唯一のもの、唯一のひと

03.相性


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 部屋を出て、俺はすぐさま風澄を抱きしめたかったけど、人の目があるから我慢した。そんなもの、気にせずにいられたらどんなにいいだろう。
「か……市谷さん」
「……はい」
 名前を呼んでしまいそうになったの、気づいたか?
 わかってほしい。本当はどうしたいのか。
「河原塚教授探してたのって、急ぎ?」
「……いいえ」
「これから、暇か?」
「はい、空いてます」
「じゃあ、研究棟までつきあってくれないか?」
「はい」
 そのとき、口調は普通だったけど……風澄が、幸せそうに笑った。
 笑ってくれた。
 この笑顔を、護らなきゃいけない。そして護りたいと思った。俺が。

 * * * * *

 そして、研究棟。
 部屋のドアをきちんと閉めて、しっかり鍵をかける。つけられてたらたまらないからな。
「昂貴」
「……ん?」
 おお、名前だ。そんなことを考えながら返事をする。
「このデスク、使ってる?」
 風澄が示したのは、見るからに古ぼけたデスク。前に何度か風澄を乗せて抱いたのとは違うものだ。使ってるのはパソコン置いてるやつだけだからな。この部屋は端にあるだけあって結構広いので、それでも邪魔じゃなかった。
「いいや、使ってないよ。廃棄処分になるところを譲ってもらったんだけど、結局そのまま置きっぱなしにしてるだけだから。やっぱり処分しようかと思ってたし」
「じゃあ、好きにしていいわよね?」
「ああ、別に構わないけど……って、なにする……うわああぁっ!」
 ガシャアアアアァンッ!
 ……俺は、信じられないものを見た。
 風澄が。
 あの、品行方正・眉目秀麗・容姿端麗を具現化したかのような風澄が、
 そのデスクを、あろうことか、蹴り飛ばしていた……。
「あーすっきりした! ごめんね驚かせて。私ねー結構物にあたっちゃうタイプなんだ、ムカつくと。大事なもの壊すのは嫌だから、そういうときはどうでもいいもの探してケチョンケチョンにするんだけど。新聞紙とか」
 む、むかつく……けちょんけちょん……。
「あ、ああ……構わないよ……うん」
 ……俺はこのとき本気で風澄を怒らせないようにしようと思った。
 いや、マジで。
 綺麗なだけに怖い……。
「子供っぽいよね……うん、わかってるんだけど……」
 えへへ、と笑って風澄はデスクを見やった。
「ごめんね、八つ当たりなんかして……でも、スカッとさせてくれてありがとう」
 机になんか話しかけてる。撫でながら。これで馬鹿に見えないのがすごい……。
「……風澄」
「ん、なに?」
「どうだっていい奴なんだ」
「え?」
「あいつ。萩屋だよ。別に、なんでもない。ただの同級生だ」
「……でも、あのひとは……」
「ああ……うん、まぁ、そうなんだろうな、たぶん。別に、はっきり何か言われたわけじゃないけど。だけど、俺はそんな気全くないし……」
 『風澄が好きだから』……とは、言えないけれど。
「でも……」
「なにをどう言われても、なにも変わらないよ。おまえにとって、杉野がなにを言っても変わらないのと同じだ」
「……うん。わかった……信じる」
 あれ? よく考えると、信じるなんて言葉、風澄の口から初めて聞いたな。なんとなく、嫌いな言葉だと思ってた。そう言って、そう聞いて、裏切られたんじゃないかって。あれだけ、期待させることを避ける風澄だから。
「あ、やだ。思い出したらまた腹が立ってきちゃった……」
 でも蹴るのはやめておこう、とか言ってる。
 あぁ、そうか。八つ当たりとは、ちょっと違うんだな。
 俺はひとつ思い当たって、風澄に言ってみた。
「……おまえさ」
「なに?」
「内にこもるタイプだろ。口に出せなくて、何でも胸にためこんで、しまって鍵かけて……でも器用に忘れることはできなくてさ……だから」
 おそらく、彼女は生来そんな不器用なタイプなのだろう。でも、それだけじゃない。市谷の娘という立場と、これまでの経験が、それに拍車をかけているのではないだろうか。
 一見、器用で、どんな状況に置かれても易々と打破してしまうように見えるし、事実、そんな側面もあるのだけれど……どちらかと言うと努力家で、不器用なほうだ。
 そう見えないのは資質であり、そう見せないのは技術かもしれない。
 だけど……俺が見てきたのは、そして、俺が見たいのは、そんな彼女じゃないから。
「うん、そうね、そういうところはあると思う。でも、うまく隠してると思うんだけどな……どうして、いつも、なんでもわかっちゃうのかなあ……昂貴には」
 それは、俺が風澄を見てるから。
 ずっと見てきたからだよ。そう言いたかったけど……言えない。
「あのね、私、蠍座なんだけど……蠍座ってね、そういうタイプなんだって」
「そうなのか?」
「うん。あ、別に占いマニアとかじゃないんだけど、ああいうのって意外と当たるって言うか、自分の一面を指摘してくれるから面白くて好きなの。それでね、発散が下手なんだって。自滅型で。……昂貴はなに座?」
「射手座だな、確か。十一月の末だから」
 星占いなんて知らないけど、姉とか元カノとかが言っていた気がする。なんでか知らないけど女ってそういうの好きだよなあ。風澄も例に洩れず、か。
「じゃあ、一ヶ月くらい四歳違いになれるね」
「そうなのか?」
「うん、私十月末だから。……射手座はね、器用なひと」
「へぇ……」
「ぴったりだと思うよ。意志が強くて、行動力があって、クールでプライドが高くて男性的。ひとと群れるのが嫌いで、自分を縛られるのを嫌うの。すごく自由な感じ」
「自分の星座でもないのに、よく知ってるなあ。やっぱマニアだったり?」
「だから、そうじゃなくてね、下の兄の、火澄兄がそうなの。そういうところ、私にはないなあって思って、少し羨ましくて。なんていうのかな、強いよね。すごく。へこたれなくて。あ、それで平気なわけじゃないってわかってるけど、でも、いつも明るくて、自分のこととか、未来とか、信じてるでしょ。私は平気なふりはできるけど、自信もあるけど、心のどこかで不安なの。悲観的なの。だから昂貴を見てると、自分も頑張ろうって思えるの。そういう、悲しいことばっかり見てちゃだめなんだって」
「俺の場合は過去を気にせず行き当たりばったりって気もするけどな」
「そんなところも、当たってるね」
 そう言って風澄は笑った。
「そういうのってさ、相性とか、あるんだろ? どうなんだ、俺たちって」
 俺は思いついて聞いてみた。だって、これだけ気が合うんだ、俺と風澄の相性は良いに決まってるだろ?
「相性? うーん、たぶんすごく悪いね」
 が、がびーん……。
 別に、今気が合ってるんだからいいけど、なんかショックだな……。
 ……『おまえたちには縁なんかない』って言われてるみたいだ。
「でもね、私と宗哉、そういう占いの相性はすごく良かったの。だけど、上手くなんていかなかった。それで、宗哉と彼女のは、すごく悪いんだけど……上手くいった。
 占いとか、性格診断みたいなもの自体はね、面白いと思うよ。でも、そんなの気にしなくていいと思うの。良くても悪くても関係ないわ。それが何かを決めるわけじゃないもの。お互いが、お互いを必要なら、それだけでいいのよ。……縁なのよ、なにもかも。それが、私と先生とか、宗哉には、なかったから……えっ、ちょ……」
 俺は思わず、風澄を抱きしめていた。風澄の話し声が、あまりに淡々と……でも強く響いたから。
 きっと、あいつとその彼女のことを思い出してる。
 その繋がりが、たぶん強かったんだろう。そして、三年前にそれを知ったんだろう。
「辛かったか……?」
「え……」
「辛かったよな……ごめん、思い出させて。あんな奴にも、会わせて、言わせっぱなしにしてごめん」
「いいよ、そんなこと気にしてない。大丈夫だから……」
「だけど……俺が嫌だ。風澄に、そんな想い、俺のせいでさせたくない」
「うん……でも、昂貴はそういう嫌な気持ち、ちゃんと消してくれてるのよ? だから、そんなこと言わないで……大丈夫だから」
 風澄はそう優しく言って、俺を受け入れてくれる。
 俺はどうして、もっと上手くこの子を護れないんだろうか……。
「知ってる?」
「ん?」
「射手座と蠍座の共通点はね、自分で決めたたったひとつのことに向かって、まっしぐらに進むタイプっていうところ。射手座は器用だからこそ唯一を求めて、蠍座は不器用だからこそひとつのことしかできないの。そして、それを決めたら、他のことになんか目もくれない、頑固なタイプなんだって」
「へえ……」
「研究者や学者に、向いてるのよ」
「……そっか」
 俺が言いたかったのは、もうちょっと違って。
 だから、俺もおまえも、たったひとりと決めた人間だけを想うんだろうか。
 俺は風澄を、風澄は……『宗哉』を。
「ね、昂貴は血液型、なに?」
「え? O型だけど」
「私はAよ。それは、相性バッチリね」
 そう言って、風澄は俺を抱きしめ返した。
「どんな相性でも、別にどうでもいいな」
「うん」
 こうしていられるなら、どうだっていい。そんなことは。
 俺は風澄と気が合うだけで、もういいんだ。
「あぁ、やっとイチャイチャできた……」
「なぁに、それ?」
「おまえが入ってきたときさ、状況がアレだったから、ヤバいって思ったんだけど……いや、後ろ暗いことは一切ないんだけど、嫌じゃないかやっぱり、他の奴といるところ見るのって。俺も杉野といる風澄見るのは嫌だったし。それに、せっかく同じ空間にいるのに、普通に話すことも、抱きしめることもできなくて……すごくもどかしかった。もうあんなのは嫌だな」
「うん……私も、会えて嬉しかったけど、嫌だった。失礼かもしれないけど、このひといなければふたりきりだったのにって思ったし」
 こんなふうに、風澄も言ってくれるようになるなんてなあ……。
 『彼氏』じゃなかろうがなんだろうが、なんかもう、幸せだ、俺。
 やっぱ他の女なんかどーだっていい。
「……する?」
「もうこのまえで懲りたから、家でね」
 あぁ、杉野に見られたってやつか。うーん、ごめん、見せたんだけど。
「するんだな?」
「したくないの?」
 頷かせようとしたんだけれど、彼女は可愛く聞き返す。
「そんなわけないだろ、わかってるくせに」
 そう言って、俺たちは笑いあった。
 そして優しいキスをして。
 ここでその気になっちゃマズいから、軽めに済ませて部屋を出た。
Line
To be continued.
2005.04.08.Fri.
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