忘れられない過去
09.消去
地面に座りこんでしまったせいで土や砂に汚れた身体を払おうともせず、繋がっていた結合部さえ抜かずに、昂貴が後ろから抱きついてくる。こんなところで、誰かに見られるかもしれないのに、そんなことどうでもいいというように強く。なのに優しく。
……なんてことをしてしまったんだろう。
誰かに見られたような気はしなかった。声も出せなかったし。でも、気づかれたかもしれない。あんなに激しく動いては。
今更どうしようもないけれど。
どうして昂貴はこんなところで、こんなこと……。
絡みついている腕がいっそう強くなる。昂貴の鼓動が背中越しに伝わる、あたたかい身体を感じていたら、いきなりずるりと抜かれ、思わず間抜けな声を出してしまう。赤くなっていたら、くすくす笑われた。
馬鹿昂貴。私怒ってるんだから。
向かい合わせにされて、自分がものすごくはしたない、とんでもない格好になっていたことに気づいてまた恥ずかしくなる。だけど動けなくて、服を整えられて、始末も全部してもらった。というのも実を言うと腰が抜けてしまってたからなんだけど。うろ憶えだけど、最後のほうは腰を支えてもらっていたらしい。道理で、頭も身体もぐちゃぐちゃに混乱してたのに、そこだけやけに感覚がはっきりしていたわけだわ……。
立てよ、って感じで手を貸されて、立てるもんなら立ってるわよって睨みつける。昂貴はまた笑って、持ち上げるように軽々と私を立たせた。かと思うと、そのままその両手を背中に回して、抱きしめる。私は全体重のほとんどを昂貴に預けていたと思う。だって自分で自分を支えられないんだもの。
怒りながらも、自身を包むそのぬくもりに安心する自分がいる。腹立たしいのに、酷いと責めたいのに、どうして。そんなことを考えながらしばらくそのままでいた。そして落ち着いたところで彼から少し離れ、口を開いた。
「…………私、怒ってるんだからね」
できるだけ厳しい表情と目線と、思い切り低い声で睨みつけて言う。だけど。
「うん、わかってる」
「わかってないわよ! なんなのその顔は!」
こともあろうにこのひとは、まるでこの世で一番の幸せ者みたいににっこり笑ったのよ!? しかも絵に描いたように、にっこり。にっこり顔の典型例として辞書か百科事典にでも載せられるんじゃないかとか思ったくらいよ。いつもあんなにきりっとしてるのに、この緩みっぷりはどういうわけ? どういう顔の筋肉してるんだろう。
「ほんとにもう、何考えてるの? こんなところで……」
「ごめん」
彼はぽつりと呟いた。今度は、穏やかな顔で。
「ごめんって言えば済むと思ってるの!?」
「だって風澄も気持ちよかっただろ?」
「なっ……!」
あまりのことに、口をあんぐりと開けてしまったわよ私は。満面の笑顔に、穏やかな微笑み、なのに今度はにやりと意地悪そうな顔。なんなのよこのひとは一体?
「……っそういう問題じゃ」
「イったよな? しかも同時に」
「なっ……」
にやにやしながら、なんてことを言うんだろう。やっぱりこのひと変態じゃないの! しかもどうしてそんなことわかるわけ!? 女の子のそういうのって簡単にはわからないはずなのに。だから恐る恐る聞いてみたら。
「結構わかるよ。身体の反応で」
嘘……。バレバレなの? 今まで何度もいかされちゃってるってことも全部? 信じられない……まさか、私のなにもかも全て、このひとの思い通りになっちゃってるんじゃ……それも、初めて知り合った時から今までずっと?
そんなふうに考えたら、一気に恥ずかしさでたまらくなった。自分で自分がわからない。私、こんなふうじゃなかったのに。
「……やだ……もぉやだぁ……」
口から出たのは、弱音のような声。酷いことをされたのは私なのに、どうして? 完璧に負けてる。なにもかも敵わない。このひとには。
「うん」
彼は頷く。一回試したかっただけだからとか言わないでしょうね!?
「この前だって、さんざんいじめられたのに、こんなの嫌……」
「うん」
わかったと言って再び頷き、また私を抱きしめる。
「忘れさせようと思ったんだ」
「…………知ってるけど」
「あいつとの『悲しい思い出』を、俺との『恥ずかしい思い出』で、上書きしてやろうと思ったんだ」
「は、恥ずかしい思い出ってあなた……」
ファイルのデータを更新するみたいに、過去のことは読み取れないように? パソコンじゃないんだから……。
「ここで一番強烈な思い出を作ってやれば、ここに来てももう二度とそれ以外のことは思い出さずに済むだろ? たとえ思い出してもたいしたことなくなるかな、と」
「……って、そうしたら今度は、あ、あんなことを思い出しちゃうじゃないの! それだって充分いやあぁ!」
「だーめ。憶えとけ」
忘れようったって、こんなの忘れられません! 忘れたくてもっ!
……でも、だからしたの? そのためだけに? 本当に?
それにしても……まだ三度目なのよ? このひととするの。なのにどうしてもうこんな、屋外とかなわけ!? 二度目だって学校だったし。やりかたにしろ、普通のって一回もなかったわよね? 信じられない。いくら経験者同士だからって、こんなのありかしら? それもこれも全部、忘れさせるためだっていうの? それとも、ま、まさかこのひと、そういうふうにするのが好きだったりするのかしら!?
「……ちなみに誤解されないように言っておくけど、俺、初めてだからな。外でしたの」
またにやりと笑って、そんなことを言う。やっぱり考えてることわかってるんだ。
「ベッド以外でしたのも、風澄が初めてだし。……あ、する前にシャワー浴びなかったのも風澄だけだな」
あとなんかあったっけーとか言いながら、平然と歩いていく。ななななななんてこと言うんですかこのひと……もう逃げたい。
「だから安心しろよ」
「なにをよっ!?」
力一杯聞いたら、また笑って。
「『変態』は風澄限定だから」
「っ……ますます嫌よそんなのっ!」
私のせいだとでも言うの!? 思わず遠ざかろうとしたら、手首を引かれた。そして、例のショッピングモールの前へ戻る。人前に出るのはなんとなく気恥ずかしかったけど。そこで手を繋ぎなおされ、その手があまりに心地よくて安心してしまったものだから、つい私は握り返してしまう。私の顔、変じゃない? 見上げた視線の先から返ってきた笑顔がいつもの通りだったから、そのまま歩き出した。でも、ちょっといつもと違ったかもしれない。なんか、幸せそうな表情だった気がする。
あれ? 脚を動かしてるのに動けない。
昂貴?
「どうし……んぐっ」
ちょっと。
ちょっと待ってよここがどこだと思ってるの!?
「っぷはぁ! なにすんのよ!」
「なにって、キ」
口塞いで止めました。言っておくけど手でよ手で!
「っの……公衆の面前でなんてことするのよ!」
「ほんがごごいっげいいごがが?」
なに言ってるんだかサッパリわからないわよ、はははん……っうきゃあぁ!
……手のひら舐められた。なんてことするのよ?
「もっかいしちゃおうかな」
「いやーやめてええぇ!」
そんなことしたら噛みついて、ひっぱたいてやるんだから。お嬢さまらしくなくて悪いけど。あぁでも昂貴が相手じゃ流されちゃって抵抗なんかできないかも……。ううう。
「だって仕方ないだろ? なんか今の風澄可愛いし」
耳元でそっと囁く彼。耳は弱いのって何度言ったらわかるのよ? 絶対わざとだ。
「だから、早く帰ろう」
だからってどういうこと? って聞き返したら。
「続きしたいから」
……がっくり。なんなのよその体力は。今さっき一回したのに。
「別にあそこでもいいけど」
なにが? って思ったらぐりん、と身体の方向90度変えられて、その手が指し示した先は――施設内の、ホテルっ!? もちろん普通のなんだけど、でも、なんでそんなものまでついてるのよ! こういう輩(やから)が調子に乗るでしょうが! 思わず私は逃げ出そうとしたんだけど、腕をしっかりつかまれて、離れることもできない。
「いやあぁ、離してよぉっ」
「嫌なわけ?」
わざわざかがんで聞かないでよ!
だからあなた、その目で、その顔で、その年で上目遣いしないでったら!
「嫌っていうか……」
「昨夜我慢したんだからいいじゃないか」
「はあ!?」
我慢って……我慢して、なにもしなかったの!?
「だって、あの日学校で……」
「一回で足りると思うか? 大の男が?」
一週間もお預け食らってるんだぜ? とか言って。
それだけすれば充分でしょうが! それとも男性一般ってそんなものなの? だいたいねえ、あなた、さっきヤったばっかりでしょうが! ……いやあぁっ、ヤったってヤったって一体なに言ってるのよ私っ!?
「だから俺は必死に我慢したわけだよ」
「って……すればよかったじゃない……」
さすがに小さな声で、ぼそぼそと呟いた。
抵抗しないのに。夜、部屋でだったら絶対。……少なくとも太陽が出てるうちから屋外で壁に寄りかかって立ったまま後ろから犯されるよりはずっといいものっ!
「いや、だって、そうしたら今日ここに来れないだろ?」
「……は? どういうこと?」
「したら、おまえ昼まで足腰立たなくなるだろうが」
っ!!
いやあぁ!!
そんなのあなたが激しすぎるからでしょう!?
「いやぁもう、昨夜の風澄ちゃんときたら俺の服だぼだぼに着て可愛いし、俺にしがみついて離れてくれないし、自覚なく誘惑しまくるもんだから、煩悩(ぼんのう)追い払うのに本気で苦労した……ビバ俺の忍耐」
こぉんの、変態馬鹿男!
……疲れて倒れてたら連れてこられなかったのかな。それなら昨夜、無理矢理にでも誘ったら良かったのかしら、なんて馬鹿なことを私は考えた。そうしたら。
「今考えたこと当ててやろうか」
「いいです結構ですやめてください!」
即答したら笑われた。きっと私、また赤くなってる。
「で、どっちがいい?」
「誰もするなんて言ってないでしょ!」
大声で怒鳴りつけてから言葉の意味を反芻したけど、気づいた時には既に遅し。ひとの居るところなのに、なんてこと言っちゃったんだろう私ってば!? もう、立ち直れないくらい真っ赤になって、その場に座りこんじゃった。あぁ、お気に入りのスカートなのに汚れちゃう。昨日だってさんざんな扱いされてるのに、災難だ。帰ったら絶対クリーニング出そう。そんなことをぐちゃぐちゃ考えてたら昂貴までしゃがみこんで、ぽんぽんと私の頭を撫でた。見上げたら、またくすくす笑ってる。むうぅーって口唇尖らせたら、指先でちょんと触れられて。
「ほら、帰るぞ」
両手つかんで、ぐいっと身体を持ち上げて、ぱたぱたスカートまではたいてる。鞄も拾ってくれてたから、渡してって手を差し出したらにやりと笑って。
「拉致」
それって、鞄を持ってれば逃げられないだろうってこと?
「逃げないわよ、もう」
だいたい、逃げようと思ったって逃がしてくれないくせに。
「いや知能犯だからね風澄ちゃんは」
誰が風澄ちゃんよ気色悪い! 誰もいいなんて言ってないのに初対面から呼び捨てで、名字呼んだこともないくせに。それに、こんなにされるがままになっちゃってるんだもの、知能だってきっと敵わない。悔しい。だから本当に頭を使ってみた。
「男にそんなものまで持たせるような駄目女にさせる気?」
「…………、やっぱり知能犯じゃないか」
勝った。奪還成功。いつも荷物を持ってるから、手ぶらって落ち着かないし。それに、本当にそういうの嫌なのよね。他人のことに口出しする気はさらさらないんだけど、私は絶対しないし、したくない。だってハンドバッグよ?
「たまには気分を変えようかと思ったんだけどなあ……」
なんてぶつくさ言いながら、方向転換して歩いていく。出口に向かってるんだ。それにしても、お金かかるのにホテルのほうがいいのかしら?
「まぁいいか、家のほうが色々好都合だし」
「好都合ってなにがよ!?」
「いや、チェックアウト過ぎても足腰立たなそうだから」
うちだったらいつまででも倒れてていいからさ、とか言って。がっくり……。だから、するなんて言ってないでしょうが一言も。
「……あのねえ、わかってる? 私、怒ってるんだからね?」
「わかってるよ」
そんなことあたりまえだろっていうふうに、さらりと言う。
「でも忘れたよな?」
「…………っ知らないっ!」
だからって、よりにもよってあんな方法使うことないじゃない。そうは思うんだけど、もう、なんか……流されてるなぁ、私。腹を立ててるのに、許してる。
それに、気づいたら本当に、あの思い出が薄れてた。
三年前にここで見たあのふたりが、もう見えない。
さっきまで、呪われているかのように頭に浮かんできていたのに、どうしてだろう。
昂貴が、消してくれた?
あんな方法とはいえ、解き放ってくれたの?
完全に消えているわけじゃないけど、もう、苦しくない。繋いだ手から伝わるあたたかい体温に満たされてる。
「……ありがと、昂貴」
ほんとに小さい声で呟いたのに聞こえていたみたいで、彼は私を驚いたように見つめて、穏やかに笑った。
「…………なに?」
「名前、初めて呼んだな」
……その場でまたキスされて、空に私の断末魔の声が響いたのは、言うまでもない。
……なんてことをしてしまったんだろう。
誰かに見られたような気はしなかった。声も出せなかったし。でも、気づかれたかもしれない。あんなに激しく動いては。
今更どうしようもないけれど。
どうして昂貴はこんなところで、こんなこと……。
絡みついている腕がいっそう強くなる。昂貴の鼓動が背中越しに伝わる、あたたかい身体を感じていたら、いきなりずるりと抜かれ、思わず間抜けな声を出してしまう。赤くなっていたら、くすくす笑われた。
馬鹿昂貴。私怒ってるんだから。
向かい合わせにされて、自分がものすごくはしたない、とんでもない格好になっていたことに気づいてまた恥ずかしくなる。だけど動けなくて、服を整えられて、始末も全部してもらった。というのも実を言うと腰が抜けてしまってたからなんだけど。うろ憶えだけど、最後のほうは腰を支えてもらっていたらしい。道理で、頭も身体もぐちゃぐちゃに混乱してたのに、そこだけやけに感覚がはっきりしていたわけだわ……。
立てよ、って感じで手を貸されて、立てるもんなら立ってるわよって睨みつける。昂貴はまた笑って、持ち上げるように軽々と私を立たせた。かと思うと、そのままその両手を背中に回して、抱きしめる。私は全体重のほとんどを昂貴に預けていたと思う。だって自分で自分を支えられないんだもの。
怒りながらも、自身を包むそのぬくもりに安心する自分がいる。腹立たしいのに、酷いと責めたいのに、どうして。そんなことを考えながらしばらくそのままでいた。そして落ち着いたところで彼から少し離れ、口を開いた。
「…………私、怒ってるんだからね」
できるだけ厳しい表情と目線と、思い切り低い声で睨みつけて言う。だけど。
「うん、わかってる」
「わかってないわよ! なんなのその顔は!」
こともあろうにこのひとは、まるでこの世で一番の幸せ者みたいににっこり笑ったのよ!? しかも絵に描いたように、にっこり。にっこり顔の典型例として辞書か百科事典にでも載せられるんじゃないかとか思ったくらいよ。いつもあんなにきりっとしてるのに、この緩みっぷりはどういうわけ? どういう顔の筋肉してるんだろう。
「ほんとにもう、何考えてるの? こんなところで……」
「ごめん」
彼はぽつりと呟いた。今度は、穏やかな顔で。
「ごめんって言えば済むと思ってるの!?」
「だって風澄も気持ちよかっただろ?」
「なっ……!」
あまりのことに、口をあんぐりと開けてしまったわよ私は。満面の笑顔に、穏やかな微笑み、なのに今度はにやりと意地悪そうな顔。なんなのよこのひとは一体?
「……っそういう問題じゃ」
「イったよな? しかも同時に」
「なっ……」
にやにやしながら、なんてことを言うんだろう。やっぱりこのひと変態じゃないの! しかもどうしてそんなことわかるわけ!? 女の子のそういうのって簡単にはわからないはずなのに。だから恐る恐る聞いてみたら。
「結構わかるよ。身体の反応で」
嘘……。バレバレなの? 今まで何度もいかされちゃってるってことも全部? 信じられない……まさか、私のなにもかも全て、このひとの思い通りになっちゃってるんじゃ……それも、初めて知り合った時から今までずっと?
そんなふうに考えたら、一気に恥ずかしさでたまらくなった。自分で自分がわからない。私、こんなふうじゃなかったのに。
「……やだ……もぉやだぁ……」
口から出たのは、弱音のような声。酷いことをされたのは私なのに、どうして? 完璧に負けてる。なにもかも敵わない。このひとには。
「うん」
彼は頷く。一回試したかっただけだからとか言わないでしょうね!?
「この前だって、さんざんいじめられたのに、こんなの嫌……」
「うん」
わかったと言って再び頷き、また私を抱きしめる。
「忘れさせようと思ったんだ」
「…………知ってるけど」
「あいつとの『悲しい思い出』を、俺との『恥ずかしい思い出』で、上書きしてやろうと思ったんだ」
「は、恥ずかしい思い出ってあなた……」
ファイルのデータを更新するみたいに、過去のことは読み取れないように? パソコンじゃないんだから……。
「ここで一番強烈な思い出を作ってやれば、ここに来てももう二度とそれ以外のことは思い出さずに済むだろ? たとえ思い出してもたいしたことなくなるかな、と」
「……って、そうしたら今度は、あ、あんなことを思い出しちゃうじゃないの! それだって充分いやあぁ!」
「だーめ。憶えとけ」
忘れようったって、こんなの忘れられません! 忘れたくてもっ!
……でも、だからしたの? そのためだけに? 本当に?
それにしても……まだ三度目なのよ? このひととするの。なのにどうしてもうこんな、屋外とかなわけ!? 二度目だって学校だったし。やりかたにしろ、普通のって一回もなかったわよね? 信じられない。いくら経験者同士だからって、こんなのありかしら? それもこれも全部、忘れさせるためだっていうの? それとも、ま、まさかこのひと、そういうふうにするのが好きだったりするのかしら!?
「……ちなみに誤解されないように言っておくけど、俺、初めてだからな。外でしたの」
またにやりと笑って、そんなことを言う。やっぱり考えてることわかってるんだ。
「ベッド以外でしたのも、風澄が初めてだし。……あ、する前にシャワー浴びなかったのも風澄だけだな」
あとなんかあったっけーとか言いながら、平然と歩いていく。ななななななんてこと言うんですかこのひと……もう逃げたい。
「だから安心しろよ」
「なにをよっ!?」
力一杯聞いたら、また笑って。
「『変態』は風澄限定だから」
「っ……ますます嫌よそんなのっ!」
私のせいだとでも言うの!? 思わず遠ざかろうとしたら、手首を引かれた。そして、例のショッピングモールの前へ戻る。人前に出るのはなんとなく気恥ずかしかったけど。そこで手を繋ぎなおされ、その手があまりに心地よくて安心してしまったものだから、つい私は握り返してしまう。私の顔、変じゃない? 見上げた視線の先から返ってきた笑顔がいつもの通りだったから、そのまま歩き出した。でも、ちょっといつもと違ったかもしれない。なんか、幸せそうな表情だった気がする。
あれ? 脚を動かしてるのに動けない。
昂貴?
「どうし……んぐっ」
ちょっと。
ちょっと待ってよここがどこだと思ってるの!?
「っぷはぁ! なにすんのよ!」
「なにって、キ」
口塞いで止めました。言っておくけど手でよ手で!
「っの……公衆の面前でなんてことするのよ!」
「ほんがごごいっげいいごがが?」
なに言ってるんだかサッパリわからないわよ、はははん……っうきゃあぁ!
……手のひら舐められた。なんてことするのよ?
「もっかいしちゃおうかな」
「いやーやめてええぇ!」
そんなことしたら噛みついて、ひっぱたいてやるんだから。お嬢さまらしくなくて悪いけど。あぁでも昂貴が相手じゃ流されちゃって抵抗なんかできないかも……。ううう。
「だって仕方ないだろ? なんか今の風澄可愛いし」
耳元でそっと囁く彼。耳は弱いのって何度言ったらわかるのよ? 絶対わざとだ。
「だから、早く帰ろう」
だからってどういうこと? って聞き返したら。
「続きしたいから」
……がっくり。なんなのよその体力は。今さっき一回したのに。
「別にあそこでもいいけど」
なにが? って思ったらぐりん、と身体の方向90度変えられて、その手が指し示した先は――施設内の、ホテルっ!? もちろん普通のなんだけど、でも、なんでそんなものまでついてるのよ! こういう輩(やから)が調子に乗るでしょうが! 思わず私は逃げ出そうとしたんだけど、腕をしっかりつかまれて、離れることもできない。
「いやあぁ、離してよぉっ」
「嫌なわけ?」
わざわざかがんで聞かないでよ!
だからあなた、その目で、その顔で、その年で上目遣いしないでったら!
「嫌っていうか……」
「昨夜我慢したんだからいいじゃないか」
「はあ!?」
我慢って……我慢して、なにもしなかったの!?
「だって、あの日学校で……」
「一回で足りると思うか? 大の男が?」
一週間もお預け食らってるんだぜ? とか言って。
それだけすれば充分でしょうが! それとも男性一般ってそんなものなの? だいたいねえ、あなた、さっきヤったばっかりでしょうが! ……いやあぁっ、ヤったってヤったって一体なに言ってるのよ私っ!?
「だから俺は必死に我慢したわけだよ」
「って……すればよかったじゃない……」
さすがに小さな声で、ぼそぼそと呟いた。
抵抗しないのに。夜、部屋でだったら絶対。……少なくとも太陽が出てるうちから屋外で壁に寄りかかって立ったまま後ろから犯されるよりはずっといいものっ!
「いや、だって、そうしたら今日ここに来れないだろ?」
「……は? どういうこと?」
「したら、おまえ昼まで足腰立たなくなるだろうが」
っ!!
いやあぁ!!
そんなのあなたが激しすぎるからでしょう!?
「いやぁもう、昨夜の風澄ちゃんときたら俺の服だぼだぼに着て可愛いし、俺にしがみついて離れてくれないし、自覚なく誘惑しまくるもんだから、煩悩(ぼんのう)追い払うのに本気で苦労した……ビバ俺の忍耐」
こぉんの、変態馬鹿男!
……疲れて倒れてたら連れてこられなかったのかな。それなら昨夜、無理矢理にでも誘ったら良かったのかしら、なんて馬鹿なことを私は考えた。そうしたら。
「今考えたこと当ててやろうか」
「いいです結構ですやめてください!」
即答したら笑われた。きっと私、また赤くなってる。
「で、どっちがいい?」
「誰もするなんて言ってないでしょ!」
大声で怒鳴りつけてから言葉の意味を反芻したけど、気づいた時には既に遅し。ひとの居るところなのに、なんてこと言っちゃったんだろう私ってば!? もう、立ち直れないくらい真っ赤になって、その場に座りこんじゃった。あぁ、お気に入りのスカートなのに汚れちゃう。昨日だってさんざんな扱いされてるのに、災難だ。帰ったら絶対クリーニング出そう。そんなことをぐちゃぐちゃ考えてたら昂貴までしゃがみこんで、ぽんぽんと私の頭を撫でた。見上げたら、またくすくす笑ってる。むうぅーって口唇尖らせたら、指先でちょんと触れられて。
「ほら、帰るぞ」
両手つかんで、ぐいっと身体を持ち上げて、ぱたぱたスカートまではたいてる。鞄も拾ってくれてたから、渡してって手を差し出したらにやりと笑って。
「拉致」
それって、鞄を持ってれば逃げられないだろうってこと?
「逃げないわよ、もう」
だいたい、逃げようと思ったって逃がしてくれないくせに。
「いや知能犯だからね風澄ちゃんは」
誰が風澄ちゃんよ気色悪い! 誰もいいなんて言ってないのに初対面から呼び捨てで、名字呼んだこともないくせに。それに、こんなにされるがままになっちゃってるんだもの、知能だってきっと敵わない。悔しい。だから本当に頭を使ってみた。
「男にそんなものまで持たせるような駄目女にさせる気?」
「…………、やっぱり知能犯じゃないか」
勝った。奪還成功。いつも荷物を持ってるから、手ぶらって落ち着かないし。それに、本当にそういうの嫌なのよね。他人のことに口出しする気はさらさらないんだけど、私は絶対しないし、したくない。だってハンドバッグよ?
「たまには気分を変えようかと思ったんだけどなあ……」
なんてぶつくさ言いながら、方向転換して歩いていく。出口に向かってるんだ。それにしても、お金かかるのにホテルのほうがいいのかしら?
「まぁいいか、家のほうが色々好都合だし」
「好都合ってなにがよ!?」
「いや、チェックアウト過ぎても足腰立たなそうだから」
うちだったらいつまででも倒れてていいからさ、とか言って。がっくり……。だから、するなんて言ってないでしょうが一言も。
「……あのねえ、わかってる? 私、怒ってるんだからね?」
「わかってるよ」
そんなことあたりまえだろっていうふうに、さらりと言う。
「でも忘れたよな?」
「…………っ知らないっ!」
だからって、よりにもよってあんな方法使うことないじゃない。そうは思うんだけど、もう、なんか……流されてるなぁ、私。腹を立ててるのに、許してる。
それに、気づいたら本当に、あの思い出が薄れてた。
三年前にここで見たあのふたりが、もう見えない。
さっきまで、呪われているかのように頭に浮かんできていたのに、どうしてだろう。
昂貴が、消してくれた?
あんな方法とはいえ、解き放ってくれたの?
完全に消えているわけじゃないけど、もう、苦しくない。繋いだ手から伝わるあたたかい体温に満たされてる。
「……ありがと、昂貴」
ほんとに小さい声で呟いたのに聞こえていたみたいで、彼は私を驚いたように見つめて、穏やかに笑った。
「…………なに?」
「名前、初めて呼んだな」
……その場でまたキスされて、空に私の断末魔の声が響いたのは、言うまでもない。
To be continued.
2003.09.26.Fri.
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