叶わぬ恋、届かぬ想い
09.現実
「ん……っ!?」
いきなり、呼吸を遮られた。
息ができない。うまく酸素を吸えない。苦しくて、必死で口を開けようとしたけどだめ。
突然のことに驚いて、周りを見ようと目を開けたら、視界が暗かった。
でも、周囲はぼんやりと明るい。
やがて、それらが柔らかなオレンジ色に染められていることに気づいた。
部屋の灯りの、豆電球の光だ。
じゃあ、この暗さの正体は?
目の前の圧迫感と重圧感。これは――
「!」
絡みつく唾液。舌の感触。
咽喉に流れてきた液体を思わず飲み込むと、知っている味がした。
そこでやっと事態に気づいた。
キスしてたんだ。
昂貴が、私に。……信じられないほど深く。
「っふ……は、起きたか?」
やっと口唇を離して、彼は平然と聞く。乱れた呼吸を感じさせないほど、さらりと。
なんだか口惜しい。こっちは、ばくばくする心臓を必死で抑えているっていうのに。
「は……っ、いきなり……っ、なに!?」
「起こしてやろうと思ったんだ」
「なっ……だからって」
いきなり、あんな深いキスなんて……窒息するかと思ったわよ。
「……泣いてたからさ」
「っ……」
目元に手を触れると、確かに涙の跡がある。
そして思い出してしまう。夢の内容を……。
何度も見た。
真っ暗な中に、あのひとが浮かび上がる、あの夢。
目を向けずにはいられない、強烈なコントラスト。非現実の中の、圧倒的なほどの現実感。……まるで、あの画家の絵画のような、劇的な情景。
強すぎる光の中のあのふたりを、私は闇の中で見つめるだけ。
そこで繰り広げられているのは知らない光景なのに、想像しては傷ついていた。
その夢を見るたびに、私は彼を忘れられてなどいないと思い知らされた。
容赦なく切り裂かれていく心。醜く汚れた自分の想いまで、わかりたくないほどに。
どれほど時間が経っても。
だけど、最近まるで見てなかったのに。
……昂貴と一緒にいるようになってからは。
アルコールのせいだろうか。
それとも……。
夢を見なくても、辛い時はあった。
昂貴に抱かれるようになってからも時々、こんな穏やかな時間をあのふたりは一緒に過ごしてるんだと思うと、辛かった。
羨ましくて、妬ましくて。
そんな自分が嫌だった。
想われなかったのは仕方のないことなのに。
それからの恋を拒んだのも自分で選んだことなのに。
こんなこと、思い出しても仕方ない。
今更なにを考えたってどうにもならないじゃない。
あの頃だってどうしようもなかった。
動かせない現実。そして、過去……。
――どれだけ願っても、どれほどの犠牲を払っても、全てを捧げたとしても、
叶わない恋が、届かない想いが、この世界にはある。
私が、そうだった。
……いつも、そうだった。
触れられたいとか、キスされたいとか、抱かれたいとか……
そんなことが欲しかったんじゃない。
ただ、想われたかった。
自分で持て余してしまうほどの想いをぶつけても、受け止めてくれる誰かが欲しかった。
この世界で、たったひとり。
私のことを想い、私が想う、唯一のひとを……。
「……っん!?」
いきなり、またキスをされた。
のしかかっていた彼は私ごと起き上がり、何度も何度もキスを繰り返す。
「や……あ、んっ……」
突然の行為に息を継げず、乱れた呼吸の合間に声が洩れる。
……私を抱きしめて離さない、力強い腕。
貪る舌の強さと甘さ。
柔らかい口唇の感触。
あぁ……
今こうして抱きしめられているのは私だ。
キスされているのも。
慣れ始めてるこの体温。
安心する。
落ち着くのに、鼓動は高鳴る。
恋人でもなんでもないけど、私を優しく包んでくれるひと。
悲しさと寂しさが、嬉しさに変わる。
だから私はキスに応えた。
彼を抱きしめ返して、誰よりもいちばん近くで。
そしてしばらく抱き合った後、彼は少し離れて私を見つめ、口を開いた。
「……どうして欲しい……?」
いやらしいことを言わせようとしているはずなのに、優しいと思うのはどうして?
意地悪な要求なのに。
ううん、違う。
甘えていい、頼っていいと言ってくれているんだ。
私が縋っていい、たったひとりのひと。
抗えない。このひとには。
もう男性に関わりたくない、ましてや依存したくもないのに、この腕を離せないなんて。
気づいた時には既に逃れられなかった。
彼に縛られて、繋がれている。
なのに嫌じゃない。離れたくない。
彼に縛られていたい。繋がれていたい。
ずっとずっとこのままでいたい。
それは甘い甘い薔薇色の鎖――。
「……抱いて……」
首に縋りつき、耳元で囁けば、彼は優しく応えてくれる。
ついこの間まで知らなかったひとなのに、ついこの前まで普通にしたことがなかったのに、どうしてそれを信じられるのだろう。
この腕の中ではなにもかも忘れられる。
悲しい想いも過去も全て。
「ああ……抱いてやるよ……」
答える彼の声が耳に響きわたる。
落ち着いていて深みがあって、重厚なのにとろけるほど甘い囁き。
そこから全身に広がっていくのは安心感と高揚感。
触れられたところから、隅々まで悦びに満たされていく。
彼との行為で……。
だけど。
いいのかな。
私、これでいいんだろうか?
心地いいから、それだけの理由で一緒にいて、彼に抱かれていいの?
恋人でもなんでもないひとなのに、キスして欲しい、抱いて欲しいだなんて。
いつかこんな生活を後悔する日が来はしないだろうか……?
迫り来る快楽の中で、ふと、そんなことを考えた。
見ないようにしていた現実がそこにあった。
わからないことだらけなのに。
私が彼をどう思っているのか、彼が私をどう思っているのか、
そして、この関係がなんなのか。
だけど彼は、あの堂々巡りの日々から私を抜け出させてくれた。
地獄にいると思っていたのに、一気に楽園へと連れて行ってくれた。
なにもかも忘れられる場所をくれた。安心してまどろめる場所をくれた。
触れ合う心地よさを教えてくれた。本当の快楽を教えてくれた。
自分が笑えるということを思い出させてくれた。
たった二週間のうちに、いつの間にか。私自身でさえ気づかないうちに。
ずっと、自分のことが嫌いだった。
羨まれれば羨まれるほど、嫌悪と絶望が募るばかりで。
だけど彼は、そんな私を優しく包んでくれる。
忘れろとか、思い出すなとか、そんな台詞を彼は決して軽々しく言ったりしない。
ただ、抱きしめてくれる。
このひとに出逢って初めて、慈しまれるとはどういうことなのかを知ったの。
その悦びも、切なささえも。
言葉よりなにより、触れる肌から伝わるものがある。
大嫌いだった私自身を、包んでくれるひとがいる。
私も、誰かに大切にされていい人間なんだって、思ってもいい?
私も、誰かの大切なたったひとりになれる……?
そんな心の中の問いかけに、彼はあたたかなぬくもりで応えてくれる……。
だから、もう離れられない。
この腕を離すなんて絶対にしたくない。
ずっとこうしていたい。
やっと得られた安らぎを手放したくない。
なにをされても。なにがあっても。
失いたくない。決して。
……今まで、本当に好きなひとと触れ合ったことはなかった。
ましてや自分から求めたことなんて。
彼へだって恋愛感情なんかないはずなのに、彼だけは、他のひととは違う。
どうして?
上手いから? 相性がいいから――?
――違う。そんなことじゃない。絶対。
それだけなら私はこんなふうにはならない。
それに、身体だけの関係なら、彼と過ごす時間はもっと違うものになるはず。
私だけじゃない。彼だって、きっとそうだ。
どうして、そう思うのだろう。
そう思いたいだけだろうか?
わからない。
だけど、このひとから離れるのだけは嫌だ……。
そんな自分の気持ちにまで気づいてしまった。
ずっと、宗哉に縛られているのだと思っていた。
だけど今は、昂貴に捕らわれている。
限りなく甘く優しい、彼の薔薇色の鎖に繋がれている。
まだ、宗哉のことを忘れられていないのに……。
いきなり、呼吸を遮られた。
息ができない。うまく酸素を吸えない。苦しくて、必死で口を開けようとしたけどだめ。
突然のことに驚いて、周りを見ようと目を開けたら、視界が暗かった。
でも、周囲はぼんやりと明るい。
やがて、それらが柔らかなオレンジ色に染められていることに気づいた。
部屋の灯りの、豆電球の光だ。
じゃあ、この暗さの正体は?
目の前の圧迫感と重圧感。これは――
「!」
絡みつく唾液。舌の感触。
咽喉に流れてきた液体を思わず飲み込むと、知っている味がした。
そこでやっと事態に気づいた。
キスしてたんだ。
昂貴が、私に。……信じられないほど深く。
「っふ……は、起きたか?」
やっと口唇を離して、彼は平然と聞く。乱れた呼吸を感じさせないほど、さらりと。
なんだか口惜しい。こっちは、ばくばくする心臓を必死で抑えているっていうのに。
「は……っ、いきなり……っ、なに!?」
「起こしてやろうと思ったんだ」
「なっ……だからって」
いきなり、あんな深いキスなんて……窒息するかと思ったわよ。
「……泣いてたからさ」
「っ……」
目元に手を触れると、確かに涙の跡がある。
そして思い出してしまう。夢の内容を……。
何度も見た。
真っ暗な中に、あのひとが浮かび上がる、あの夢。
目を向けずにはいられない、強烈なコントラスト。非現実の中の、圧倒的なほどの現実感。……まるで、あの画家の絵画のような、劇的な情景。
強すぎる光の中のあのふたりを、私は闇の中で見つめるだけ。
そこで繰り広げられているのは知らない光景なのに、想像しては傷ついていた。
その夢を見るたびに、私は彼を忘れられてなどいないと思い知らされた。
容赦なく切り裂かれていく心。醜く汚れた自分の想いまで、わかりたくないほどに。
どれほど時間が経っても。
だけど、最近まるで見てなかったのに。
……昂貴と一緒にいるようになってからは。
アルコールのせいだろうか。
それとも……。
夢を見なくても、辛い時はあった。
昂貴に抱かれるようになってからも時々、こんな穏やかな時間をあのふたりは一緒に過ごしてるんだと思うと、辛かった。
羨ましくて、妬ましくて。
そんな自分が嫌だった。
想われなかったのは仕方のないことなのに。
それからの恋を拒んだのも自分で選んだことなのに。
こんなこと、思い出しても仕方ない。
今更なにを考えたってどうにもならないじゃない。
あの頃だってどうしようもなかった。
動かせない現実。そして、過去……。
――どれだけ願っても、どれほどの犠牲を払っても、全てを捧げたとしても、
叶わない恋が、届かない想いが、この世界にはある。
私が、そうだった。
……いつも、そうだった。
触れられたいとか、キスされたいとか、抱かれたいとか……
そんなことが欲しかったんじゃない。
ただ、想われたかった。
自分で持て余してしまうほどの想いをぶつけても、受け止めてくれる誰かが欲しかった。
この世界で、たったひとり。
私のことを想い、私が想う、唯一のひとを……。
「……っん!?」
いきなり、またキスをされた。
のしかかっていた彼は私ごと起き上がり、何度も何度もキスを繰り返す。
「や……あ、んっ……」
突然の行為に息を継げず、乱れた呼吸の合間に声が洩れる。
……私を抱きしめて離さない、力強い腕。
貪る舌の強さと甘さ。
柔らかい口唇の感触。
あぁ……
今こうして抱きしめられているのは私だ。
キスされているのも。
慣れ始めてるこの体温。
安心する。
落ち着くのに、鼓動は高鳴る。
恋人でもなんでもないけど、私を優しく包んでくれるひと。
悲しさと寂しさが、嬉しさに変わる。
だから私はキスに応えた。
彼を抱きしめ返して、誰よりもいちばん近くで。
そしてしばらく抱き合った後、彼は少し離れて私を見つめ、口を開いた。
「……どうして欲しい……?」
いやらしいことを言わせようとしているはずなのに、優しいと思うのはどうして?
意地悪な要求なのに。
ううん、違う。
甘えていい、頼っていいと言ってくれているんだ。
私が縋っていい、たったひとりのひと。
抗えない。このひとには。
もう男性に関わりたくない、ましてや依存したくもないのに、この腕を離せないなんて。
気づいた時には既に逃れられなかった。
彼に縛られて、繋がれている。
なのに嫌じゃない。離れたくない。
彼に縛られていたい。繋がれていたい。
ずっとずっとこのままでいたい。
それは甘い甘い薔薇色の鎖――。
「……抱いて……」
首に縋りつき、耳元で囁けば、彼は優しく応えてくれる。
ついこの間まで知らなかったひとなのに、ついこの前まで普通にしたことがなかったのに、どうしてそれを信じられるのだろう。
この腕の中ではなにもかも忘れられる。
悲しい想いも過去も全て。
「ああ……抱いてやるよ……」
答える彼の声が耳に響きわたる。
落ち着いていて深みがあって、重厚なのにとろけるほど甘い囁き。
そこから全身に広がっていくのは安心感と高揚感。
触れられたところから、隅々まで悦びに満たされていく。
彼との行為で……。
だけど。
いいのかな。
私、これでいいんだろうか?
心地いいから、それだけの理由で一緒にいて、彼に抱かれていいの?
恋人でもなんでもないひとなのに、キスして欲しい、抱いて欲しいだなんて。
いつかこんな生活を後悔する日が来はしないだろうか……?
迫り来る快楽の中で、ふと、そんなことを考えた。
見ないようにしていた現実がそこにあった。
わからないことだらけなのに。
私が彼をどう思っているのか、彼が私をどう思っているのか、
そして、この関係がなんなのか。
だけど彼は、あの堂々巡りの日々から私を抜け出させてくれた。
地獄にいると思っていたのに、一気に楽園へと連れて行ってくれた。
なにもかも忘れられる場所をくれた。安心してまどろめる場所をくれた。
触れ合う心地よさを教えてくれた。本当の快楽を教えてくれた。
自分が笑えるということを思い出させてくれた。
たった二週間のうちに、いつの間にか。私自身でさえ気づかないうちに。
ずっと、自分のことが嫌いだった。
羨まれれば羨まれるほど、嫌悪と絶望が募るばかりで。
だけど彼は、そんな私を優しく包んでくれる。
忘れろとか、思い出すなとか、そんな台詞を彼は決して軽々しく言ったりしない。
ただ、抱きしめてくれる。
このひとに出逢って初めて、慈しまれるとはどういうことなのかを知ったの。
その悦びも、切なささえも。
言葉よりなにより、触れる肌から伝わるものがある。
大嫌いだった私自身を、包んでくれるひとがいる。
私も、誰かに大切にされていい人間なんだって、思ってもいい?
私も、誰かの大切なたったひとりになれる……?
そんな心の中の問いかけに、彼はあたたかなぬくもりで応えてくれる……。
だから、もう離れられない。
この腕を離すなんて絶対にしたくない。
ずっとこうしていたい。
やっと得られた安らぎを手放したくない。
なにをされても。なにがあっても。
失いたくない。決して。
……今まで、本当に好きなひとと触れ合ったことはなかった。
ましてや自分から求めたことなんて。
彼へだって恋愛感情なんかないはずなのに、彼だけは、他のひととは違う。
どうして?
上手いから? 相性がいいから――?
――違う。そんなことじゃない。絶対。
それだけなら私はこんなふうにはならない。
それに、身体だけの関係なら、彼と過ごす時間はもっと違うものになるはず。
私だけじゃない。彼だって、きっとそうだ。
どうして、そう思うのだろう。
そう思いたいだけだろうか?
わからない。
だけど、このひとから離れるのだけは嫌だ……。
そんな自分の気持ちにまで気づいてしまった。
ずっと、宗哉に縛られているのだと思っていた。
だけど今は、昂貴に捕らわれている。
限りなく甘く優しい、彼の薔薇色の鎖に繋がれている。
まだ、宗哉のことを忘れられていないのに……。
To be continued.
2003.12.01.Mon.
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