"Ti amo."

06.モーニングティー


Line
 月曜日、私も彼も授業がなかったから、眠りたいだけ眠って、結局、起きたのは日が高くなったころだった。昂貴ときたら、あんな変なことした次の日なのに、しかも、あんなにたくさんした次の日なのに、けろっとしてるのよ? 目覚めておはようって言いながら私のおでこに軽くキスしたかと思うと、昨夜のことを欠片も感じられないすっきりした顔でするっとベッドから出て行っちゃって。んもおおぉ! なんなのこのひとの体力って。どうなってるのよ? あのねえ、私、連続で何度もしたのなんて、初めてだったんだからね!? 言いたくないけど、腰とかあんまり動かしたくない。あの異物感もまだ残ってて、ちょっとひりひりするし。ううう……。でも、ちっともいやな痛みじゃない。むしろ、目覚めても昨夜あの腕の中にいたことを実感できて、嬉しいような心地よいような、不思議な感じ。いかにもいっぱいえっちした後って感じで恥ずかしいけど。
 昨夜……初めて昂貴と普通にしたんだ。普通にしてもらえて、普通にできたんだ。それがどうしてこんなに嬉しいんだろう? セックスという行為自体にはなんの変わりもないのに。恋人同士でもなんでもないのだって前と同じだけど、なんていうのかな、お互いに素直になれたような、そんな感じ。曲がっていた道がまっすぐになったような気さえする。どうしてそんな気になるのか自分で自分がよくわからないけど、あの腕を素直に求められることがとても心地よかった。それまでに感じていた寂しさや後ろめたさはどこにもなかった。身体の隅々まで、彼と触れ合う悦びに満たされていた。こんな感じは初めてで、いつまでもこうして浸っていたいほど。彼の香りとぬくもりが残っているベッドで。
 そんなこと思っていたら寝室のドアをノックする音がした。開いた扉を見やると、紅茶をトレイに載せた彼。モーニングティーってことかしら?
「おはようございます、お姫さま。お目覚めの紅茶は如何ですか?」
 穏やかな笑顔。その手には私のお気に入りのマグカップに私好みのミルクティー。ミルクは先に入れてくれたでしょう? そのほうが美味しいのよ、本場英国のお墨付きで、化学的にも立証されてるんだから。アッサムかな、セイロンかな。見ただけじゃわからないけど味は保証つきよね。それにしても、あまりにかしこまっているものだからおかしくて笑っちゃった。もし持ってたら燕尾服かなにか着て蝶ネクタイまでしたりするんじゃないかしら。徹底主義だものね。あ、いいこと思いついた。
「なぁんだ、お姫さまを抱いたのは王子さまじゃなくて給仕さんなのね、がっかり」
 って、いたずらっぽく言ってみたら。
「お気に召しませんか、それは残念、お下げしましょう」
 なんて言って本当に持って行こうとしたから私は慌てちゃった。冗談だよってマグカップ渡してくれて、ついでにまた額にキスされた。おでこにするのが好きなのかしら? 『デコ広いから』なんて言ったら怒るからね。
 持ってみてわかったけど、ベッドじゃ危ないから、マグカップなんだ。ティーカップじゃ持ちづらいし、厚みがあまりないから熱いし。そんな気遣いまでわかっちゃって、真っ赤になってたの、絶対紅茶が熱かったせいじゃない。猫舌気味だし、味わってゆっくり飲んだのに、彼は飲み終わるまでベッドの端に腰掛けてずっと待ってて、しかもその間ずっと私を見つめてるの。恥ずかしいからやめてよ、こっちは裸なのよ? 両手ふさがってるからお布団掛けなおすこともできないし。ううう、どこ見てるのよぉ。飲み終わってご馳走さまって言ったら、カップ持ってくれて……っきゃああぁ!
「……俺と同じ味」
 目を閉じる間もなくキスされた。口唇に。舌をぺろりと出して、そんなことをのたまう。
「お先に一杯いただきましたから、お毒見で」
「入ってる可能性があるわけね?」
 あなたそんなもの作って出すわけ? そう言ってみたら。
「麻薬がね」
 は?
「癖になるだろ?」
 だって。モーニング・ティーが? それともモーニング・キスが? なぁんて。
 どっちにしても、癖にしたなら、責任取ってよね。
 ……って、責任!? 私なに考えてるのよ!?
「毒見役なんて、やっぱり下働きなんだ。召使だ。下男だ下男!」
 自分で自分の発想に驚いて、恥ずかしさをごまかすように、ぶっきらぼうな言葉ばかり出てくる。
「下男は酷いけど、料理人は兼ねてるからなぁ」
 それだって似たようなものじゃないの? どっちも使用人じゃない。だいたいねえ、料理人自身が毒見役をも兼任するなんて、あるわけないでしょうが。
「あと家庭教師も」
 だから、みんな雇われ者じゃないの。
 ……あ、そうか……。
 おまえの王子さまは他の男だろ、ってことかな……。
 どうしてかわからないけど、ものすごく悲しくなって、しゅんとしちゃってたみたい。頭ぽんぽんって触られたかと思うと、顎に指を添えて向かい合わされて、今度はじっくり味わうようなくちづけ。それが終わって見つめあってたら、昂貴はうーんと唸って考え込んだかと思うと、サイドテーブルにマグカップを置いて……きゃあぁ!?
 うわあぁん、押し倒されたあぁ。でも気持ちいい。さっきまで少し寂しかったのに。素肌に触れるシーツと彼の洗いざらしのシャツ。あたたかなぬくもりがふわりと私を包む。あっちは服着ててこっちは裸なんてずるいとも思うんだけど仕方ない、こればっかりは早く起きたほうの勝ちだもの。次は負けないからね? さっきよりもっと長いキス。首に手をまわしてもいい? 何度も何度も繰り返して、でも飽きないのはどうしてなのかな。ずっとしていたいけど、そうもいかない。名残惜しくて、いったん離れた舌に口唇で触れてみた。
「甘いね」
 お砂糖なんか、入ってないんだけど。
 ふたりでくすくす笑いあった。

 朝ごはんの支度も完璧。今日は私が仕上げるからね。でももう一回紅茶を淹れてね。食後もよ? 面倒だなんて言わせないからね給仕さん。
 料理の仕上がりは「進歩の兆候が見られます」だって。ゆっくりでもいいかな、進歩していれば。ごめんね、あんまり優秀な生徒じゃないかも。でもそのほうが鍛え甲斐があるでしょう? 頑張るから、見捨てないで教えてよね。
 その日もイタリア語の最後の復習。つきっきりで教えてくれた。おかげさまで、この前期のぶんの成果はばっちりだと思う。よくできましたって、頭なでられちゃった。気持ちいいけど、また子供扱い? 拗ねちゃおうかな。だから子供か。

 だけどね、わからないことがふたつあるの。
 まずは昨夜、昂貴が呟いた単語。「ティアーモ」って聞こえたけど、辞書のどこを探しても載ってなかった。綴り、『tiamo』か、でなければ『tialmo』か『tiarmo』だと思うんだけど、持ってる中で一番収録語数の多い辞書で一番似てる単語を探したら『tiamina』、ビタミンB1だって。まさかこれに関係あるのかしら? あんな甘い声で、ビタミン足りてないぞって言ったんじゃないでしょうねぇ。ううう、ありうるかも。あ、一単語増えたわ。でも、よっぽど難しい単語なのかしら、ティアーモって。気になって聞いてみたらさらりと「そんなこと言ったっけ?」って。とぼけないでよ、ずるいわねえ。終わったあとも言ってたような気がするのに。まさか本当にビタミン足りてない!? もしテストに出たらどうしてくれるの? それとも、イタリア語じゃなかったのかな。
 それから、イタリア語はなにを語るためにあるかって質問にも、結局答えてくれなかった。別に他人の評価なんだしどうでもいいかもしれないけど、結構他は当たってたから、知りたいなあ。なにを語るためにって言っても、レーゾンデートルとかじゃなくて、相応しいとか、向いてるって意味だと思うんだけど(あ、レーゾンデートルってフランス語で存在理由っていう意味ね)。イタリア語かぁ……そういえば、イタリア人の生きかたは『食べて、歌って、愛する』だって聞いたことがある。ネイティヴの先生が言ってた。それがイタリア人の幸福なんだって。もしかしたらこの言葉に関係あるんじゃないかしら。でも食べるためにある言葉って変だし、歌うためかしら? イタリア歌曲ってあるものね、高校のとき授業で習った憶えがあるもの。だけど、それなら、どうしてあんなときに言ったのかわからない。なんであのタイミングだったのかが。でもまさか……三つ目じゃ……ないわよねぇ……。
 わからないけれど、今は駄目でも、いつか教えてくれるかしら? それとも、自分で調べろっていうことなんだろうか。どうやってよ? 人に聞けばわかるのかな。でも、とりあえず憶えておこう。いつか、わかるといいんだけど。
 あの言葉の意味がわかれば、昂貴のことがなにかわかるかもしれないもの。

 え? 試験の結果はどうだったかって?
 手ごたえはあったわよ、確かに。だけどその最中、色々思い出しちゃって大変だったんだから! 先生に怪しまれてないといいけど。あぁ恥ずかしいったら。

 そろそろ梅雨も明ける。本格的な夏は、もう目の前。
 いつの間にか、雨もやんでいた。
Line
To be continued.
2003.10.17.Fri.
<< Prev * Rosy Chain * Next >>
* Novel *
* Top *


* 返信希望メール・ご意見・リンクミスや誤字脱字のご指摘などはMailへお寄せくださいませ *

ページ上部へ戻る