唯一のもの、唯一のひと

04.本気の恋


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 そして、その数日後。
 風澄は自分の部屋で発表の準備の続きにとりかかっているので、俺は暇潰しがてら大学の図書館に行った。が、行ったのを後悔した。俺もあいつも院生だし図書館には入り浸ってるけど……こんな時に会わなくてもなぁ。しかも開口一番、そいつはこう言った。
「私わかったの。高原の本気……あの子なんでしょ?」
「……なんでそう思うんだ?」
「わからないはずないでしょ。スタイルとか、そのままだったし。予想外のふてぶてしい性格には度肝を抜かれたけどね」
「おまえほどじゃないよ」
 俺は呆れてそう言った。風澄がふてぶてしいって? そりゃそうだろうさ、あの家に育ってうちの学校に通って、更にあの容姿と頭脳。小さい頃から周りじゅうにやっかまれて、羨まれて生きてきたんだ。それを敏感に感じ取って、だからこそ自分の中身を磨く努力を怠らず生きてきた。ふてぶてしくも、したたかにもなるさ……。だからこそ惹かれたんだ、俺が。あの賢さと強さと潔さに。そしてその脆さと弱さに。
 誰よりも恵まれて生きてきたくせに満たされないと泣き、貪欲に求める。
 その相克の、限りない愛しさに……。
 他の女を見れば見るほど、あの鮮烈な美しさに恋焦がれる。
 俺の腕の中での変貌もなにもかも全て。
 いとしい、俺の想うただひとりの女……。
「ねぇ、あの子に手出した?」
「あ゛?」
 風澄を想っていたところに萩屋の声。くそう、浸ってたのに。欲しかったレコードをやっと見つけて、実際にかけてみたらノイズが入っていたかのような気分だ。妙なる音色は途切れてしまった、なんてな。まぁ仕方ないか、話しかけられてるのに頭の中すっ飛ばした俺も悪いと言えば悪い。自ら望んでの会話ではないとはいえ。
「高原、手が早いって聞いたけど」
 そうだっけか? でもまぁ、遅くはないよな。風澄には早かったか、なんてったって知り合ったその日のうちだし……。済まない、風澄、こんな俺で。でも、あれは仕方ないだろう、なぁ? 考えてみると、本当に俺はラッキーだった。あんな状況でもない限り、風澄は俺に抱かれるなんてことは絶対になかっただろうから。
「それとも、あの子が誘ったの?」
「おい、いい加減にしろよ萩屋」
 手ぇ出したなんて言ってねーだろうが! ……出してるけど。
「だって、高原に対するあの従順さは……ねぇ? 仕込まれた女って感じ。男の言うことなら、はいはいって片っ端から聞くんじゃないの?」
 なに言ってんだこいつは……もう、呆れてものが言えない。
 確かに風澄は俺の腕の中では乱れまくりに乱れるけど。だからってそういう、男の言うこと全部聞くようなところは全くない。主張するの、下手なときもあるけど。
「言っちゃおうかな……」
「は?」
 風澄を想っていたところにまたこの声だよ……はぁ、さっさと逃げたい。
「我が校きってのお嬢さまの市谷風澄は、実は手のつけられない淫乱女で、将来有望な院生の高原昂貴を誘惑しまくってまーす……とか」
「……はぁ?」
「でなければ、逆でもいいよね……」
 つまり、俺が風澄を誘惑しまくっている、と。
 ……それに関しては、事実でもある。
 俺が、今の状況を作り出したのだから。
「高原の家は、まぁ、いいとしても……そうね、教授とか……」
「…………」
「市谷さんの家とか、どうする? 大事な一人娘でしょ?」
「…………!」
 そうだ。
 迂闊だった。

 俺はそれまで考えもしなかったことに、今更思い至った。
 ずっとふたりで過ごしてきて、一対一でしかなかったから、風澄がどういう立場にいるのかを、わかっているつもりで、すっかり忘れていた。
 風澄は、日本最大規模の多角経営企業・市谷グループの社長の娘――。
 そして、祖父は会長、上の兄は後継ぎだということ。

 もし、この関係が――この不健全な関係が露見したら――
 そうしたら、風澄は、どうなるんだ?

 風澄にとって、これは危険な関係なのではないだろうか?
 杉野にしろ萩屋にしろ、俺と風澄の周囲の人間でしかない。それで済む話ならいい。
 俺はその道では有名な家の長男だが、一般人でしかない。聞こえの悪い話も、大して影響はない。
 だけど、風澄はそれでは済まない。
 風澄は長女とはいえ、末っ子だ。上には優秀な兄が二人もいて、風澄自身は学者になるという意思を固めている。後を継ぐ気など全くないだろう。
 けれど、それでも風澄は市谷家の長女という立場からは逃れられないのだ。大企業の社長の娘の醜聞なんて、マスコミが飛びつくに違いない。
 過去にどこかで目にした、大企業の親類縁者や直系の人間の醜聞が思い出される。
 彼女も、下卑た言葉で穢されて、世間に広まるのだろうか。
 ――もし、俺のせいで、風澄をそんな事態に巻き込んでしまったら――?

 そして、もし、そんなことになったら――俺たちは、どうなるんだろう――?

「ねぇ……困るよね? そんなことになったら。違う?」
「…………」
 そこでやっと、俺はそいつが言わんとしていることに気づいて――そして、あまりの怖気に鳥肌を立てた。
 『アノコヨリ、ワタシノホウガイイデショウ?』
 そう聞こえた。
 こいつは『野菊』じゃない。食虫植物だ。『ハエトリグサ』とか『ウツボカズラ』とか、よく知らないがそんな種類の。しかもそのくせ自分を『薔薇』や『百合』だと思い込んでる。
 ぞっとした。
 こいつの――女の本性に。
 ……風澄にも、そんな部分があるんだろうか……。
「ねぇ……」
「触るな」
 伸ばされた指を、振り払う。
 こんな……こんな女に風澄はあんなこと言われたのかよ!?
 あんなこと言わせっぱなしにしてたのか、俺は!?
 とてつもなく、自分に腹が立つ。なにやってるんだよ全く!
「そんな……」
「俺が欲しいのはおまえじゃない。風澄だけだ」
「っ……」
「……おまえじゃ勃たない。そう言えばわかるか?」
「な……」
「違うな。俺は風澄じゃなきゃ駄目なんだ。あいつに会って……話して、知って、そばにいて……そして……。風澄に出逢ってしまったから、もう、他の女なんかいらない」
 風澄が、誰の娘であろうと、どんな立場であろうと、俺はどうでもいいんだ。
 そんなもの関係ない。
 あの子が、あの子のままでいてくれたなら、それで。
「風澄が俺に狂ってるんじゃない。俺が風澄に狂ってるんだ。手のつけられないほど。でもそれでいいんだ。それがいいんだよ」
「ほ、本当の本当に……本気なの?」
「ああ。そして、それから逃れようなんて欠片も思わない。あいつに繋がれていたいんだ。風澄の……そう、薔薇色の鎖に」
 風澄が杉野に言った言葉だった。前にした手錠プレイの時にでもそんなふうに感じたのだろうか。それにしても、なんて絶妙な表現だろう。大仰と言えば大仰だけど、俺たちの関係をこれほど如実にあらわしている言葉があるだろうか? 俺たちは、恋人同士なんかじゃない。だけど、どうしようもないほど離れられなくなってしまってる。そしてそれを、全く嫌だと思っていない。ずっとこうしていたいとさえ思ってる。お互いに。
「そんな……おかしいわよ、そんなの……」
「どう思われたっていいさ。俺のことは何を言ってもいい。だけど、風澄を傷つけたら二度と許さない。倍どころじゃ済まない報復をしてやるから……憶えてろよ」
 俺はできうる限りの怒りをこめて、言い捨てた。こんなところ、一秒だっていたくない。
 そして、すぐに向かった。俺の愛しい女のいる部屋へ。
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To be continued.
2005.04.14.Thu.
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