その腕の中の楽園(エデン)
08.限定
「んっ……」
躊躇う様子など微塵も見せずに、風澄は俺の膝に乗り、口唇を重ねた。かぶりつくように。手を俺の頭の後ろにまわして、抱き寄せて、頬をさすって、首筋を撫でて。最初から、ものすごく深い。俺を求めて這い回る舌。
「ん……っ……むぅ……ん、んううう……」
俺はというと、風澄を抱き寄せて膝の上に座らせ、洋服の上から彼女に触れる。腰に回した手はそのままに、空いた右手で胸や背中を撫でさすり、快感を高めていく。
「……ん……ふっ、は……んんん……っ」
触れば触るほど、もっともっとと風澄は求める。
真横から見ている杉野は愕然としているだろうな。幾ら杉野自身がそうしてくれと言ったとはいえ、あの風澄が、こんな、恥も外聞もなく、図書館の片隅で男の膝の上に乗って自分からキスを仕掛けているなんて。しかもこんな貪欲なキスを。
あ、唾液が零れた。いい効果になるな。……そんなことを冷静に考えていられるのは、杉野への牽制という目的があるからだ。そうでなかったら、俺は風澄のキスでメロメロになってしまっていただろう。だいぶ慣れてはきたけれど、やっぱりお互い相性が非常に宜しいようで、ちっとも飽きないんだよなあ。それどころか、すればするほど身体同士が馴染んでいく気がする。まるで定められたペアの磁石のように、ぴったりと合わさっていく。引き寄せられて、もう離れられない――。
「……んあ……こぉきいぃ……もっとぉ……」
うっわ、やらしい。キスの合間に洩れた声。これ、作ってるのか? 違うよな? 意識はしてるんだろうと思う。普通ならこんなところでは声を出さないようにするはずだから、少なくとも声を出そうとは思っているだろう。杉野に聞かせて、見せ付けるために。完全に諦めさせるために――。だけど、もしかして、風澄って恥ずかしがらせると結構反応いいし、杉野がいるせいで興奮してたりするんだろうか。おいおい、それじゃおまえも変態の仲間入りだぞ風澄。……いや、俺は一向に構わないけど。
「っく……か……っ、かすみぃっ……」
あまりに風澄が魅惑的で、俺まで声が出てしまった。うわ、目がとろんとしてる。普段は人を寄せ付けないあの目線が、俺に媚びるように向けられて。いや媚びるような女じゃないんだけどな。やっぱり女は魔物ってことか。
お互いに、果てしなく快楽を求めてる。出逢ってから四週間、できたのは三週間。そのうち会っていたのは実質七日間くらいだろうか。その間、触れ合わなかった日は一日もない。普通にするようになったあの日からは特に何度もし続けていたから……もう、身体が快楽を求めるのに慣れきってる。それに一週間もお預けだったんだ。やっとできるかと思うと、乱れずにはいられないんだろう。恥じらいはあっても、抗えない。逃れられない。
そこで、俺は横にいる杉野に視線を向けてみた。信じられないようなものを見ているかのような表情。俺たちのキスの交歓に打ちのめされて、それでも俺たちの絡み合う肢体と求め続ける口唇から目を離せないでいる。自分でやれと言ったくせに、自分で驚いてるんじゃ世話ないよなあ。まぁ、前に俺たちの行為を見たことがあるとはいえ、俺がコントロールしていたし、距離も視界の広さも光量も今とはまるで違う。まさかここまでとは思わなかったんだろう。可哀相にな、時期が悪かったよ。これがあの日曜日より前、風澄が『普通にしてくれ』と言ったあの日より前だったら、こんなことはできなかったんだろうけど。それに、おまえが文句つけたり、風澄を詰ったりしてからというもの、じっくりお互いの気持ちについて語り合った。今はお互いがお互いを求めていることに一抹の不安もない。開き直れば、俺たちの関係が学校中に知られたって、もう構わないんだ。恋人同士かどうかなんて、どうでもいい。勝手に誤解してろ。それに、やってることもお互いへの信頼も、そのへんのカップルなんかより、よっぽどそれらしいぜ?
何分くらいそうしていただろうか。五時間ぶりのキスにやっと納得して、俺たちは額をくっつけて笑いあった。そしてすうっと表情を変えて杉野を見据えて――風澄は言った。
「……やっぱり、もう、昂貴から離れるなんて考えられないよ」
静かすぎるほど静かな声。
「どう罵っても……誰に言ってもいい」
嫣然(えんぜん)と微笑む彼女。
それは魔性の笑み。
「好きにしたら?」
「……っ……」
自分で言い出したことながら、杉野は二の句が告げないようだった。それほど、杉野の知っていた風澄の姿とは違ったのだろう。
風澄を淫乱にできなかったような男に、今の風澄が靡(なび)くはずがない。触れ合う心地よさと身体の快楽を身体の芯から叩き込まれてしまっているのだから。
そして、ふたりで共有する穏やかな時間。
……あの安らぎは、決して偽物じゃないから。
「もう、なにを言われても構わない。気にしない。いくらでも、詰って責めればいいよ。私は平気……昂貴さえ、それでいいって言ってくれるなら」
「むしろ嬉しいね、俺のせいだって言うんだから」
「うん……そうよ、昂貴のせいよ。私をこんな女にした犯人はあなたなのよ。あなたのせいで私はこんなふうになってしまったのよ。他の人のせいだなんてことありえない……」
見詰め合って語り合う。とんでもなく恥ずかしいな、この会話。でも、これだって、決して作ってるわけじゃない。そうだろう? いつもだったら恥ずかしがってなかなか本心を言ってくれないし、それはそれで可愛いけれど、たまにはこういうのもいいな。
「……おまえ……本当に……」
本当に自分では駄目なのだと気づいたんだろう。打ちのめされたように愕然としている。
それにしても、その腕に抱いたこともあるくせに、自分の行為に普通にしか反応しないような、そんな風澄がいいのかね、こいつは。抱いてる女が狂うように俺を求める、その悦びがわからないのか? 『女の子』はいつか必ず『女』になる。風澄は俺に出逢って初めて『女』になった。男を知ったそのときではなく。
俺が教えた。なにも考えられなくなるようなキスも快感も絶頂も全て。
そして俺も、風澄にそれを教えられた。
「……だから……責任取ってくれるでしょ?」
「あぁ、いくらでも。お安い御用だね」
こちらを向いて聞く彼女の目を見つめ返して、俺は答える。わかりきった台詞を。
「じゃあ……ね、昂貴、続きしよ?」
うわぁ、こんなことまで言ってくれちまうのか。首を傾げて、甘えるように。こんな風澄を見られるなら、他人に見られながらするのもいいかも。いや、普段なら絶対風澄は許さないだろうけど。こんな、なにも知らないくせに勝手に解釈して無遠慮に傷つけるような奴にはもう負けない。そうだよな?
「見られててもいいのか?」
「だって、もぉ我慢できなぁい……」
うわああぁ。本気でヤバい。俺が、俺のが元気になってるよーどうしてくれるんだ風澄。責任取ってくれるよな? ……まあ、さすがにこいつの目の前で挿入したりはしないが。風澄のあんな反応なんて、絶対見せてやるものか。……いや、前科はあるけど。あぁ、いくら距離があったとはいえ、もったいないことをしちまったかもしれない。
「ん……ふ……っ、んむむ……」
とか思ってたら風澄からまたキスしはじめた。上手くなったなぁ……油断すると、こっちが翻弄されちまいそうだ。
「く……っ、もういい、やめろ……やめてくれ……!」
「ん……ぷはっ……はぁ。……やめるか? 風澄」
言いだしっぺがギブアップか。だから、そこで無理矢理キスを中断して、俺はわざわざ問うた。そんな俺に、聞かなくても答えなんてわかっているくせに、やっぱり徹底主義ね、って顔をして、笑いながら拗ねたように風澄は言う。
「いやぁ……やめちゃだめぇ……やめたら、一生許さないからぁ……」
腰をくねらせて、咽喉を鳴らして、とてつもない甘え声で。おいおいそんな態度どこで憶えたっ! しかし、こんな声も出せたんだなあ。……やっぱり、女は魔物だ。捉えられて、惹きつけられずにはいられない。
「一生許してもらえないのは困るな……了解。んむっ……」
「ん……んんぅ……っ、はあ……あふ……っ」
「っ……!」
最初は杉野を納得させるまで見せ付ければいいと思っていたんだが、キスを始めたらもうそんなことはどうでもよくなってしまった。俺たちが満足するまでだ。しかし、いい加減、杉野が消えてもいい頃だろうに、ちょっと予想外だな。幾らキスだけとはいえ、好きな女が他の男とこんな濃厚なラブシーンやってるのに、それをずっと見てるだなんて、意外と根性あるじゃないか、こいつ。この前も見たから慣れてるのか? いや、腰が抜けてるだけかな。なぁんて。もちろん、杉野への同情はある。俺だって同じ穴の狢なのだという、その自覚もある。だけど、だからこそ……負けられない。勝ち負けで表現してはいけないのかもしれないけれど、これは間違いなく、ひとりの女性を巡る、男の戦いだった。
……こうなったら、本当に本番をするように見せてやる。でも、大事なところは見せてやらないけどな。俺が独占するから、誰にもやらないね。
そこで、俺は風澄を抱き上げて、キスを途中で中断されて抗議するのを聞き流しながら、座っていた椅子の向きを少し変えた。杉野の、ちょうど真正面に風澄の背中が来る位置に。まぁ、背中くらいなら仕方ないよな。もう一切見せる気はなかったが妥協してやる。抱え上げて、長いスカートを足の下に巻き込んで、ヤバい所は俺にしか見えないようにして、準備完了。って言っても、昔、こいつは風澄としたことがあるんだっけ。だけど、今じゃないんだから、見せる義理はない。つぅか見んな。
風澄は身長があるのでロングスカートが非常によく似合う。脚が長いし綺麗だし、パンツスタイルだろうが短いスカート(と言っても、短くても膝丈程度だ。露出しないからな)だろうが、モデル並に着こなしてしまうんだが。今日のはフレアスカートと言うのだろうか、ふわりと広がるものだった。よく見てみると地紋のような織りが入っていて、質の良い生地を惜しみなく使っているのがわかる。色は明るいピンクで、可愛い感じが珍しいな。と言っても濃すぎず薄すぎず、バランスが良く品のある色だった。上は白だったけれど似たような印象で、これがまた妖艶さを漂わせる。サンダルもピンクだ。風澄が着ると、ピンクの甘い感じが抑えられて、いつもの凛とした綺麗さが可愛さを帯びて魅力的だ。決して下品にならない。馬鹿っぽくなる女も多いだろうになあ。それにしても、今日はロングのフレアで良かった。短いのだったら見えて困るし、パンツスタイルは色々面倒なんだよなあ。よく考えたら、最初に会ったとき以外はいつもスカートだ。そのほうが喜ぶだろうと気を遣ってくれていたりするんだろうか? 着たまましやすいから確かに好きだけどな、なんて言ったらまた怒られるだろうけど。もちろん見るのも好きだぞ? だけど彼女は、なにを着ていてもさまになるから、どれかひとつを選ぶのは難しい。非常に。それこそ、究極の選択というやつだな、うん。……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「いやぁん……こぉきぃ……続きぃ、ちょうだぁい……」
「やめ……いやだ……っ、風澄……嘘だ……!」
信じられないものを見るかのような杉野を尻目に、俺たちはキスを再開する。
「はむっ……あむ……んん……」
そして俺は、風澄のブラウスの下をまさぐって、更に下着をずらして触り始めた。あいつには見えないだろうけどな。つぅか絶対見せてやらない。
「あ……や……んあ……そんなところおぉ……こぉきいぃ……」
「……っ!」
そこでやっと杉野は去った。頭を振って、小走りに、今見たものをかき消そうとするかのように。……勝ったな。
そして、くちづけの余韻に浸りながらも、杉野の撃退に成功したことで、風澄は満足そうに微笑んだ。悪戯で妖艶な、俺だけに向けられる笑顔で。それに思わず俺もつられてしまい、ふたりでくすくすと笑いあった。
「ふう……。言いだしっぺのわりには、音を上げるのが早かったなあ……」
「でも、あんなこと言い出すなんて驚いた。すごく飄々としたひとだったのに」
「ふぅん? でもまぁ、終わったことだ。もう他の男の話はすんなよ」
「うん」
擦り寄る風澄の頭を撫でながら、俺たちは言葉を交わす。
「それにしても……まさか風澄があんなふうにできるとは思わなかった。かなり乗ってたな。あんな舌っ足らずな喋り方とかさ……」
「だって……昂貴が何度もそれでいいって言ってくれたし、もう私淫乱でいいって思ったら、なんだか、どんどんエスカレートしちゃって、止まらなくて。昂貴の腕の中ってすごく気持ちいいし……駄目? ああいう私、やっぱり嫌い?」
あけすけなほど素直に答えながらも、心のどこかで逡巡があるのだろう。少し不安そうな顔をして、彼女は俺に問うた。
「風澄を嫌いになんてなるわけないだろ? それに、積極的な風澄も嬉しかったし、あんなのもたまにはいいな。それにしてもあんな口調、他の女だったらどんなに下品で、気色悪いだろうなぁ……おまえって、なんであんなしどけなくえろいこと言っても、決して下品にならないんだろうな……」
「そうなの?」
「ああ。かなりキた。やらしくて。でもどこか違うんだよな。他の男には絶対そんなこと言わない、簡単には堕ちない感じ。それが余計に」
「やぁだぁ……」
ひとに言われたのがきっかけとはいえ、自分から、あんなに大胆にしたことなのに、今度は恥らって。こっちが本物だよな、やっぱりあれは、狙ってた部分もあるんだろう。よっぽど嫌だったんだろうな……。
「で……どうする?」
身体はもうすっかり燻ってる。だけど、さすがに、ここではしないよなぁ……。
「……して?」
耳元で、すごく小さい声だったんだけれど。前と同じ台詞。
だから俺も、怒られるのを前提で、同じ台詞を返す。
「ここで?」
そうしたら、なんと風澄は頷いた。おいおいマジかよ!?
「昂貴好きでしょ、こういう変な場所でするの」
やっぱり誤解されてる……。いえ、否定はできませんとも。
「あれは、風澄があんまり可愛いから、つい……って言っただろ?」
「じゃあ、今は可愛くないの?」
首を傾げて、とてつもなく可愛い顔でそんなことを言う。うわ、言質取ってる。これだから風澄は敵に回したくない。敵になんか絶対ならないけど。だから俺も耳元に口唇を寄せて彼女に囁いた。
「とっても可愛いよ……えろいし」
「なぁにそれ、失礼ねぇ」
「本当に思ったことを言っただけだって」
「ね……駄目? 一週間もしてないのよ? それに、なんかもう、淫乱とか、認めちゃったらどんどんいやらしい気持ちになっちゃって、もう我慢できないの……」
っ、腰くねらすなぁっ。ヤバい。ヤバすぎるよこれは。普段だってヤバいのに。しかもおい、当たってるよ! どこがって、なにがって、言えるかそんなこと。
「……いいよ、しよう」
そう言って、俺と風澄は再び抱き合った。
「おまえが淫乱になるのは、俺の腕の中だけだからな」
「うん。昂貴限定ね」
風澄を膝の上に乗せたまま俺の準備をして(万が一のために、風澄と逢うようになってからはいつも持っているんだが、今日は本当に用意しておいて良かった。ちなみにそこの君、財布やポケットに長期保存してはいかんぞ)、風澄の望みどおりにする。安っぽい椅子はそんな営みに抗議の声をあげて、きつく軋んだ。そして十分もしないうちに、お互いの絶頂の声が響いた。口唇は塞いでいたけど。
人が来て、中断しなきゃいけなくなったりして慌てるのは嫌だし、急いだほうがいいと思ったんだが、やっぱり急ぎすぎたかもしれないな。風澄がこんなところでしてもいいと言うなんて青天の霹靂(へきれき)と言ってもいいほど滅多にないことだし、もうちょっと楽しんでおけばよかったかもしれない。終わった後、抱き合いながらそんなことを考えた。
「俺も淫乱でいいよ、風澄限定で」
キスをして、そんなことを言ったら風澄は頷いた。
* * * * *
結局……
俺も風澄も、我慢できなかった。
終わってからは、できるだけすぐに身支度を整えて、手を繋いで駅までの道を歩いていたのだけれど……もう、止まらなかった。
「風澄……悪いんだけど、俺……帰るまで待てない」
「……うん、私も……」
少し遅れてきた返事と、握り返す手の強さに、とても嬉しくなって。
いいか? って聞く。
返ってきた返事は、予想通り。
これで部屋が空いてなかったら大笑いだけど。
* * * * *
しつこいくらいキスをして。
くどいくらいに触れ合って。
知らないホテルの知らない部屋で、お互いの名前ばかりを呼び合った。
自分たちの部屋じゃないのも、たまにはいいな。
そんなこと言ったらやっぱり『シチュエーション萌え』って言われるんだろうか。
まぁ、それでもいいか。風澄限定でなら。
こういう関係を、なんて言ったらいいんだろうな。
恋人でも、友達でも、先輩後輩でもない。
けれど、お互いに大切な、たったひとりの対等の相手――。
躊躇う様子など微塵も見せずに、風澄は俺の膝に乗り、口唇を重ねた。かぶりつくように。手を俺の頭の後ろにまわして、抱き寄せて、頬をさすって、首筋を撫でて。最初から、ものすごく深い。俺を求めて這い回る舌。
「ん……っ……むぅ……ん、んううう……」
俺はというと、風澄を抱き寄せて膝の上に座らせ、洋服の上から彼女に触れる。腰に回した手はそのままに、空いた右手で胸や背中を撫でさすり、快感を高めていく。
「……ん……ふっ、は……んんん……っ」
触れば触るほど、もっともっとと風澄は求める。
真横から見ている杉野は愕然としているだろうな。幾ら杉野自身がそうしてくれと言ったとはいえ、あの風澄が、こんな、恥も外聞もなく、図書館の片隅で男の膝の上に乗って自分からキスを仕掛けているなんて。しかもこんな貪欲なキスを。
あ、唾液が零れた。いい効果になるな。……そんなことを冷静に考えていられるのは、杉野への牽制という目的があるからだ。そうでなかったら、俺は風澄のキスでメロメロになってしまっていただろう。だいぶ慣れてはきたけれど、やっぱりお互い相性が非常に宜しいようで、ちっとも飽きないんだよなあ。それどころか、すればするほど身体同士が馴染んでいく気がする。まるで定められたペアの磁石のように、ぴったりと合わさっていく。引き寄せられて、もう離れられない――。
「……んあ……こぉきいぃ……もっとぉ……」
うっわ、やらしい。キスの合間に洩れた声。これ、作ってるのか? 違うよな? 意識はしてるんだろうと思う。普通ならこんなところでは声を出さないようにするはずだから、少なくとも声を出そうとは思っているだろう。杉野に聞かせて、見せ付けるために。完全に諦めさせるために――。だけど、もしかして、風澄って恥ずかしがらせると結構反応いいし、杉野がいるせいで興奮してたりするんだろうか。おいおい、それじゃおまえも変態の仲間入りだぞ風澄。……いや、俺は一向に構わないけど。
「っく……か……っ、かすみぃっ……」
あまりに風澄が魅惑的で、俺まで声が出てしまった。うわ、目がとろんとしてる。普段は人を寄せ付けないあの目線が、俺に媚びるように向けられて。いや媚びるような女じゃないんだけどな。やっぱり女は魔物ってことか。
お互いに、果てしなく快楽を求めてる。出逢ってから四週間、できたのは三週間。そのうち会っていたのは実質七日間くらいだろうか。その間、触れ合わなかった日は一日もない。普通にするようになったあの日からは特に何度もし続けていたから……もう、身体が快楽を求めるのに慣れきってる。それに一週間もお預けだったんだ。やっとできるかと思うと、乱れずにはいられないんだろう。恥じらいはあっても、抗えない。逃れられない。
そこで、俺は横にいる杉野に視線を向けてみた。信じられないようなものを見ているかのような表情。俺たちのキスの交歓に打ちのめされて、それでも俺たちの絡み合う肢体と求め続ける口唇から目を離せないでいる。自分でやれと言ったくせに、自分で驚いてるんじゃ世話ないよなあ。まぁ、前に俺たちの行為を見たことがあるとはいえ、俺がコントロールしていたし、距離も視界の広さも光量も今とはまるで違う。まさかここまでとは思わなかったんだろう。可哀相にな、時期が悪かったよ。これがあの日曜日より前、風澄が『普通にしてくれ』と言ったあの日より前だったら、こんなことはできなかったんだろうけど。それに、おまえが文句つけたり、風澄を詰ったりしてからというもの、じっくりお互いの気持ちについて語り合った。今はお互いがお互いを求めていることに一抹の不安もない。開き直れば、俺たちの関係が学校中に知られたって、もう構わないんだ。恋人同士かどうかなんて、どうでもいい。勝手に誤解してろ。それに、やってることもお互いへの信頼も、そのへんのカップルなんかより、よっぽどそれらしいぜ?
何分くらいそうしていただろうか。五時間ぶりのキスにやっと納得して、俺たちは額をくっつけて笑いあった。そしてすうっと表情を変えて杉野を見据えて――風澄は言った。
「……やっぱり、もう、昂貴から離れるなんて考えられないよ」
静かすぎるほど静かな声。
「どう罵っても……誰に言ってもいい」
嫣然(えんぜん)と微笑む彼女。
それは魔性の笑み。
「好きにしたら?」
「……っ……」
自分で言い出したことながら、杉野は二の句が告げないようだった。それほど、杉野の知っていた風澄の姿とは違ったのだろう。
風澄を淫乱にできなかったような男に、今の風澄が靡(なび)くはずがない。触れ合う心地よさと身体の快楽を身体の芯から叩き込まれてしまっているのだから。
そして、ふたりで共有する穏やかな時間。
……あの安らぎは、決して偽物じゃないから。
「もう、なにを言われても構わない。気にしない。いくらでも、詰って責めればいいよ。私は平気……昂貴さえ、それでいいって言ってくれるなら」
「むしろ嬉しいね、俺のせいだって言うんだから」
「うん……そうよ、昂貴のせいよ。私をこんな女にした犯人はあなたなのよ。あなたのせいで私はこんなふうになってしまったのよ。他の人のせいだなんてことありえない……」
見詰め合って語り合う。とんでもなく恥ずかしいな、この会話。でも、これだって、決して作ってるわけじゃない。そうだろう? いつもだったら恥ずかしがってなかなか本心を言ってくれないし、それはそれで可愛いけれど、たまにはこういうのもいいな。
「……おまえ……本当に……」
本当に自分では駄目なのだと気づいたんだろう。打ちのめされたように愕然としている。
それにしても、その腕に抱いたこともあるくせに、自分の行為に普通にしか反応しないような、そんな風澄がいいのかね、こいつは。抱いてる女が狂うように俺を求める、その悦びがわからないのか? 『女の子』はいつか必ず『女』になる。風澄は俺に出逢って初めて『女』になった。男を知ったそのときではなく。
俺が教えた。なにも考えられなくなるようなキスも快感も絶頂も全て。
そして俺も、風澄にそれを教えられた。
「……だから……責任取ってくれるでしょ?」
「あぁ、いくらでも。お安い御用だね」
こちらを向いて聞く彼女の目を見つめ返して、俺は答える。わかりきった台詞を。
「じゃあ……ね、昂貴、続きしよ?」
うわぁ、こんなことまで言ってくれちまうのか。首を傾げて、甘えるように。こんな風澄を見られるなら、他人に見られながらするのもいいかも。いや、普段なら絶対風澄は許さないだろうけど。こんな、なにも知らないくせに勝手に解釈して無遠慮に傷つけるような奴にはもう負けない。そうだよな?
「見られててもいいのか?」
「だって、もぉ我慢できなぁい……」
うわああぁ。本気でヤバい。俺が、俺のが元気になってるよーどうしてくれるんだ風澄。責任取ってくれるよな? ……まあ、さすがにこいつの目の前で挿入したりはしないが。風澄のあんな反応なんて、絶対見せてやるものか。……いや、前科はあるけど。あぁ、いくら距離があったとはいえ、もったいないことをしちまったかもしれない。
「ん……ふ……っ、んむむ……」
とか思ってたら風澄からまたキスしはじめた。上手くなったなぁ……油断すると、こっちが翻弄されちまいそうだ。
「く……っ、もういい、やめろ……やめてくれ……!」
「ん……ぷはっ……はぁ。……やめるか? 風澄」
言いだしっぺがギブアップか。だから、そこで無理矢理キスを中断して、俺はわざわざ問うた。そんな俺に、聞かなくても答えなんてわかっているくせに、やっぱり徹底主義ね、って顔をして、笑いながら拗ねたように風澄は言う。
「いやぁ……やめちゃだめぇ……やめたら、一生許さないからぁ……」
腰をくねらせて、咽喉を鳴らして、とてつもない甘え声で。おいおいそんな態度どこで憶えたっ! しかし、こんな声も出せたんだなあ。……やっぱり、女は魔物だ。捉えられて、惹きつけられずにはいられない。
「一生許してもらえないのは困るな……了解。んむっ……」
「ん……んんぅ……っ、はあ……あふ……っ」
「っ……!」
最初は杉野を納得させるまで見せ付ければいいと思っていたんだが、キスを始めたらもうそんなことはどうでもよくなってしまった。俺たちが満足するまでだ。しかし、いい加減、杉野が消えてもいい頃だろうに、ちょっと予想外だな。幾らキスだけとはいえ、好きな女が他の男とこんな濃厚なラブシーンやってるのに、それをずっと見てるだなんて、意外と根性あるじゃないか、こいつ。この前も見たから慣れてるのか? いや、腰が抜けてるだけかな。なぁんて。もちろん、杉野への同情はある。俺だって同じ穴の狢なのだという、その自覚もある。だけど、だからこそ……負けられない。勝ち負けで表現してはいけないのかもしれないけれど、これは間違いなく、ひとりの女性を巡る、男の戦いだった。
……こうなったら、本当に本番をするように見せてやる。でも、大事なところは見せてやらないけどな。俺が独占するから、誰にもやらないね。
そこで、俺は風澄を抱き上げて、キスを途中で中断されて抗議するのを聞き流しながら、座っていた椅子の向きを少し変えた。杉野の、ちょうど真正面に風澄の背中が来る位置に。まぁ、背中くらいなら仕方ないよな。もう一切見せる気はなかったが妥協してやる。抱え上げて、長いスカートを足の下に巻き込んで、ヤバい所は俺にしか見えないようにして、準備完了。って言っても、昔、こいつは風澄としたことがあるんだっけ。だけど、今じゃないんだから、見せる義理はない。つぅか見んな。
風澄は身長があるのでロングスカートが非常によく似合う。脚が長いし綺麗だし、パンツスタイルだろうが短いスカート(と言っても、短くても膝丈程度だ。露出しないからな)だろうが、モデル並に着こなしてしまうんだが。今日のはフレアスカートと言うのだろうか、ふわりと広がるものだった。よく見てみると地紋のような織りが入っていて、質の良い生地を惜しみなく使っているのがわかる。色は明るいピンクで、可愛い感じが珍しいな。と言っても濃すぎず薄すぎず、バランスが良く品のある色だった。上は白だったけれど似たような印象で、これがまた妖艶さを漂わせる。サンダルもピンクだ。風澄が着ると、ピンクの甘い感じが抑えられて、いつもの凛とした綺麗さが可愛さを帯びて魅力的だ。決して下品にならない。馬鹿っぽくなる女も多いだろうになあ。それにしても、今日はロングのフレアで良かった。短いのだったら見えて困るし、パンツスタイルは色々面倒なんだよなあ。よく考えたら、最初に会ったとき以外はいつもスカートだ。そのほうが喜ぶだろうと気を遣ってくれていたりするんだろうか? 着たまましやすいから確かに好きだけどな、なんて言ったらまた怒られるだろうけど。もちろん見るのも好きだぞ? だけど彼女は、なにを着ていてもさまになるから、どれかひとつを選ぶのは難しい。非常に。それこそ、究極の選択というやつだな、うん。……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「いやぁん……こぉきぃ……続きぃ、ちょうだぁい……」
「やめ……いやだ……っ、風澄……嘘だ……!」
信じられないものを見るかのような杉野を尻目に、俺たちはキスを再開する。
「はむっ……あむ……んん……」
そして俺は、風澄のブラウスの下をまさぐって、更に下着をずらして触り始めた。あいつには見えないだろうけどな。つぅか絶対見せてやらない。
「あ……や……んあ……そんなところおぉ……こぉきいぃ……」
「……っ!」
そこでやっと杉野は去った。頭を振って、小走りに、今見たものをかき消そうとするかのように。……勝ったな。
そして、くちづけの余韻に浸りながらも、杉野の撃退に成功したことで、風澄は満足そうに微笑んだ。悪戯で妖艶な、俺だけに向けられる笑顔で。それに思わず俺もつられてしまい、ふたりでくすくすと笑いあった。
「ふう……。言いだしっぺのわりには、音を上げるのが早かったなあ……」
「でも、あんなこと言い出すなんて驚いた。すごく飄々としたひとだったのに」
「ふぅん? でもまぁ、終わったことだ。もう他の男の話はすんなよ」
「うん」
擦り寄る風澄の頭を撫でながら、俺たちは言葉を交わす。
「それにしても……まさか風澄があんなふうにできるとは思わなかった。かなり乗ってたな。あんな舌っ足らずな喋り方とかさ……」
「だって……昂貴が何度もそれでいいって言ってくれたし、もう私淫乱でいいって思ったら、なんだか、どんどんエスカレートしちゃって、止まらなくて。昂貴の腕の中ってすごく気持ちいいし……駄目? ああいう私、やっぱり嫌い?」
あけすけなほど素直に答えながらも、心のどこかで逡巡があるのだろう。少し不安そうな顔をして、彼女は俺に問うた。
「風澄を嫌いになんてなるわけないだろ? それに、積極的な風澄も嬉しかったし、あんなのもたまにはいいな。それにしてもあんな口調、他の女だったらどんなに下品で、気色悪いだろうなぁ……おまえって、なんであんなしどけなくえろいこと言っても、決して下品にならないんだろうな……」
「そうなの?」
「ああ。かなりキた。やらしくて。でもどこか違うんだよな。他の男には絶対そんなこと言わない、簡単には堕ちない感じ。それが余計に」
「やぁだぁ……」
ひとに言われたのがきっかけとはいえ、自分から、あんなに大胆にしたことなのに、今度は恥らって。こっちが本物だよな、やっぱりあれは、狙ってた部分もあるんだろう。よっぽど嫌だったんだろうな……。
「で……どうする?」
身体はもうすっかり燻ってる。だけど、さすがに、ここではしないよなぁ……。
「……して?」
耳元で、すごく小さい声だったんだけれど。前と同じ台詞。
だから俺も、怒られるのを前提で、同じ台詞を返す。
「ここで?」
そうしたら、なんと風澄は頷いた。おいおいマジかよ!?
「昂貴好きでしょ、こういう変な場所でするの」
やっぱり誤解されてる……。いえ、否定はできませんとも。
「あれは、風澄があんまり可愛いから、つい……って言っただろ?」
「じゃあ、今は可愛くないの?」
首を傾げて、とてつもなく可愛い顔でそんなことを言う。うわ、言質取ってる。これだから風澄は敵に回したくない。敵になんか絶対ならないけど。だから俺も耳元に口唇を寄せて彼女に囁いた。
「とっても可愛いよ……えろいし」
「なぁにそれ、失礼ねぇ」
「本当に思ったことを言っただけだって」
「ね……駄目? 一週間もしてないのよ? それに、なんかもう、淫乱とか、認めちゃったらどんどんいやらしい気持ちになっちゃって、もう我慢できないの……」
っ、腰くねらすなぁっ。ヤバい。ヤバすぎるよこれは。普段だってヤバいのに。しかもおい、当たってるよ! どこがって、なにがって、言えるかそんなこと。
「……いいよ、しよう」
そう言って、俺と風澄は再び抱き合った。
「おまえが淫乱になるのは、俺の腕の中だけだからな」
「うん。昂貴限定ね」
風澄を膝の上に乗せたまま俺の準備をして(万が一のために、風澄と逢うようになってからはいつも持っているんだが、今日は本当に用意しておいて良かった。ちなみにそこの君、財布やポケットに長期保存してはいかんぞ)、風澄の望みどおりにする。安っぽい椅子はそんな営みに抗議の声をあげて、きつく軋んだ。そして十分もしないうちに、お互いの絶頂の声が響いた。口唇は塞いでいたけど。
人が来て、中断しなきゃいけなくなったりして慌てるのは嫌だし、急いだほうがいいと思ったんだが、やっぱり急ぎすぎたかもしれないな。風澄がこんなところでしてもいいと言うなんて青天の霹靂(へきれき)と言ってもいいほど滅多にないことだし、もうちょっと楽しんでおけばよかったかもしれない。終わった後、抱き合いながらそんなことを考えた。
「俺も淫乱でいいよ、風澄限定で」
キスをして、そんなことを言ったら風澄は頷いた。
* * * * *
結局……
俺も風澄も、我慢できなかった。
終わってからは、できるだけすぐに身支度を整えて、手を繋いで駅までの道を歩いていたのだけれど……もう、止まらなかった。
「風澄……悪いんだけど、俺……帰るまで待てない」
「……うん、私も……」
少し遅れてきた返事と、握り返す手の強さに、とても嬉しくなって。
いいか? って聞く。
返ってきた返事は、予想通り。
これで部屋が空いてなかったら大笑いだけど。
* * * * *
しつこいくらいキスをして。
くどいくらいに触れ合って。
知らないホテルの知らない部屋で、お互いの名前ばかりを呼び合った。
自分たちの部屋じゃないのも、たまにはいいな。
そんなこと言ったらやっぱり『シチュエーション萌え』って言われるんだろうか。
まぁ、それでもいいか。風澄限定でなら。
こういう関係を、なんて言ったらいいんだろうな。
恋人でも、友達でも、先輩後輩でもない。
けれど、お互いに大切な、たったひとりの対等の相手――。
To be continued.
2004.04.04.Sun.
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