共に生きる者

02.つかの間の別離


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 ずっと、どちらかの家でふたりで過ごしていた夏休み。
 その日は珍しく、私の部屋だった。
「じゃあ、俺は行くな」
 そして、玄関にて。さすがに支度は昂貴のほうが早かった。いつも私の部屋に来る時に自分の部屋から持ってくるものや、あらかじめ置いている荷物を簡単にまとめるだけだったし、あっという間。私は部屋の片付けもしたかったし、準備が整うまでもうしばらくかかりそうだったから、待たせるのも心苦しいし、後に出ることにした。
「それじゃあ、日曜日の夕方に、ここでね」
「時間はどうする? 夕食はこっちで食べたほうが時間的には良いよな」
「ん、そうね。じゃあ、六時半か……七時前ごろ?」
「了解。……それじゃ、三日後に」
 そう言って、昂貴は少しかがんだ。いってらっしゃいのキスしてって。それがなんだかおかしくてしないでいると、まだ? っていうふうに近づいてくる。だからそっとついばむような軽いキスをした。
「……足りない」
「え?」
「今日も入れて、四日分」
 そう言うと彼は荷物もおろさず激しいキスを繰り返した。無理矢理抱き寄せて、息もできないほどの熱いくちづけを、四度。一回ぶんが一日ぶんってこと?
 逢えないのは明日と明後日だけで、明々後日には、また逢える。全く顔をあわせないのは、二日だけなのに。
「帰ったらちゃんと身体で返してもらうからな」
「……覚悟しておきます」
 でも負けないからねって伝えたくて、私からも一回キスをした。お返しするように深く。昂貴がちょっとだけ低いところにいるとはいえ、やっぱり裸足で背伸びしただけじゃ14センチの身長差は埋まらない。かがんで応えてくれるのが嬉しい。
 お互い、実家に帰るのはやっぱり必要なことだと思うけど、会えない思うとちょっと寂しいな。……ううん、すごく寂しいと思う。お互い家族とも仲のいい家だから、帰ってしまえばそれなりに楽しく過ごせるんだろうけど。
「メールしてね」
「風澄もな。電話はやっぱ、しないほうがいいよな」
「時間も合わないだろうしね」
 お互い電話が好きじゃないというのもあるんだけれど、会話を聞かれて関係を問われたらちょっと困る。後ろめたいのかもしれない。背徳的な関係ではないにしろ、やっぱり、きちんと言うことはできないから。問われた時に、どう答えたらいいのか、自分たちでさえわからないのだから。
「日曜日の夜、壊しちまわないか心配」
「もう、今朝までさんざんしたでしょう?」
「だからさ、毎日しててもこれなんだから、四日もしなかったら相当溜まるぜ? なにしろ、三日で満タンになるんだから」
 なっ、なんてこと言うんですかこのひとは。しかも玄関で。
「ううう……お手柔らかにぃ」
「まぁ、そのぶん風澄も『溜まってる』だろうから、大丈夫か」
「なにがよ、なにがっ!」
 女の子の身体はそういうシステムじゃないでしょうが! と思ったら。
「欲求不満が」
 …………。あのねえ。
「風澄だって毎日毎回応えてくれてただろ?」
「もぉっ、馬鹿なこと言ってないで早く行きなさいよっ!」
「うーわー、冷たーい」
「……だって、いつまでもこんなことしてたら、行かせたくなくなっちゃうもん」
 むっとしてそう言ったら、がばっと私を抱きしめて、またキス。さっきまでのだって凄い熱くて深かったんだけど、これまたものすごい激しい。これでしばらくできないんだって考えたら、思わずぎゅっと抱きついてた。
 終わって欲しくなくて、一度離れかけた口唇に私から触れたら、彼も応えてくれた。それが嬉しくて、もう本当にこれ以上したら我慢できなくなるギリギリのところまで、続けてしまった。
 それでも、くちづけは終わる。
 舌と舌が離れて、唾液の橋が伝って切れた。
 息は荒いままだったけれど。
「……っは。行かせてもらえないのは困るから、今日はここまで」
「はぁ……っ。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
 ぱたん、とドアが閉まる。散々だらだらしていたけれど、行くと決めた時は割とあっさり出て行ってしまうのが昂貴だ。まぁ、延々三十分くらいここで喋ってたし。それに、そうやってきっぱり出て行かないと、いつまでも居座ってしまうだろうということも、お互いわかってる。名残惜しくて。
 昂貴のいない部屋は久しぶり。もちろん、時々買い物に行ったりお散歩に出たり、部屋を空けることはあったし、一緒じゃない時もあったけれど、長時間帰ってこないっていうのはあまりなかった。だいたい、出かける時も、大抵一緒だったし。
 不思議。
 たった一月半前には、知らなかった人なのに。

 一人暮らし同士で、しかも同じ学校で、学生で、しかも今は夏休みで……そんな時、親しい異性が半同棲状態になってしまうのは、至極あたりまえのことかもしれない。
 でも、私は、そんなだらしないこと、絶対しないって思ってたのに。
 異性と一緒に暮らすなんて、きちんと家族の了解を取って、周りに認められる形で、お互いに明確に好意を抱いている者同士でなかったら、絶対しないって、思ってた。
 なのに今は、彼の居るところに私が帰って、私の居るところに彼が帰って。今は、それがあたりまえで。疑問を差し挟む余地も、拒む理由もなくて。既に習慣の一環で。
 ずるずる一緒に居る。こんなの、一緒に暮らしているのと、どう違うんだろう。
 同棲? 同居? ――どちらとも合っているし、どちらとも違う。
 好きか嫌いかで言ったら、圧倒的に好きのほうが大きい。
 信じてるか信じてないかで言ったら、圧倒的に信じてるほうが大きい。
 でも……お互いの関係を表現する言葉は、まだ見つからない。

 河原塚先生は、昂貴を紹介してくれると言ったとき、彼の話を色々してくれた。イタリアに何度も留学してることだとか、その研究の態度だとか、成果だとか。学生なのにここまで評価されてるんだ、すごいひとだって思った。
 だから、初めて逢った日に酷いことを言われたときはすごく腹が立った。裏切られたような気持ちで。悲しかったのかもしれない。きっと、心のどこかで、まだ見知らぬ『後期博士課程の高原昂貴さん』に憧れていたんだと思う。
 私が一瞬でも憧れた人はこんな男なの? ――そんな身勝手な考えで。
 彼は私に酷いことを言ったし、したけれど、私だって同罪だったのかもしれない。
 先輩で、先人で、そういう考えで。自分と同じレヴェルの一個人だって考えてなかった。
 そういう考え方を、私は誰より嫌っていたつもりだったのに。
 あの日、ああして知り合うことが無ければ、今でもたぶん、私と彼は他人のままだった。
 きっと、杉野くんと気まずくなることも、萩屋さんと対峙することも、浅井さんと知り合うことも無く――彼と過ごす、幸せな時間を知ることも無く……。

 でも、あの時は、研究はちゃんとしたいし資料やアドバイスは欲しかったけど、途中までそんなこと忘れてたくらいにムカついて、負けるものかって思った。
 偶像は簡単に本人の手によって破壊されて、その本性は『馬鹿で変態』だったけど。
 でも、それだけが昂貴じゃないことも知ってる。
 尊敬してる。できることの多さ、そしてその上手さ。
 抱きしめる優しさも抱く激しさもみんな。
 なくしたくない。決して。

 さっきまで彼に触れていた口唇に、そっと指を這わせる。
 もう慣れきってしまった、あの味。あの感触。
 つい数時間前まで抱かれてた、あの腕。
 思い出すだけで身体が反応しそう。
 遠く離れて暮らす恋人同士の一時の別れのような会話と行為。
 実際はそんな関係じゃないし、三日経てば、すぐに逢える。
 なのにどうしてこんなに寂しいんだろう?
「……いなきゃだめなのは、私だけ……じゃない、よね……?」
 だけど、昂貴がいなくて、心にぽっかり空間が空いちゃってる。
 そこには、前は違うひとがいたのに。
 心だけじゃない。ずっとひとりで暮らしてきた部屋まで、がらんとしてる。
 寂しいような、悲しいような、切ないような……。
 こんな感じ、ずっと前から知っていたようで、知らなかった気がする。
 こういう気持ちをなんて表現したらいいんだろう。
 まだ、私にはわからなかった。
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To be continued.
2005.10.08.Sat.
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