず明白にしているし、他の研究者が推測で終えていたことも、自分で調べて確認を取っている。
 手に入る資料を『生かし』かつ『活かし』ている。
 彼自身は、厳しいところもあるけど優しいし、結構とっつきやすいひとだと思うんだけど、なんだかんだ言ってマメだし、几帳面よね。論文になると、そういう部分が強く出るのかしら。発表だとまた違うのかもしれないけれど。
 私の場合は、興味を持ってもらえるようにっていう気持ちが先に出ちゃうのよね。ほら、つまらない授業って嫌でしょう? ただ聞いているだけじゃ退屈だもの、興味深い発表にしたいのよね。まぁ、要は、発表している最中に睡魔と格闘中の人が居たら嫌だなぁっていうことなんだけど……。どういうふうに話したら専門外のひとにもわかりやすいか考えるのは、大切なことだと思うの。そういうところ、昂貴も認めてくれているみたい。

 * * * * *

 お風呂からあがった後、発表のレジュメの下書きに手を入れ、もう一度、要項を見直していく。確認は何度しても多すぎるということはないものね。念には念を入れなくちゃ。
 入試は一次試験が英語、選択外国語、専門科目。そして二次試験が口頭試問。しかも、合格発表は一次と二次それぞれにある。つまり一次で通っても二次に落ちることがあるのだ。
「で、でも、うちの学校の慣例として、辞書は一冊持ち込めるし……!」
 前期のイタリア語のテストもそうだったけれど、実は大学の一般入試の英語でさえ辞書の持ち込みが許可されていると昂貴が言っていた。さすがに私も驚いたのだけど、ただ暗記するのではなく、その言語をきちんと使いこなせるかどうかを見るという意味では、非常に理に適ったことだと思う。もちろん、電子辞書は不可よ。
 ……つまりは、そこでラッキーなんて思っちゃう私は駄目かもしれない。ううう。
 まぁ、今度の試験の辞書の持ち込みは英語と選択外国語で一冊ずつだから、どの辞書を選ぶかという難点はあるんだけどね……。こういう時、美学美術史学専攻だと双方の試験で持ち込めるけど、文学科の人たちは専門の言語が決まっているから、その試験では持ち込めない。そこでやっぱりラッキーなんて思っちゃう私……。まぁ、美学美術史学専攻、特に西洋美術史を専門とする場合は数多くの言語の勉強が必要となるから、ある意味大変な、珍しい専攻なんだけど。
 選択外国語……か。
 専攻によって、指定されている言語は異なる。美学美術史学の場合は七ヶ国語。
 どんな研究をしていようと、どの言語を選択するかは本人の自由。ただし、これは願書に記入しなければならない。
 ――昂貴に相談していないことがある。まだ自分自身でも決めかねているのだけれど、とてもとても大切なこと。願書提出日までに決めなければならないこと。
 これこそ無謀な話だわ。きっと反対される。
 でも、どれほど苦手なことでも、いずれ越えなければならない壁なのだとしたら。
 それでも、自分に必要なのだとしたら。
 挑む以外の道を、私は知らない。
 決めかねているなんて嘘よ。本当は、とっくに決めてるじゃない。
 だって、それが、昂貴に追いつくための一歩だもの。

 そもそも、語学が苦手だからって研究者になれないっていうのは変だと思うのよね!
 誰もが昂貴みたいに語学が大得意なわけじゃないんだし。

 そう思ったところで、ページに目が止まった。
 要項の後半。過去五年間の入試結果がある。
 文学部研究科修士課程と後期博士課程、それぞれの、過去五年間の入試結果。
 そのうち、修士課程の一番古い記録と、後期博士課程の三年前の記録――
 それこそが、昂貴が受験した年の記録だった。

 来年の入試要項のこのデータには、昂貴が修士を受験した年が消えて、私が受験する年が追加される。
 その記録の中に、私は『合格者』として、入れるのかな……。
「って……えええええ!?」
 と、そこで志願者と合格者の数字を見比べて、私は思わず声を上げてしまった。
 うちの専攻の修士課程の記録を見ると、志願者は50人前後、合格者は15人前後。
「……さ、35人も落ちるのおぉ……!?」
 内部進学者と外部進学者の比率については全く記載が無いけれど、全員が外部進学者だとしても倍率が高過ぎるように思う。
 文系の大学生は大学院に進む人が少ない。だから倍率が高いのだ。理系の大学生は大学院に進む人が多い。すなわち合格率が高いということだ。だからこそ、文系の大学院が難しいのは当然。
 だからって、この人数の落差はなんなのよおぉーっ!
「私、『入試』って、小学校以来なんだけど……」
 もちろん、内部進学だって試験はあったわよ。
 でも、こんな、外部と一緒の入試なんて……。
 ううう、嫌だわ、冷や汗が出そう。
「うわ、後期博士課程なんて一桁……!」
 しかも、試験は修士と全く同じ条件。
 修士課程の入試を乗り越えても、また三年後に、試験が控えてる。
 ……昂貴は、これを全部越えてきたんだ。
 考えてみたら、私、三年前の博士課程の合格者のうち三人と知り合ってる。
 三人とも、この関門を越えて、研究者として歩んでいるんだ。

 そうよ……知ってるわ。昂貴のこと。
 彼がどれほどレヴェルの高い研究をしているのか――。
 知り合う前、河原塚先生に見せてもらった昂貴の研究の成果を思い出す。
 あの時、本当の研究とはどういうものなのか教えられた気がした。
 もう、次元が違うと言っても良いほど。
 馬鹿とか、えっちとか、すけべとか、変態とか、そんな言葉ばかり口にしてしまうけど。
 わかってる。ちゃんと。

 ああいうひとになりたいな。昂貴みたいに。
 ただ美術史学者になるんじゃなくて、研究者として。
 大それた考えかもしれないけど。
 まだ大学院に進めるかどうかもわからないんだし。

 ずっと、目標になるひとはいなかった。
 先生や、集めた資料の著者で、すごいと思ったひとはいたけれど、ああなりたいとまで思ったことはなかった。
 彼に、追いつきたい。
 認められるような研究をしたい。
 そして同じ立場で肩を並べて話ができたら、どんなに。

 でも、昂貴だって、最初から今みたいな研究ができたわけじゃない。
 今の私と、学部四年生の時の昂貴とを比較しても、やっぱり雲泥の差があると思う。
 だけど、どれほど似た研究をしていても、彼は彼、私は私。
 私は、私の道を歩まなければいけない。

「……あ」
 ふと机の横を見やると、充電器に置いておいた携帯が鳴り出した。
 二小節ほどで途切れたのは、昂貴専用に設定してる、聞き慣れた着信音。
 今夜のおやすみなさいメールは、あなたが先ね。

 『う〜、疲れた…』という件名に、なにごとかと思ったけれど、今日は真貴乃さんと侑貴さんと一緒にお出かけしたんだって。『東京美味しいものツアー』と銘打って、真貴乃さんに片っ端から連れまわされたみたい。
 距離の近い、仲良し三兄弟ね。
 ねぇ、昂貴。
 あなたは今日、楽しい一日を過ごした?
 私はね、入試のことを考えて、ちょっと憂鬱になったりもしたけど、おおむね順調かな。
 緊張と不安と、ほんの少しの期待とが、私の心に混在してる。

『大丈夫。風澄なら……必ず受かるよ』
『おまえは、自分の目標を手にするだけの力を持ってるよ』
 ふと、昂貴の言葉が浮かんだ。
 八月の頭、ホテルに泊まった次の日に彼が言ってくれた言葉。
 プレッシャーもある。でも、それ以上に勇気づけられるの。

 「うん……頑張る」

 まだ告げていない入試の話は、マンションに戻った時にね。
 ちゃんと顔を見て話したいから。

「……だから……応援してくれる、よね?」

 負けないからね、昂貴。
 必ず、あなたに追いつくから。
 だから、待っていてね?
 いつかきっと来る、その時を――。
Line
To be continued.
2006.11.18.Sat.
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