"Ti amo."

03.スパルタ


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 スパルタが始まった。
 ちなみにスパルタっていうのは古代ギリシャの都市国家(いわゆるポリスね)の名前で、ものっすごい厳しい教育がなされていたというところからきているの。幼少のみぎりからビシバシ叩き込まれて、落伍者は殺されたとかなんとか。でも、かの国でさえこんなやり方は絶対にないと思う。
 もちろん、そんな物騒なことは昂貴はしなかった。
 けれど、『高原昂貴流スパルタ教育』は、
 私の想像をはるかに越えて、とんでもなかった。

 なにって、いきなり人のこと押し倒して脱がそうとしたのよ!?
 悲鳴混じりに勉強しろって言ったの誰よって怒鳴りつけたら「だから、今からするんだろ」とか言ってどんどんボタン外していくの。オヤジギャグかと思って「ABCの勉強とか言わないでしょうね!?」って言ったら「エー・ビー・シーじゃなくてア・ビ・シだけどな」とかってにやりと笑って。気づいたら、ベッドサイドに教科書と辞書。ドイツ語だったらアー・ベー・ツェーで、フランス語だとア・ベ・セよね。語学、かじったものだけは多いんだから。あぁそんなこと考えてる場合じゃないのにぃ。抵抗したけどキスされるとやっぱりだめ。力が抜けていく。自分の目がとろんとしてるの、わかるの。
 そして、耳をどんどん攻められる。耳たぶに何度もキスされて、すぐそばで聞こえる吐息と唾液の音。やだ、そんな、中まで舐めないでよ……あぁでも気持ちよすぎて目閉じちゃう。ひたすらそこに執着した口唇は首筋を辿って、鎖骨をなぞる。そして脱がせながらいつものように私の身体をまさぐって、私の呼吸を荒くして、乱していく。下着越しに胸をじっくり揉みほぐされたら、あぁもう、だめ。気がつくと、下着をめくってじかに触ってくる。余計だめになっちゃうじゃないの。背中に手を入れられたら、つい身体を持ち上げて助けちゃった。こんなふうに昂貴の動きを助けるのにもすっかり慣らされちゃってる。後ろのホックを外されて、するりと抜かれてまた触られる。胸は弱いの。心臓の音が昂貴にまで聞こえてしまいそうなくらいどきどきしてる。どうせ、触ってるからわかってるんだろうな。そうしたら、どんどん下まで脱がされて、ついには足を持ち上げられた。やっぱり協力しちゃうの。あぁこんな体勢じゃ全部丸見えよ、恥ずかしい……。するすると最後の一枚が抜かれていく。あっという間よ? あ、昂貴も脱いでってる。なんか、ひとが脱いでるところってすごくいやらしいな。脱がされてるのもいやらしいんだろうけど。それにしても、半分脱いでる状態がすごくいやらしく見えるのはどうしてだろう。チラリズムの効果? とか考えてたらいつの間にかお互い半脱げが全脱げになってた。それとも全脱ぎかな。いつもと違って向かい合ってて、天井も見えていて、目隠しもなかったから、見上げると彼の肩越しに部屋の明かりが見える。普段はこんな体勢じゃないからあまり意識してなかったけど、毎回、こんなふうに電気をつけたままされてるのよね……あぁ、すっかり明るい部屋でされることにまで慣れてきちゃってる。そう思ったら恥ずかしくて、だから余計に感じちゃう。
 あれ? 昂貴が見えてるってことは……
 もしかして、普通にしてくれるの?
 だけど、それならさっきの『ア・ビ・シの勉強』ってなんだろう?
 とかメロメロになりながら(恥ずかしい表現……)考えていたら、いきなりガシャンと音がして、自分の手首に冷たいものの感触。なに? って思って見てみたら――これって、昨夜使った手錠!? またぁ!? 身体を起こして抗議しようとしたら、あっという間にもう一方の手首にもかけられて、両手を繋いで、腕ごと頭の向こうにぽんと放り投げられた。つまり『万歳』の姿勢で手首結ばれてる状態。痛くはないけど。しかも、今度はアイマスクをされた。長距離の飛行機で使うあれ。こんなものまで持ってきてたわけ? 信じられないけど、このひと『風澄の家に行く』って支度してた荷物に手錠入れてたのよ? まさかアイマスクまで持ってきてたなんて。だいたい、アイマスクはわかるけど、なんで手錠なんか持ってるのよ! どこで買うのよこんなの!? まさか危ないお店のじゃないでしょうねえ。それとも、これも『いたずら好きの家族』がくれたものだとか? って、そんなことを考えている場合じゃない。なにこれ、どういうこと? 勉強するんじゃなかったの?
「時間があったら、もっと別の方法を使うんだけどなぁ」
 ため息混じりに聞こえたけど、ものすごく楽しそうな口調だった。嘘つき。もう顔を見なくても、どんな表情してるかわかるんだから。ていのいい言いわけに使ってるくせに! だけど逃れられない私も相当な馬鹿かもしれない。
 そして昂貴は口を開いた。
「Lezione d'italiano, lezione uno」
 うわ、すごい。教えてもらってるあいだもすごく上手そうだなって思ってたけど、実際に喋っているのはもっと綺麗。たったひとことなのに、発音とか流暢さとか、ネイティヴの先生と区別がつかない。目を閉じているぶん、余計にはっきりと聞こえる気がする。……なに? イタリア語レッスン、授業第一回目?
「っやあぁあん!」
 ぐしゅ、って音がした。見えないから、身構えることもできなくて、されるがまま。
 いきなり、いきなりそんなところに指なんて……いくらこんな、しっかり濡らされてるからって酷いよっ……でも感じちゃうのはどうしてなの?
「Ciao, Kasumi. Come stai?」
 え?
 やあ風澄、どう元気? って……
 まさか……まさかまさかまさか、この状態で!?
「……答えないとこうするぜ?」
「っああぁ、いやあぁ!」
 ぐりぐりと触られたのは、入り口の近くの、いちばん弱い場所。俗に言うGスポットっていうところ。本当はそこが誰でも感じるってわけじゃないらしいんだけど、私は弱いって昂貴に教えられた。それにしてもなんてこと教えるのよ……そんなのあなたがわかってればいいんじゃないの。って冷静に考えてる場合じゃない。
「っあ、くっ……Bene, grazie.……っあぅっ、え、E tu?」
「Molto bene. grazie.」
 あぁ私ってば、つい癖で元気って言っちゃったあぁ。全然元気じゃないったら。あんまりよくありませんって、Non c'e maleか。知ってたのに口から出ないと悔しい。しかも定型文で聞き返したら、いかにも楽しそうな調子で返答された。って、そりゃあものっすごく元気でしょうよあなたはっ! 特にあっちが! って、一体なに考えてるのよー私ーっ!
「Come ti chiami?」
 知ってるでしょうが名前くらい! でも答えなかったらもっと酷い目に遭うし。
「っ……あぁ……み、Mi chiamoっ、か、Kasumi Ichitaniぃ……っああぁ!」
 回らない頭を必死で動かして考えて、口に出す。一問も間違えられない。そうしたら、即座に次の問題が来る。指動かさないでよ止めてったら!
「Di dove sei?」
 どこに住んでるかってそれだって知ってるでしょあなたそこにいるんだから!
「あ、くっ……こ、こんな方法でぇ……んあぁっ……っく、べ、勉強にっ、なんてえぇ……なる、わけ……あぁ、ない、じゃないっ……んやあっ……」
「わからないのか? じゃあ……」
「っ、いやあ! 答える、答えるからやめてえ……!」
 抗議は軽く受け流されて、やっぱり私は彼の思うがままになってしまう。閉ざされた視界の中、彼の指一本だけで、私の全身が翻弄されてる。心まで。
「んじゃ、チャンス一回やるよ」
「あ……っう、Sono di Tokyoっ……は、っあぁん……」
 寛容を装った意地悪な言葉に、必死で答える。言葉の意味はなんでもないことなのに、限りなくいやらしく響く。今、彼の目の前で、私は一体どんな姿を晒しているんだろう。想像したくもない。
「よくできました。これはご褒美」
「んあぁ! ……っ、どっちにしろ、するんじゃないのぉ……っ」
 中に挿れた指はそのままで、もう片方の手で芽を剥いて、愛液を絡めてこすり上げる。そこは駄目だったら……! 何度言ったらわかるのよぉ……!
 視界が閉ざされているぶん、ますます敏感に反応してしまう。人間の感覚器官で受け取る情報の約八割が視覚に頼っていると聞いたことがある。だから失われてしまっている80%の情報を補うように、残りの四つの器官に情報受信機能が集中するのは自然の道理。だけどどうしてこんなこと……!
「人は極限状態に置かれると能力を最大限発揮するって言うだろ」
「はぁ……?」
「そうしたら、ポテンシャルを限界まで引き出せるし」
 なにそれ、そんな理由でこんなことするの!?
「この状態でもちゃんと答えられるなら、身についたって確認になるし」
 そんな確認の仕方しなくていい! 理由にならないわよ! 試験をこんな状況でするわけじゃあるまいし、そもそもこんな状況で喋ることじゃないでしょうが!
「しかも俺もおまえも気持ちいい。一石二鳥どころか一石三鳥にも四鳥にもなるだろ?」
 どこが気持ちいいのよどこがっ!
 本気で蹴ろうとしたんだけど、がっちり固められて動けない。腕に冷たい金属の感触。動かしてもびくともしない。ガシャガシャと空しく音が響くだけ。逃れられやしない。もういやだ、早く終わらせたい。
「はい続き。Che lavoro fa?」
 職業だって知ってるじゃないの!
「んあ……ふ……っ、そ……Sono studentessaぁ……んあうっ……」
 私の中で動き続ける、私のことを知り尽くしている指。彼とはたった四回しかしていないのに。声はもう喘ぎ混じりどころか喘ぎ声そのもの。必死で考えて声を出すのが精一杯。発音なんておぼつきやしない。
「Quanti anni hai?」
「くっ……お、Ho ventuno anniいぃ……」
 何歳かって、それだって知ってるでしょう今更なんなのよ。あぁ、誕生日知らなかったらわからないか。ってそんなのどうでもよくて今はそれどころじゃないったら。
「Quanti siete in famiglia?」
 か、家族の人数? あぁ、確か自分自身のをそのまま憶えたはず。えっと……。
「In famiglia siamo cinque. Mia padre, mia madre, fratelli magiorri, e mio」
 五人家族に加えて、聞かれてないけど父一人母一人兄複数っていうところまで答えてみせた。定型文で憶えてたしね。よし、だんだん慣れてきたかも。こんなのに、負けたりなんかしないんだから! そう思ったら昂貴はいきなり日本語で呟いた。
「あれ? 兄貴……ふたりいるんだ?」
「えっ……うん、そうだけど」
「ふぅん、本当に末っ子なんだな」
 いきなり普通の会話になって拍子抜け。ついていけない。だいたい、こんな状況でするものじゃないわよ、こんな穏やかな話題。それに、なんなのよその納得の仕方は。よっぽど私、昂貴に甘えてるのかなぁ。
「家族の数は同じ、か」
「……そうなの?」
 普通に呟いた彼に、おずおずと聞く。日本語だけど許してくれる?
「ああ。俺は姉と弟がいる、真ん中だけどな」
「へえ……そうなんだ」
 そういえば、そんなことも知らなかった。お姉さんがいるってことは聞いてたけど。
「話が逸れたな。次。俺を誰かに紹介してみろ」
 えぇ? あ、今までは自分のこと、今度は他己紹介か。性変化と人称変化に気をつけなきゃ。
「Questo e il mio amico Kouki Takahara.」
「ふぅん……mio amicoね……」
「え……いああぁっ!」
 いきなり指を抜いたかと思ったら、ぐっと足を広げて持ち上げられて、ずぽりって、すごい音がした。――今度は、本当に挿れられてた。昂貴の。体内に無理矢理入ってくる異物感。こんなのって……!
「風澄は友達とこんなことするんだ……ふぅん」
「だって、他に習ってないもの……なんて言えばいいのよぉ……」
 先輩なんて単語知らないし、それとも、セフレだとでも? そんなことわざわざ言わせたいのあなたは!?
「別にいいけどな。風澄にとってはそうなんだなーって思っただけ」
「う……っあ、ひど……ひどい……あっ……ああ……!」
 いや、動かないで、やめて……!
 こんな酷いこと言われてるのに与えられてるのは気が狂うほどの快感だなんて。
「他の友達の、誰としたんだ?」
「してないっ……してないったら! 知ってるくせに! っあああぁ!」
 そう言ったら、ずぶっと一気に奥まで貫かれた。背筋を走る痛み混じりの快感。ひくひくと自分の咽喉が震える。なのに心は不安ばかり。
「知らないよ、風澄のそんな交友関係なんか。あ、性交関係か?」
 ……このひと、誰……?
 本当に昂貴……? 
 こんな、こんな、こんなこと言う昂貴なんて知らない……!
 顔も見えない状況で、こんな冷たい声だけで、いきなり怖くなった。昂貴が怖くて、信じられなくて。こんな、挿入されたまま揺すられてるのに、感じるどころじゃなくて、ふるふる震えてた。そうしたら、さすがにまずいと思ったのか、アイマスクだけはずしてくれた。きっと涙でぐちゃぐちゃ。汚してごめん、でも昂貴のせいだよわかってよ。目を見て目で言う。
「……ごめん、言い過ぎたな。ちょっと、ひっかかっただけだから」
「っ……う……ひどい、酷いよ……」
「ごめん。……でも本当に知らないしさ」
 顔見たら、本当に悪かったって顔をして、私の額や頬を撫でる。
 昂貴は、意地悪言っていじめるけど、本気で嫌なことはちゃんとやめてくれる。謝ってくれる。でも都合のいい態度には見えなくて、誠実さを感じる。そこには決して嘘がないから。だから赦してしまう。酷いことをされても。私が上手く言えなくても、自分の悪いところにちゃんと気づいてくれる。わかってなおせるなら最初からしないでよって思うんだけど、からかったりいじめたりしない昂貴も、もう想像できない。
「いないよそんなひと。してないよ。昂貴としか」
 初めてなんかじゃないけど。だけど。
 他に誰もいない、こんなふうになってしまうのは。
 彼しか。
 そういうところまで伝わったらいい。どう解釈されても、どう誤解されても仕方ないような関係だけど、そういうの、いい加減なつもりは全然ない。
 昂貴じゃなかったら。
 きっと感じない。もう。
「……ああ、わかった」
 ふっと笑って、彼はそう答えた。
 でも、自分のことは答えてくれないの?
 涙まみれの目を拭わないまま見上げたら、そっと私の頭に手を置いて、優しく穏やかな微笑みのままで彼は口を開いた。
「俺もいないよ」
 わかってくれる。言いたいこと。
 ……昂貴だ。
 ちゃんと、いつもの、昂貴だった。
「うん」
Line
To be continued.
2003.10.12.Sun.
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