共に生きる者

05.彼女


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 夕食はしっかり手伝わされた。母親に『なんだか昂貴、味付けが薄くなってない?』などと聞かれ、微妙に冷や冷やしたけどな。
 うちの家系は総じて料理上手・料理好きが多いが、真貴乃は例外。いっそ素晴らしいと言いたくなるほどの料理音痴だ。レシピどころか基本完全無視、むしろアウトオブ眼中なもんだから、放っておくととんでもないものを作り出してしまう。昔、『料理は化学だろうが、これが理系の研究者のすることか、定量って知ってんのかよ!』と言ったら『だって、お料理は実験じゃないもぉ〜ん』だとさ。……まったく、よく真貴乃にポスドクなんか務まるもんだ。紅茶は絶品なのになぁ。
 侑貴は滅多に作らないけど作らせたら上手い。一見ぼーっとしているように見えるが、考えてから行動する慎重派なだけで、頭の回転は早いし。それに元来、器用なタイプなのだろう、何においても、俺はこれまでに侑貴が大失敗をする場面を目にした記憶が無い。まぁ、大成功をする場面を見た記憶も無いんだが。そのへんは、単に俺が知らないだけかもしれない。料理の話に戻ると、侑貴は、具体的な名前のある料理より、そこにあるものを使って作るのが得意なようだ。ゆえに、レシピを見てわざわざ買い出しに行ってまで作ることは少ないのだが、残り物の活用術はなかなかのものである。
 父親もたまに台所に立つが、なぜか菓子類が得意だったりする。一体どこでこんな技術を会得してきたのかアンタはと言いたくなるが。おそらく、やはり菓子作りが得意な祖母に叩き込まれたのであろうと俺たち三兄弟は予想しているけれど、詳細は未だに謎。今日は冷凍庫に自家製アイスクリームがあり、食後、冷やされたガラス器に父親の手ずからスクープに掬われ、母親が真貴乃の土産のヌワラエリヤで淹れた紅茶と共に出された。これまでも、祝日の朝にホットケーキ作り始めたり、かと思えば週末の午後にクレープ焼き始めたり、家に苺やバナナが置いてあった日には、いきなり生クリームを泡立ててパフェの準備を始めたりしたもんな……わが親ながら、やっぱ変人。
 俺は俺で、生地からピザを焼いたり、上質なオリーヴオイルが手に入ればオイルソースのパスタを作り、美味そうなチーズが手に入ればリゾットを作り、時には父親仕込みのクッキーを焼いたりしたのだが、今や実家ではほぼ完全に助手である。
 そんな高原家のキッチンとダイニングは、今日も賑やか過ぎるほど賑やかだった。

 * * * * *

 で、その夜。
 少し気になったことがあったので、俺は風呂上りに真貴乃の部屋に行ってみた。ノックの答えは、相変わらず能天気且つ間延びした、は〜いという声。遠慮なくドアを開ける。
「真貴乃……いい?」
「いいよ〜ん、どうしたの?」
 振り返った顔は、やっぱり相変わらずな、にぱっとした笑顔を絶やさない姉。お互い、洗い髪を拭きながらのパジャマ姿という、どっちもどっちな格好。
 今は兄弟三人とも、別々の土地に暮らし、違う家に住んでいるけれど、俺たち三人の関係は、幼い頃から変わらない。気楽で気侭で、良い距離を保っていると思う。
 他家の兄弟の話を聞くに、兄と妹より、姉と弟のほうが兄弟の仲が良い場合が多いようだし、一番上が姉であることも大きいかもしれない。風澄の話を聞いていても、二人の兄とは、仲は良いにしろ、敬意が先に立つのか、俺たちのような気兼ねの無い関係とは違うようだった。まぁ、彼女の場合は、立場が立場なのだから、それもしかたがないかもしれないけれど。
 俺の場合は、家族に対して、そういう感情を抱くことが無かった気がする。特に姉と弟に対しては、敬意だのなんだのというと、なんか違うなと思う。考えてみると、得意分野は違えど、兄弟三人とも同じような学力だったのだ。だから高校は入れるところに入っただけ、大学は行きたいところに行っただけで、その結果、同じ高校に進学し、同じようなレヴェルの大学に進学したのだ。少なくとも学問においては同じ程度と言って良いだろう。風澄のように、小学校からのエスカレーター校ならまた話は違うだろうけど、もし、兄弟で成績に大きな差があった上、高校に大学に大学院と、受験があったとしたら……俺たちは、きっと今とは違う関係になっていただろうと思う。お互いに競争心も劣等感も起こりようが無かったのは、おそらくありがたいことなのだろう。もちろん、お互いの専門分野には敬意をはらっているけれど。
 通う場所が変わり、住む家が変わり、立場も肩書きも変わったけれど、それでも俺たち三人の関係は、変わらない。幼い頃から、なにひとつ。
 ほんの少しだけ気を張っていた自分自身から、力が抜けていくのがわかる。
「あのさ……聞きたかったんだけど、なんでわかった?」
「へ? なにが〜?」
「大事な子がいるってさ」
「ああ、やっぱりそうなんだ?」
 事実を当てたことを誇るでも、先ほどの、俺の否定の言葉をつつくでもなく、ただ、先ほどより少々柔らかい笑みだけを俺に返す姉。
 俺が真貴乃に敵わないと思うところは幾つもあるが、特にこういうところで、根本的な器量の差を感じる。鼎の軽重を問われる思い、というやつだ。
 だが真貴乃は、そんなことすら考えてもいないだろう。
 真貴乃が考えているのは、せいぜい『わ〜い、当たった〜』と『そうかぁ、良かったね〜』くらいなものである。言葉だけ取ると嫌味に聞こえるかもしれないが、本人にとってはテレビのクイズ番組を観ていて正解を当てるのも、テストで満点を取るのも、俺の真意を見抜くのも全て『わ〜い、当たった〜』であり、大学の同期の論文が高名な科学雑誌に載ろうが、所属している研究チームのプロジェクトが成功しようが、弟に大事な女性ができようが、結局は『そうかぁ、良かったね〜』なのだ。しかもそれは本心なので、言葉に裏が無いのに、勘繰っても意味が無い。こうなれば、あとは本人の度量次第である。
「まぁ『彼女』じゃないのは本当だけど。真貴乃に嘘ついても意味ないからな」
「あははっ、そうだね。見抜いちゃうからね、あたし」
「だけどさ、よくわかったよな」
「ん〜、でも、あたしが言わなくてもみんなわかったかも。なんかね、変わったよ、雰囲気」
「え……どこが?」
 全然、そんなの意識してなかったんだが。
「なんとなく。印象が柔らかくなったし、満たされてる感じがしたの」
「そうか?」
「すぐわかったよ。あ、今の昂貴は幸せだって」
 そうなのか……きっと真貴乃が言うんだから、そうなんだろうな。
 事実、俺は幸せなんだし、喜ばしいことだろう。
「なんでそんなに勘がいいんだかなあ……」
「見ればわかるよ、難しいことじゃないもん。ほら、辛い時に辛くないふりするのって難しいでしょ? 嬉しいことってあまり隠す必要が無いし、そのぶん気持ちを抑えることに慣れてないだろうから、なおさら難しいんじゃないかなぁ。黙ってたって、わかるときはわかるよ。あたしも欲しかった菌とか酵素とか実験用の機械とかが手に入ったら、しばらく口元緩んじゃって大変だし」
 そのなんでもかんでも生物学に結びつける癖はどーにかならんのか? ならんだろうな。
「いいじゃない、幸せなんだったら。いいことなんだもん。少なくとも、辛い時に辛くないふりしてるより、ずっといいでしょ〜?」
「ああ、そうだな……」
「昂貴、ほんとに幸せなんだぁ、良かったね〜」
 予想どおりの台詞が出て、思わず吹き出してしまった俺に、真貴乃は不審の目を向けるでもなく、ど〜したの? と首を傾げる。
「ね、昂貴の好きな子は、どんな子?」
「どんなって……彼女でも無いのに、あんまり詳しく言うのはなぁ」
「じゃあ、星座とか、血液型とか」
 占いの話、風澄ともしたな。女はそういう話に詳しいものなんだろう。
「十月生まれで、蠍座のA型って言ってたな」
「ああ……難しい子だね」
「そうなのか?」
「蠍座はね、すごく情熱的で、まっすぐ。普段は物静かでも、内に秘めたもののある、激しい性格なんじゃないかな」
「ああ、そんな感じはある」
 どんなことにも全身全霊で打ち込む、あの炎のような情熱。
 研究に対しても……『宗哉』に対しても。
「批判力旺盛で、真実を見抜くのが得意で、すごく辛辣。自信家に見えるかもしれないけど、どちらかと言えば悲観論者でマイナス思考、なのに不屈の闘志がある根性の人。いったん敵と認識したら容赦ないけど、自分にとって大事な人は、すごく大切にするよ」
 脳裏に浮かぶのは、彼女を想い、彼女と過ごした日々――。
 最初は、初めて彼女を知った時の、悲しみをたたえた、あの目。
 次は、授業で見た、学問に真面目に取り組む真摯な態度。
 それから、知り合ってからの、彼女のまっすぐな心。
 気が強くて、意地っ張りで、なのに素直で、なんでもできるのに不器用で、どれほど優秀な成績を修めようと、現状に慢心せず努力を怠らない。
 そして、強さと弱さの二面性。
 聞けば聞くほど、風澄らしい。俺が惹かれた、彼女だ……。
「でね、射手座との相性はすごく悪いんだよね〜」
「知ってるよ。本人に聞いた」
 いいんだよ、そんなもんどうでも。俺と風澄の気が合えば。まぁ、気分的に、良いに越したことはないんだが。しかし『宗哉』との相性は良かったというのが少々癪に障る。もう少し早く生まれていれば俺だって蠍座だったのに……ちっ。
「まぁ最悪じゃ〜ないからね〜。下には下が居るから安心しなよ〜」
「全っ然フォローになってないぞ、それ……」
「でも、蠍座と射手座って、意外と共通点あるよね〜。同じ秋生まれだからかな。性質は違うけど、なんだかんだ言って、頑固だし、確固たる考えを持ってるし」
「どっちも、研究者に向いてるって聞いたけど」
「うん、それもあるね〜。どっちも不動の唯一を求めるタイプだし。研究者って言ったら、山羊座とか、あとは牡牛座とか魚座もそうだと思うけどね〜」
 やばい、これでは、俺の好きな子も研究者を目指していると言ったようなものじゃないか――と、言ってから気づいて焦ったのだが、帰ってきた反応は、その点に関しては言及が全く無かった。ほっとした一方、なんだか寂しいような気もするあたり、複雑である。
「蠍座と射手座の相性は悪いけど、A型とO型の相性は良いんだろ?」
「そうそう。良かったね〜。星座占いは十三星座占いなんてのもあるし、十二星座占いの足場が緩んでる一方で、血液型占いは、血液型によって病気への耐性に差があるから、そこから性格に差が出てくるんじゃないかっていう考えもあるし、今や占いを越えている面もあるもんね。その延長で、究極の性格診断はHLA型じゃないかっていう説もあるんだよ。まぁ、血液型とHLA型は共通しないし、型が星の数ほどあるから、体系化するのはまず無理だろうけど、実現したらおもしろそうだよね〜」
「って、そりゃ移植医療だろうに。ある意味、実現してるんじゃないか?」
「あ、そっか、占いとか性格診断って考えたら遠いけど、単純にHLA型って考えたら、体系化は始まってるんだね〜」
「つぅか、なんで俺の好きな子の話から移植医療の話になるかなぁ……」
「そうだった、あはははは! 話題、飛びすぎだね〜」
 つられて俺も笑ってしまう。俺はただ、なんで真貴乃が気づいたのか聞きたかっただけなので、話題などなんでも良かったのだが、俺も、もう少し風澄の話をしたかったのかもしれない。ただ遠くから見つめるだけの日々から三年、彼女の存在が身近なものとなって一ヵ月半。目覚めた時も眠りにつく時も、俺の腕の中に風澄が居る。今や、自分の全てが風澄に繋がっているのだ、彼女に全く関わりの無い話など、幾つあるだろうか?
「蠍座のA型、かぁ……」
 少しばかり考え込む様子で、真貴乃は言った。
「大事にしなきゃだめだよ。大事にしたら、それだけ返ってくるはず。きっと、すごく想いが強い子だと思う。絶対不安にさせちゃ駄目。嫉妬深いけど、それは愛情がとてつもなく深いからなんだよね」
「へえ……」
 風澄に嫉妬してもらえたら俺は嬉しいけどな……いや、多少は嫉妬してもらえていると思って良いだろうか……少なくとも、萩屋と決着をつけてくれたのだから。思い返せば、あの時はすごかった。あの剣幕と態度。決してうるさいわけじゃないんだが、炎のように激しく他を圧する、鮮烈な女性。
「もし……ね、万が一、昂貴がその子を裏切ったり、許されないことをしたら」
「うん?」
「きっと一生許してもらえないよ。隠そうとしたって、すぐに気づかれて、先回りして切り捨てられると思う。謝ってもなにしても無駄」
「よくわかるなあ……たかが星座占いだろ?」
「そうじゃなくても、昂貴が本気になった子っていうだけで、そんな感じだろうなって思ったよ。違う?」
「……いや、あたり」
 本当、よくわかるもんだよなあ。俺の好みなんて知らないはずなのに。
「なくしたくないなら、絶対手を離しちゃだめだよ」
「真貴乃、おまえさ……」
「なに?」
「そこまでわかるのに、どうして恋愛しないんだ?」
「だって、恋愛しなきゃ生きていけないわけでも、恋愛しなきゃ生きていっちゃいけないわけでもないでしょう? あたしにはね、そういうものより、研究のほうが与えてくれるものがずっと多いの。小さいころから人間より本だったし。血液型占いとか星座占いとか性格診断とか、学問と同じで、単純に面白かったから詳しいだけ」
「……そっか」
「うん。それはね、そのひとしだいだから、正しいとか正しくないとか、普通とか異常とかじゃないんだよ」
 そう言って、年下の顔をした姉は年上の表情をして穏やかに笑う。……そういえば、なんだかんだ言って真貴乃も頑固だよな。態度はのほほんとしていて、なにも考えていないようだけれど、自分のしたいと思ったことを宣言して、必ず貫く。
「でもさ真貴乃」
「ん?」
「もし、おまえにそういう相手ができたらさ、俺、応援してやるよ。どんな奴でも、家族全員が反対しても、味方になってやる。真貴乃が本気で好きになった奴なら」
「あははっ、ありがと。たぶんないと思うけどさっ」
「いいよ、どっちでも。……ありがとう。悪かったな、遅くまで」
 一体何十分話していたのか、髪はほとんど乾いて、肩に掛けたままのタオルがすっかり湿っていた。
「ううん、そんなことないよ〜。まだ全然眠くないしね。……じゃ、おやすみ、昂貴」
「ああ、おやすみ」
 部屋に戻って時計を見ると、もう十二時だった。きっと風澄も寝る頃だろう。今、風澄はなにをしているのだろうか。家についてから充電しっぱなしだった携帯を開いてみると、受信メールが一件。ついさっきだ。
『家には無事ついた? 私は夕食を食べ過ぎてお腹一杯……。今お風呂からあがったところで、そろそろ寝ます。おやすみなさい』
 短い一文と、至極普通の内容。
 だけど嬉しかった。離れていても繋がっているようで。
 俺と風澄が、これまで交わした電話は一回。メールはそれよりも圧倒的に多いが、数えることは可能な程度だろう。普段そばに居るぶん、かえってそういう連絡手段を取る機会が無いのだ。
 一番の望みは、一緒に居ること。それは当然だ。
 だけど、携帯の画面を見るだけで、満足感と幸福感が広がる。電話やメールの履歴に彼女の名前が入るだけで。
 こんなメールひとつでも、風澄からだと、ついつい浮き足立ってしまう。
 恋愛に慣れぬ少年でも無いのに、こんな姿。みっともないかもしれない。格好悪いかもしれない。でも、俺は、誰が何と言おうと、幸せだった。
『ちゃんとついてるよ。姉が土産にティーセットと紅茶をくれたから、帰ったら使おうな。食べすぎには注意。でも風澄はもう少し太ったほうがいいかもしれないな。俺もそろそろ寝ようと思ってたところ。おやすみ』
 大事な子が居るんだろうってからかわれたとか、そんなことは書けやしないけど。
 他愛のないメールを交わすだけでも、こんなに満たされるのは相手が風澄だから。
 言葉を伝える相手の居なかった三年間は、もう過去のこと。
「おっ」
 送信したら数分と間を開けずに返事が来て、ますます嬉しくなる。
 別々の場所に居ても、声を交わさなくても、お互いのぬくもりを重ねなくても、俺たちは今、同じ時間を共有しているんだな……。
『ティーセットと紅茶? 見るの楽しみ! 私も火澄兄にたくさんもらったよー。でも太るのはいやあぁ〜っ』
 末尾に携帯の機種依存の泣き顔マークつけて。
 なんだかその情景が目に浮かんで、笑ってしまった。
『ま、そのぶんたくさん動けばいいさ。じゃ、おやすみ』
『って、なに考えてるの!? もぉ……おやすみなさい』
 うーん、やっぱりそっちの意味だと思われたか。まぁ、それもあるけど。
 おやすみって二回も言い合っちまったな。まぁいいか。普段はだいたいセックスになだれこんだまま寝てしまうことが多いから、あんまり言ったことがなくて照れくさい。今度、ちゃんと言ってから寝るのも良いかもしれない。
 冗談半分にハートマークでもつけようかと思ったけど、ちょっとできないな。
 ま、そういうキャラじゃないし。

 おやすみ、風澄。
 どうかいい夢を見られますように。

 できることなら、ふたりの出てくる同じ夢を……。
Line
To be continued.
2006.08.23.Wed.
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