共に生きる者
03.帰省
* Kouki *
東京二十三区のはずれに、俺の実家がある。無駄に馬鹿でかい家だ。五人家族のうち三人しか住んでいないのにこのサイズ。非常に不経済だと思う。本の収納場所には困らないから助かるけど。周りは区内のくせに田舎っぽいっつーか、いかにも東京のはずれって感じの街だ。むしろ市内に近い雰囲気の街。俺は今もっと都会に住んでいるんだが、こういう雰囲気も嫌いじゃない。ド田舎は苦手だけどな。
イタリアでも、フィレンツェが好きだった。俺の研究している画家はフィレンツェには滞在しなかったから、研究の上では殆ど縁の無い土地だったけれど、イタリアでも指折りの美術館には、その画家の作品だけを集めた部屋があり、何度も足を運んだものだった。山に囲まれた街は、こぢんまりとしていて、居心地が良かった。それまでに授業や本などで目にした作品が山ほどあったし、美術館の中だけでなく、街中が芸術で埋め尽くされていた。観光客が多くて、日本人グループもよく見たな。
俺が居たのはイタリアの北と中央ばかりで、実はローマ以南のことはそれほどよくは知らない。そもそもイタリアが現在の国の形になったのは最近のことで、あの『長靴型の半島』に多くの小国が集まっているだけだったのだ。それが一つのまとまった国になったのは十九世紀半ば、現在の共和制になったのは二十世紀半ばのこと。現在では二十州の行政区分に分類されている。ゆえに、イタリアという国は、『統一された一つの国家』と考えると同時に、『二十の州が集まってできた地方都市国家』と考える必要がある。当然ながら、現在も地方の特性が色濃く残っていて、今でこそ同じ国に属しているけれど、かつては異国であったことを強く思わせる。俺が好きな場所を例に挙げるなら、半島の中央に位置するローマはラツィオ州、その北にフィレンツェがあるトスカーナ州、更に北上するとミラノがあるロンバルディア州という調子だ。
ナポリは治安が悪くて少し苦手だった。あまり良くない言い方をすればガラが悪い。たぶん異国によくある北が裕福で南が貧乏ってパターンなんだろう。
とは言っても、イタリアの北東に位置するヴェネツィアも似たような印象だったけれど。ヴェネツィアは美術史においてはそれほど興味がなかったんだが、ずっと、あの水の都に行ってみたいと思っていたのだ。けれど実際はなんだか下町っぽくて意外だったな。思ったより観光地化していたことも原因のひとつかもしれない。スリも見たし。
ミラノは、イタリアの中ではローマの次に規模が大きい街と言っていいだろう。ローマが政治の中心ならミラノは商業の中心。ミラノコレクションと言えば世界で注目されるイベントだし、ファッションとデザインに溢れる洗練された雰囲気の街で、気に入っていた。あの街のドゥオモはイタリアで一番好きな建物だったし。
一番長く過ごしたローマは東京の次くらいには詳しい。ここも治安が悪いが、だいぶよくなったほうらしい。そして、あらためて言うまでもない、美術作品の宝庫だ。観光客も腐るほど居た。ヴァチカンにも何度も行ったが、なにしろ広いもんだから、迷ってしまったこともある。別に方向音痴ってわけでもないんだがなあ。やはり、『市国』とはいえ、『国』という文字を付けて呼ばれるだけの広さを持つ場所だということだろう。
いつか風澄とイタリアに行けたらどんなにいいだろう。俺は密かにそんな希望を抱いている。叶うかどうかなんて全くわからないし、むしろ実現可能性は著しく低いけど、想像するのは自由だろう。
イタリアだったらどんなプランだって自信を持って案内できるな。気に入ってる店やホテルに連れて行って、最新のミラノファッションで街を歩く。風澄ならきっとイタリア人にだって負けないくらい、いや、モデルにだって敵わないくらいにたやすく着こなしてしまうだろう。風澄が前に言ってたお気に入りのティールームにも連れて行きたい。見せたい絵画や彫刻や建築物が、それこそ山のようにある。それから、飛行機の離着陸ではしっかり手を繋いでいてやらないとな。
一緒にいられるこの奇跡のような日々はいつまで続くのだろうか。夢ではないからこそいつか終わってしまうのが怖くて、いつもその日その日のことだけを考えていた。ずっと先のことなんか考えられなかった。
風澄と離れてみて気づく。これがほんの一ヶ月半以上前の日常だった。研究ばかりで、ときどきふと彼女のことを思い出すだけの日々。
だけど、今は俺のそばに風澄がいる。誰よりも、いちばん近くに。
一緒に居られない寂しさもあるけれど、離れても大丈夫だと思える強さも、今はある。全て彼女からもらった想いだ。これがもう少し前だったら、縛りつけてでも離したくないと思っていただろう。離れたら俺のことなんか忘れてしまうんじゃないかと思って。
今は違う。
お互いの存在が大切だということに気づいたから。それをお互いに知っているから。
このへんで、少し考えてみるのもいいかもしれない。俺にとっての風澄と、風澄にとっての俺について。この関係について。
ま、俺から離れたりなんてことは絶対にないけどな。
* * * * *
東京の端、二十三区に数えられる街の一つ。
そこは、俺が生まれてから――いや、生まれる前から住んでいた街だった。
同じ都内とは言え、一人暮らしをしているとなれば、実家までの道のりは懐かしいものになる。俺は小中学校は区立、高校は都立と、近場の学校ばかりだったから、当然ながら、思い出される記憶はその頃のものだった。
今でこそ、俺は日本のトップクラスの私大に在籍しているが、思い返してみると、高校まではかなり平凡な人生を歩んでいたんじゃないかと思う。まぁ成績は元々良かったし、高校は学区内一位の学校だったから、やはり恵まれてはいたのだろうけど。
その頃の生活も、決して悪くはなかった。
両親が居て、姉が居て、弟が居て。
それなりに学校は気に入っていたし、それなりに部活動なんかも楽しんだし、それなりに仲の良い友人も居て、それなりに彼女も居た。
だけどその楽しさは『それなり』でしかなかったのだろう。
あの頃は、風澄を知らなかった。
住んでいる場所は違うけれど、決して遠い距離じゃない。
通う場所も違うけれど、学校は同じ。女子高は今のキャンパスに近いから、時々見るあの淡いグレーの制服に身を包んだ彼女とも、どこかですれ違っていたかもしれない。
もしかしたら、どこかで。
網膜に焼き付いているのは、まだ十八歳の彼女。
時折キャンパスで見かけた彼女。
そして、二十一歳の、リアルタイムの彼女。
部屋を出る時に繰り返したくちづけはとても甘くて。
思わず頬が緩む。
ドアを閉めた瞬間、扉を開いて、もう一度その口唇を味わいたかった。
明々後日の夕方には、息もできないほど抱きしめて、もういやだと言っても離さない。
そのなめらかな肌を深く味わって、逢えない数日の心の渇きを満たして欲しい。
覚悟しておくって、言ったもんな?
思わずにやけてしまいそうな気分を抑えて、久しぶりの街を見渡す。
見慣れていたはずの風景に、ふと違和感を憶えた。
真夏の太陽に照らされた街路樹の落とす影は、これほど濃かっただろうか。
この街は、これほど鮮やかな色彩に染められていたのだろうか?
答えなど、知っている。
俺の傍らに、風澄が居るからだ。
彼女の心の中に、俺が居るからだ。
今は。
「……暑い、な」
額にかかる汗と髪を手の甲で拭う。
彼女と知り合ったのは、まだ梅雨の残る七月のこと。
今はもう、夏の盛り。
東京二十三区のはずれに、俺の実家がある。無駄に馬鹿でかい家だ。五人家族のうち三人しか住んでいないのにこのサイズ。非常に不経済だと思う。本の収納場所には困らないから助かるけど。周りは区内のくせに田舎っぽいっつーか、いかにも東京のはずれって感じの街だ。むしろ市内に近い雰囲気の街。俺は今もっと都会に住んでいるんだが、こういう雰囲気も嫌いじゃない。ド田舎は苦手だけどな。
イタリアでも、フィレンツェが好きだった。俺の研究している画家はフィレンツェには滞在しなかったから、研究の上では殆ど縁の無い土地だったけれど、イタリアでも指折りの美術館には、その画家の作品だけを集めた部屋があり、何度も足を運んだものだった。山に囲まれた街は、こぢんまりとしていて、居心地が良かった。それまでに授業や本などで目にした作品が山ほどあったし、美術館の中だけでなく、街中が芸術で埋め尽くされていた。観光客が多くて、日本人グループもよく見たな。
俺が居たのはイタリアの北と中央ばかりで、実はローマ以南のことはそれほどよくは知らない。そもそもイタリアが現在の国の形になったのは最近のことで、あの『長靴型の半島』に多くの小国が集まっているだけだったのだ。それが一つのまとまった国になったのは十九世紀半ば、現在の共和制になったのは二十世紀半ばのこと。現在では二十州の行政区分に分類されている。ゆえに、イタリアという国は、『統一された一つの国家』と考えると同時に、『二十の州が集まってできた地方都市国家』と考える必要がある。当然ながら、現在も地方の特性が色濃く残っていて、今でこそ同じ国に属しているけれど、かつては異国であったことを強く思わせる。俺が好きな場所を例に挙げるなら、半島の中央に位置するローマはラツィオ州、その北にフィレンツェがあるトスカーナ州、更に北上するとミラノがあるロンバルディア州という調子だ。
ナポリは治安が悪くて少し苦手だった。あまり良くない言い方をすればガラが悪い。たぶん異国によくある北が裕福で南が貧乏ってパターンなんだろう。
とは言っても、イタリアの北東に位置するヴェネツィアも似たような印象だったけれど。ヴェネツィアは美術史においてはそれほど興味がなかったんだが、ずっと、あの水の都に行ってみたいと思っていたのだ。けれど実際はなんだか下町っぽくて意外だったな。思ったより観光地化していたことも原因のひとつかもしれない。スリも見たし。
ミラノは、イタリアの中ではローマの次に規模が大きい街と言っていいだろう。ローマが政治の中心ならミラノは商業の中心。ミラノコレクションと言えば世界で注目されるイベントだし、ファッションとデザインに溢れる洗練された雰囲気の街で、気に入っていた。あの街のドゥオモはイタリアで一番好きな建物だったし。
一番長く過ごしたローマは東京の次くらいには詳しい。ここも治安が悪いが、だいぶよくなったほうらしい。そして、あらためて言うまでもない、美術作品の宝庫だ。観光客も腐るほど居た。ヴァチカンにも何度も行ったが、なにしろ広いもんだから、迷ってしまったこともある。別に方向音痴ってわけでもないんだがなあ。やはり、『市国』とはいえ、『国』という文字を付けて呼ばれるだけの広さを持つ場所だということだろう。
いつか風澄とイタリアに行けたらどんなにいいだろう。俺は密かにそんな希望を抱いている。叶うかどうかなんて全くわからないし、むしろ実現可能性は著しく低いけど、想像するのは自由だろう。
イタリアだったらどんなプランだって自信を持って案内できるな。気に入ってる店やホテルに連れて行って、最新のミラノファッションで街を歩く。風澄ならきっとイタリア人にだって負けないくらい、いや、モデルにだって敵わないくらいにたやすく着こなしてしまうだろう。風澄が前に言ってたお気に入りのティールームにも連れて行きたい。見せたい絵画や彫刻や建築物が、それこそ山のようにある。それから、飛行機の離着陸ではしっかり手を繋いでいてやらないとな。
一緒にいられるこの奇跡のような日々はいつまで続くのだろうか。夢ではないからこそいつか終わってしまうのが怖くて、いつもその日その日のことだけを考えていた。ずっと先のことなんか考えられなかった。
風澄と離れてみて気づく。これがほんの一ヶ月半以上前の日常だった。研究ばかりで、ときどきふと彼女のことを思い出すだけの日々。
だけど、今は俺のそばに風澄がいる。誰よりも、いちばん近くに。
一緒に居られない寂しさもあるけれど、離れても大丈夫だと思える強さも、今はある。全て彼女からもらった想いだ。これがもう少し前だったら、縛りつけてでも離したくないと思っていただろう。離れたら俺のことなんか忘れてしまうんじゃないかと思って。
今は違う。
お互いの存在が大切だということに気づいたから。それをお互いに知っているから。
このへんで、少し考えてみるのもいいかもしれない。俺にとっての風澄と、風澄にとっての俺について。この関係について。
ま、俺から離れたりなんてことは絶対にないけどな。
* * * * *
東京の端、二十三区に数えられる街の一つ。
そこは、俺が生まれてから――いや、生まれる前から住んでいた街だった。
同じ都内とは言え、一人暮らしをしているとなれば、実家までの道のりは懐かしいものになる。俺は小中学校は区立、高校は都立と、近場の学校ばかりだったから、当然ながら、思い出される記憶はその頃のものだった。
今でこそ、俺は日本のトップクラスの私大に在籍しているが、思い返してみると、高校まではかなり平凡な人生を歩んでいたんじゃないかと思う。まぁ成績は元々良かったし、高校は学区内一位の学校だったから、やはり恵まれてはいたのだろうけど。
その頃の生活も、決して悪くはなかった。
両親が居て、姉が居て、弟が居て。
それなりに学校は気に入っていたし、それなりに部活動なんかも楽しんだし、それなりに仲の良い友人も居て、それなりに彼女も居た。
だけどその楽しさは『それなり』でしかなかったのだろう。
あの頃は、風澄を知らなかった。
住んでいる場所は違うけれど、決して遠い距離じゃない。
通う場所も違うけれど、学校は同じ。女子高は今のキャンパスに近いから、時々見るあの淡いグレーの制服に身を包んだ彼女とも、どこかですれ違っていたかもしれない。
もしかしたら、どこかで。
網膜に焼き付いているのは、まだ十八歳の彼女。
時折キャンパスで見かけた彼女。
そして、二十一歳の、リアルタイムの彼女。
部屋を出る時に繰り返したくちづけはとても甘くて。
思わず頬が緩む。
ドアを閉めた瞬間、扉を開いて、もう一度その口唇を味わいたかった。
明々後日の夕方には、息もできないほど抱きしめて、もういやだと言っても離さない。
そのなめらかな肌を深く味わって、逢えない数日の心の渇きを満たして欲しい。
覚悟しておくって、言ったもんな?
思わずにやけてしまいそうな気分を抑えて、久しぶりの街を見渡す。
見慣れていたはずの風景に、ふと違和感を憶えた。
真夏の太陽に照らされた街路樹の落とす影は、これほど濃かっただろうか。
この街は、これほど鮮やかな色彩に染められていたのだろうか?
答えなど、知っている。
俺の傍らに、風澄が居るからだ。
彼女の心の中に、俺が居るからだ。
今は。
「……暑い、な」
額にかかる汗と髪を手の甲で拭う。
彼女と知り合ったのは、まだ梅雨の残る七月のこと。
今はもう、夏の盛り。
To be continued.
2005.11.03.Thu.
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