唯一のもの、唯一のひと

08.決着


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 怒りと嫉妬が綯い交ぜになった表情で、わずかに身体を震わせながら、尚も私を睨みつける彼女と、心の奥底の動揺を押し隠しながら、腕と脚を組んで冷然と彼女を見据える私の間に、長いような短いような沈黙が流れた。
 そして、しばらくの時間が経過した頃、コンコン、とノックの音がした。これは合図。鍵はかけてあるから、ふたつ支給されているうちのもう片方を使って開ける――昂貴が。
「邪魔するぜ。……ケリはついたか?」
「ついたと思うけど。どうかしら?」
 これだけ言って、しかも昂貴まで来て。これで諦めなかったらすごいと思う。まぁ、それで引き下がるような想いなら、最初からその程度よ。
 そして私はなにがあったってこのひとを渡す気はない。
「おい、なんでおまえボタン外してるんだよ」
 さすが、目ざといわね。
「見せたもの。わかりやすいでしょ?」
「確かにな」
 くっくっと昂貴が笑う。そのシーンを想像したんだろう。私がどんなふうにこのひとを激昂させたか。言っておくけど、あなた直伝でもあるのよ?
「だけど、これが本当に俺がつけたものか、おまえは知らないもんな……萩屋」
「……そうよ、そんなの信じないわ」
「俺がつけたって言っても?」
「だって信じられないわよ、信じようっていうほうが無理だわ! あの……あの高原が、そんな女ひとりに夢中になるなんて……誰も信じやしないわよ!」
「……まぁ、確かに」
 昔の昂貴って、そんなにいい加減な人だったの? とても信じられない。後できちんと聞いておいたほうがいいかしら。でも私の知ってる昂貴は全然そんなひとじゃなかったし、そんなこと知らなくても全然不安じゃなかったな。
 だって、いつも昂貴は私のことを優しく包んでくれたもの。あの腕の優しさが嘘だったら、私はもうこの世のなにも信じるなんてできないと思う……。
「しょうがねぇなぁ……」
 昂貴はため息をついて、私に近づく。
「はぁ……なぁ風澄、最近俺ら人前が多くないか?」
「……確かに。でも、自主的には嫌だからね」
「ちっ。ま、さっさと済ますか」
「ちってなによちって! それ以外は了解。でも手抜きしたら許さないからね?」
「しねえよ。だいたい、できないね」
 昂貴はそこで一度言葉を切って。
「……風澄が相手なら」
 そう言うと、彼はデスクに掛け、そこに私を乗せて膝の上に抱き上げて、左腕で頭を支えると、いきなり私のブラウスをはだけて、その首筋に――キスをした。
「っ……!?」
「……ん、あ……あぁ……」
 あぁ、声が出ちゃう。ううう。だけど、出さずにはいられないわよ、こんなの。もう、気持ち良すぎて……酔いそうなくらい。ううん、もう酔ってるわね。昂貴に触れられると、いつだって酩酊状態にされちゃう。肌へのキスだけなのに。
 お酒なんか飲まなくたって、私は酔うってことを知ってる。
 私が酔うには、アルコールなんか要らない。彼さえ居れば、その腕の中でなら……。
「……あ……ぁ……、こうき、こぉきぃ……」
「…………ん……っ……かすみ……風澄……っ」
 きつく痕を残しながら、私の名前を呼ぶ。また、うわごとのように。繰り返すキス。ブラウスの隙間を右手で開き、まさぐりながらその痕を増やしていく。そして。
「……かすみ……」
 熱い吐息。甘い囁き。
「かすみ……かすみ……っ」
 頭が、ぼうっとしていく。
 耳から伝わるその響きに魅了されて、全身がとろけていく。
「ふ……っ、あぁ……ん、あん……」
 一体何分くらい、そうしていただろうか。
 昂貴の愛撫がしだいにその執拗さを抑えて、私の頭はやっとはっきりしだした。
 あぁ……気持ちよかったのに、このまま続きができないのって辛いわね……。
 でもとりあえず、一番大事なのはここを乗り切ること。
「ふぅ……大丈夫か?」
「……ん」
「おまえほんと、感度いいよなぁ。何度しても飽きない」
 ふたりでくすくす笑って、昂貴は私の乱れた服をそっと直してくれた。ボタンはやっぱりしないで、たぶん今つけた痕も見えてる。
「……で?」
 昂貴は冷たい視線を向け、腰が抜けたように動けずにいる彼女を見やった。やっぱり、誰でもこんなことを目の前でされたら驚くわよね。しかも、好きな男性が、別の女を相手に。驚くどころか、放心状態になったっておかしくない。
 でも、あれだけうるさく言っていた人をこうして一撃のもとに叩き潰すのは、ちょっと気持ちがいい。立て続けに浴びせられたあの侮辱に、一気に反撃できるから。杉野君のときも、萩屋さんのときもそうだった。私も、相当性格悪いわね……でも、仕方ない。
 昂貴は渡さない。
「これでもまだわからない? これは俺のつけた痕だって……」
 つけたばかりの新しい痕を、首筋から順に触る。そのたびに私はぴくりと反応してしまう。もおぉっ、そんなふうに触られたら感じないわけないじゃないの! だいたいあんなふうにキスされて、こっちはもう完全にその気なんだから。
「やだ、もう痕だらけじゃない……」
「本当だ。うわ、やらしいな」
「そんなに嬉しそうに言わないでよ。だいたい、あなたがしたことでしょう?」
「だから嬉しいんだろ。でも、少し控えるかな……正体は内出血なんだし。ちょっと心配だな。やりすぎかもしれない」
「内出血か……なんだか怪我してるみたいね」
「じゃあ治療しなきゃ……んっ」
 そう言うと昂貴はまた私のブラウスの合わせ目に顔を寄せて、肌に触れ始めた。口唇が表面をなぞっていく。息が当たってくすぐったい。そして背筋に走る快感。
「……っ……あぁ……やぁん……また増やしてどうするのよぉ……」
「増やしてないよ……舐めてんの」
 いやあぁん、続きできないのにそんなことしないでよぅ。
 でも気持ちいいの。やめないで欲しいの。ずっとずっとこうしていて。
「やめてよ! 私が見てるのになんてことするのよ!」
「そりゃ、見せてるんだからな」
 バッサリと切り捨てる昂貴。ううん……キツい。私も性格キツいし言うこと厳しいと思うけど、昂貴も相当だわ。
「見たくないなら出て行けよ。俺たちはしばらくここで楽しむからさ」
「っ……」
「それとも、続きが見たい? 成人指定のAV並のプレイが生で見られるぜ」
 ちょ……なんてこと言うのよ! って、あのねえ、見るって言われたら本気でする気!? もおぉ……そんなはずないってわかってるからいいけど。
「見ものだろ、知ってる男と女だしな……興奮する?」
「そんなことあるわけないでしょ! だいたい、できるわけないじゃない、そんな人前で……あなた、彼女とだって、人前で手を繋ぐのも嫌だって……!」
「ふぅん……これだけ見て、まだわからないのか? 俺は別に、大学の全学生の前でこうしたって構わないんだぜ」
 えええええぇーっ!? それは絶対嫌あぁ!
「……まぁ、こんな風澄を他の奴らに見せたくないから、しないけどな」
 ううう……良かった……。
「で……本当に、続き見る?」
「っ、結構よっ! ふたりして好きなだけズコバコするといいわっ! この、淫乱で色情狂の変態カップル!」
 そう言って彼女はだっと駆け出し、すごい勢いでドアを閉めて出て行った。
「……あーぁ、髪振り乱して。ああやって怒鳴りつけて、馬鹿にすることで、プライド保ってるつもりなんだろうな……」
「なんだか、またすごいこと言ってたね……イメージじゃないなぁ」
 私は本当にびっくりしてしまった。ずこばこって……品の良さそうなひとなのに……。
「意外と、本当にそんなビデオ観たことあったりして」
「でも、観たことのあるひとのほうが多いんじゃないかしら、最近は……。女の子でも、彼氏に観せられたことあるっていう話、聞いたことあるし」
「風澄は?」
「ええぇっ!? ないわよ! だいたい、十八歳の頃からずっと彼氏いないんだし!」
「……あ」
「もぉ……なに言い出すかと思えば」
「じゃあ観たことないんだ。今度観る?」
「絶対嫌っ!」
「うわ即答……」
「だってそんなの観てる昂貴なんか見たくないもの!」
「なるほど?」
 側にいるのに他の女を見られてたら、腹が立つ。そして、悲しい……。きっと自分に自信なんかなくなる。ただでさえ、相手の気持ちがはっきりとはわかっていないのに。
「まぁ、俺はそういうことを風澄にしたくて興奮するし、風澄としかしないけどな」
 ううう、なんて恥ずかしいことをさらりと言うんですかあなたってひとは……。
「……昂貴はあるのよね?」
「なにが?」
「そういうビデオ観たこと」
「まぁ、そりゃ……ないこともないけど」
「ふーん……」
 そりゃあ拗ねたわよ。ないわけないんだろうけど、わかってても嫌だもん。嘘つかれるほうが嫌だから、いいけど。
「仕方ないじゃないか、俺だって心身共に健康な男なんだから」
「わかってるもん。別に気にしてないもん、そんなこと」
「そうかぁ?」
「そうよっ!」
 うっかり強い口調で言い返しちゃったぶん、本心さらけ出しちゃった気もするけど。
 こんな言い方しちゃったら、自白したも同然。
 馬鹿みたい、また嫉妬してる。実在の女性どころか、ブラウン管の中のひとなのに。
 男性がそういうビデオを観るのは、恋愛感情とは別の意味があるって知ってるのに。
 でも、知識として理解してたって、そのまま納得できるわけじゃないでしょう?
 ……私が嫉妬深いことは、認めるけど。ええ。
「でもまぁ後学のために、風澄には見ておいてもらうかな」
 ええぇっ!? まさか、借りてこいとか言うんじゃ……嫌あぁ!
「やだやだやだ〜、絶対嫌あぁ! だいたい、昂貴って絶対そのへんの変なビデオより激しいわよ! 変なことたくさんするしっ!」
「じゃあもう慣れてるから大丈夫だよな? はいオッケー」
「嫌あぁ! だいたい第三者視点じゃないもん! 当事者だもん!」
「余計すごいだろうが。ま、たまには新鮮ってことで」
「やだぁ……嫌よぉそんなの……」
 私が本気で拒否すれば、無理強いするひとじゃないと知ってる。
 でも、同時に、そういうことをやりかねないひとだということも知ってる。
 そして、彼の解釈によっては、私が抵抗しようが何をしようが無駄だと知ってる。
 そのあたり、私って、このひとのことを信用しているんだかしていないんだか、むしろ、信用していいんだかよくないんだか……ううう。
「うーん、じゃあそれはいいからさ、今のところは」
「今のところはって……絶っ対、観ないからね! ……で、なに?」
「今夜は鏡の前でしような?」
 そして、いつぞやの如く。
 ……私の絶叫がその部屋に響いたのは、言うまでもない。

 * * * * *

 その日は結局その部屋のソファで一回されて(ここではもうしないって言ったのに……馬鹿馬鹿あぁ)、昂貴の部屋に帰ったその夜も、さんざんされた。
 わざわざ、家で一番大きな鏡の前で。……本当にされちゃった……しくしく。
 鏡に映る自分の姿は、どこまでも浅ましく、いやらしく、淫らで。
 乱れた自分の全てを、初めて見た。
 だけどその女を躊躇いもせず求め、むしろ喜んで抱き尽くす男の姿を見て。
 嫌がりながらも、私はどこか、満たされていた気がする。

 ……やっぱり、もう、だいぶ変態さんになっちゃったかもしれない……。
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To be continued.
2005.05.08.Sun.
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