忘れられない過去
07.記憶
そりゃあ抵抗したわよ!
「なに考えてるのよわかってるの!? 冗談じゃないわよ絶対に行かないから!」
「そうやっておまえは過去から逃げてるから忘れられないんだろ」
と、切り捨てるように彼は言い放った。口惜しかったけれど、一言も言い返せなくて、ただ、ぎゅっと口唇を結んで睨みつける。そうしたら、すごく強い眼差しで見られていたことに気づいて、思わず怯(ひる)んでしまった。そんな私を落ち着かせるためか、昂貴はまた腕を伸ばし、しっかりと私を抱きしめる。自分の目が他人を竦(すく)ませることができるって、知ってるんだ……。そして、彼は言った。
「忘れさせてやるから」
って。
ねぇどうして、そんなこと言えるの?
私、ちっとも忘れられてないのよ? 頭から宗哉が消えない。消したくて消したくてどうしようもないのに、考えちゃうの。忘れさせてくれてなんかいないじゃない。そう責めても良かったのかもしれない。だけど確実に苦しみは和らいでいく。あたたかい腕の中で。
抱き合って同じベッドに入ったのになにもしないまま、その夜は更けていった。ただ彼のぬくもりが私を包んで、パジャマ越しにそのあたたかさを感じていた。暑くて重くて邪魔なはずなのに、離れたくなかった。
* * * * *
そして土曜日、つまり今日――私は本当の本当に、そこに連れてこられてしまった。
どうしてこんなにスムーズな行き方を知っているのよと聞いたら、今朝ネットで調べたと言っていた。……案外マメね。
用事があるから駄目って言えばよかったのかな。今更そんなことを考えた。だけど、きっと気づかれる。そういう勘、すごくいいんだもの。頭がいいのは知ってるけど、そんなところまで鋭くなくたっていいじゃない?
隙を見て逃げ出すようなことしたら、また『逃げるな』って言われるだろうし、もう腹をくくったわよ、私は。
どういうつもりか知らないけど。
* * * * *
三年前に来たっきりのそこは、当時とそれほど大幅に変わっていたりはしなかった。入口を見つめて立ち止まってしまう私の気持ちを知ってか知らずか、ちょっと待ってろよと言われて、しばらくするとフリーパスを手渡された。こっちが口を出す前に間髪入れず「金出すなよ」って。払えるのに、と思ったけど、こういう時に男性を立てておかないと失礼なのよね。金銭的なことより、そういうほうが大事だって聞いたことがある。割り勘派の人もいるだろうし、そもそも学生同士だからそれが普通だと思うんだけど。まぁ、今日は半ば無理矢理にひっぱってこられたんだし、遠慮なく奢られることにした。そもそも、確かこのテーマパーク自体は入場無料で、施設だけが有料なんだったと思う。だから、来ることがだけが目的なら、そのまま歩くだけでいいはずなんだけど。来たからには楽しむタイプ? そんなことを考えていたら手を引かれた。繋いで、歩き出す。……こんなの、端から見たら恋人同士でしかないじゃない……。
……あ、そうか。
恋人同士で来てると思えってことかな。
三年前、ここであのふたりを見ていたのに、今は違うひととここにいる。
つい一週間ほど前まで、全然知らなかったひとと。
……不思議。
少しだけ、気持ちが軽くなった。
だから軽く手を握り返して、並んで歩いた。
あ……歩幅、あわせてくれてる。
* * * * *
遊園地と水族館とレストランとショッピングモールが一緒くたになったようなその施設を、昂貴は片っ端から網羅していった。ずいぶん詳しいから、これまでに何度も来たことがあるのかと思ったら、オフィシャルサイトに『おすすめのコース』がありとあらゆるシチュエーション別に載っていたんだとか。……ほんとにマメね。で、どんなコースを選んだの? と聞いたら即答して曰く、
「ラブラブカップルコース」
…………。
誰と誰がよ!? って顔をしたら、やっぱりわかったみたいで。
「今日はそういうことにしとけ」
だって。別に嫌じゃないからいいけど。やっぱり、こんな私おかしいわよね。こんなこと、昂貴以外のひとに言われたら絶対ついていかない。恋人でもない男性に、そんな扱いを受けるのって嫌じゃない? でも前に最華にそう言ったら『好意なら悪い気はしない』って言ってた。ひとそれぞれっていうことかな。それとも、私が変なのかしら?
手を繋いで、片時も離れないで。とりとめのない話を、すぐそばでする。
汗をかいたりして、すごく気を遣うから、本当は手を繋ぐのって苦手なんだけど、昂貴はそうじゃないみたい。お互いの体温を感じるから?
ふと、周囲からの視線に気づいた。お互いに背が高いから目立ってるのかな。
お昼を食べてるときにそう言ったら、
「お似合いのカップルで見とれてたんだろ」
だって。……はぁ。なんなんですかこのひと。
……確かに、釣り合いは取れてると思う。
男女の理想の身長差って、12センチなんだって。168と182なら、少し開いてるけど、許容範囲よね。私はいつもヒールのある靴を履いているから、その身長差は今は7、8センチくらいだし。……まぁ、理想の身長差って『お互いかがんだり背伸びしたりしてキスしやすい身長差』ってことらしいんだけど。
私は地毛が茶色で、彼は黒髪。だけどどっちも肌は白い。顔は全然違う系統だけど、はっきりした顔立ちというのは共通点かもしれない。
服装は、私は昨日のまま、半袖のブラウスと膝丈のAラインスカートとサンダル。いつものようにブラウスが白でサンダルとスカートが黒。鞄も黒。ネイルは手も足も、お気に入りの薄いピンク色。昂貴は洗いざらしのコットンシャツにカジュアルなボトムスなんだけど、すごく質の良さそうな服。生地とか縫製とかよくわからないけど、昂貴の着てる服っていつもラインがすごく綺麗だから、いいもの着てるんだろうなって思う。靴はなんていうのかな、革製で、ちょっと変わったデザインだった。カジュアルなのにちゃんとしてる。そうか、ファッションの本場のイタリアに何度も行ってるんだものね、結構お洒落には気を遣うほうなのかもしれない。質のいいものを選ぶっていうのは、私も同じ。
学歴は、年齢差はあるけれど、いずれは同じ道に行く。
家も、変わってるという意味では似てる。
宗哉と私が並ぶと、身長は同じくらいだし、あっちはイタリア系の顔、私は私で色素が薄くて、周囲から浮いてるふたりっていう感じだった気がする。だけどそれが、現実との乖離(かいり)という意味で、現実味がない、あまりよくない感じだった。
昂貴は違う。私と違うからこそ、周囲に馴染んでいける気がする。だけど周りから目立っていたのは、やっぱり身長なのかな。
……あのふたりが並んでいたのを見て、浮いてないのが衝撃的だった。
ショッピングモールの中、ちょうどこの近くだった気がする。
一緒に来たんだから居るのはあたりまえなんだけど……あのひとの隣に馴染める子がいるんだっていうことに、端から見たそのとき初めて気づいた。
そして、そのふたりの周りにあった、ひとつの空気――。
たいしたことじゃない。
手を繋いでいたわけでも、腕を組んでいたわけでもない。
ましてラブシーンを見たわけでもない。
だけど、確かにふたりでひとつの空間を共有していた。ひと目でわかるほど……。
そのふたりの表情が、全てを物語っていた。
そのとき感じた。「私じゃないんだ」って。
打ちのめされるような衝撃と共に、一瞬で理解した。頭と心と身体で。
嫉妬よりなにより、感じたのは絶望。
決して敵わない女性と、決して叶わない想いに気づいた瞬間。
今も脳裏から離れないあの光景――。
そんなことを考えていたら、いきなり手を締めつけられる感触がした。見上げた先には、昂貴の強い視線。そして彼はなにも言わずにぐいっと私の手を取ると、無理矢理ひっぱるようにして、外へと連れて行った。私はただ、されるがまま、彼についていくだけだった。
「なに考えてるのよわかってるの!? 冗談じゃないわよ絶対に行かないから!」
「そうやっておまえは過去から逃げてるから忘れられないんだろ」
と、切り捨てるように彼は言い放った。口惜しかったけれど、一言も言い返せなくて、ただ、ぎゅっと口唇を結んで睨みつける。そうしたら、すごく強い眼差しで見られていたことに気づいて、思わず怯(ひる)んでしまった。そんな私を落ち着かせるためか、昂貴はまた腕を伸ばし、しっかりと私を抱きしめる。自分の目が他人を竦(すく)ませることができるって、知ってるんだ……。そして、彼は言った。
「忘れさせてやるから」
って。
ねぇどうして、そんなこと言えるの?
私、ちっとも忘れられてないのよ? 頭から宗哉が消えない。消したくて消したくてどうしようもないのに、考えちゃうの。忘れさせてくれてなんかいないじゃない。そう責めても良かったのかもしれない。だけど確実に苦しみは和らいでいく。あたたかい腕の中で。
抱き合って同じベッドに入ったのになにもしないまま、その夜は更けていった。ただ彼のぬくもりが私を包んで、パジャマ越しにそのあたたかさを感じていた。暑くて重くて邪魔なはずなのに、離れたくなかった。
* * * * *
そして土曜日、つまり今日――私は本当の本当に、そこに連れてこられてしまった。
どうしてこんなにスムーズな行き方を知っているのよと聞いたら、今朝ネットで調べたと言っていた。……案外マメね。
用事があるから駄目って言えばよかったのかな。今更そんなことを考えた。だけど、きっと気づかれる。そういう勘、すごくいいんだもの。頭がいいのは知ってるけど、そんなところまで鋭くなくたっていいじゃない?
隙を見て逃げ出すようなことしたら、また『逃げるな』って言われるだろうし、もう腹をくくったわよ、私は。
どういうつもりか知らないけど。
* * * * *
三年前に来たっきりのそこは、当時とそれほど大幅に変わっていたりはしなかった。入口を見つめて立ち止まってしまう私の気持ちを知ってか知らずか、ちょっと待ってろよと言われて、しばらくするとフリーパスを手渡された。こっちが口を出す前に間髪入れず「金出すなよ」って。払えるのに、と思ったけど、こういう時に男性を立てておかないと失礼なのよね。金銭的なことより、そういうほうが大事だって聞いたことがある。割り勘派の人もいるだろうし、そもそも学生同士だからそれが普通だと思うんだけど。まぁ、今日は半ば無理矢理にひっぱってこられたんだし、遠慮なく奢られることにした。そもそも、確かこのテーマパーク自体は入場無料で、施設だけが有料なんだったと思う。だから、来ることがだけが目的なら、そのまま歩くだけでいいはずなんだけど。来たからには楽しむタイプ? そんなことを考えていたら手を引かれた。繋いで、歩き出す。……こんなの、端から見たら恋人同士でしかないじゃない……。
……あ、そうか。
恋人同士で来てると思えってことかな。
三年前、ここであのふたりを見ていたのに、今は違うひととここにいる。
つい一週間ほど前まで、全然知らなかったひとと。
……不思議。
少しだけ、気持ちが軽くなった。
だから軽く手を握り返して、並んで歩いた。
あ……歩幅、あわせてくれてる。
* * * * *
遊園地と水族館とレストランとショッピングモールが一緒くたになったようなその施設を、昂貴は片っ端から網羅していった。ずいぶん詳しいから、これまでに何度も来たことがあるのかと思ったら、オフィシャルサイトに『おすすめのコース』がありとあらゆるシチュエーション別に載っていたんだとか。……ほんとにマメね。で、どんなコースを選んだの? と聞いたら即答して曰く、
「ラブラブカップルコース」
…………。
誰と誰がよ!? って顔をしたら、やっぱりわかったみたいで。
「今日はそういうことにしとけ」
だって。別に嫌じゃないからいいけど。やっぱり、こんな私おかしいわよね。こんなこと、昂貴以外のひとに言われたら絶対ついていかない。恋人でもない男性に、そんな扱いを受けるのって嫌じゃない? でも前に最華にそう言ったら『好意なら悪い気はしない』って言ってた。ひとそれぞれっていうことかな。それとも、私が変なのかしら?
手を繋いで、片時も離れないで。とりとめのない話を、すぐそばでする。
汗をかいたりして、すごく気を遣うから、本当は手を繋ぐのって苦手なんだけど、昂貴はそうじゃないみたい。お互いの体温を感じるから?
ふと、周囲からの視線に気づいた。お互いに背が高いから目立ってるのかな。
お昼を食べてるときにそう言ったら、
「お似合いのカップルで見とれてたんだろ」
だって。……はぁ。なんなんですかこのひと。
……確かに、釣り合いは取れてると思う。
男女の理想の身長差って、12センチなんだって。168と182なら、少し開いてるけど、許容範囲よね。私はいつもヒールのある靴を履いているから、その身長差は今は7、8センチくらいだし。……まぁ、理想の身長差って『お互いかがんだり背伸びしたりしてキスしやすい身長差』ってことらしいんだけど。
私は地毛が茶色で、彼は黒髪。だけどどっちも肌は白い。顔は全然違う系統だけど、はっきりした顔立ちというのは共通点かもしれない。
服装は、私は昨日のまま、半袖のブラウスと膝丈のAラインスカートとサンダル。いつものようにブラウスが白でサンダルとスカートが黒。鞄も黒。ネイルは手も足も、お気に入りの薄いピンク色。昂貴は洗いざらしのコットンシャツにカジュアルなボトムスなんだけど、すごく質の良さそうな服。生地とか縫製とかよくわからないけど、昂貴の着てる服っていつもラインがすごく綺麗だから、いいもの着てるんだろうなって思う。靴はなんていうのかな、革製で、ちょっと変わったデザインだった。カジュアルなのにちゃんとしてる。そうか、ファッションの本場のイタリアに何度も行ってるんだものね、結構お洒落には気を遣うほうなのかもしれない。質のいいものを選ぶっていうのは、私も同じ。
学歴は、年齢差はあるけれど、いずれは同じ道に行く。
家も、変わってるという意味では似てる。
宗哉と私が並ぶと、身長は同じくらいだし、あっちはイタリア系の顔、私は私で色素が薄くて、周囲から浮いてるふたりっていう感じだった気がする。だけどそれが、現実との乖離(かいり)という意味で、現実味がない、あまりよくない感じだった。
昂貴は違う。私と違うからこそ、周囲に馴染んでいける気がする。だけど周りから目立っていたのは、やっぱり身長なのかな。
……あのふたりが並んでいたのを見て、浮いてないのが衝撃的だった。
ショッピングモールの中、ちょうどこの近くだった気がする。
一緒に来たんだから居るのはあたりまえなんだけど……あのひとの隣に馴染める子がいるんだっていうことに、端から見たそのとき初めて気づいた。
そして、そのふたりの周りにあった、ひとつの空気――。
たいしたことじゃない。
手を繋いでいたわけでも、腕を組んでいたわけでもない。
ましてラブシーンを見たわけでもない。
だけど、確かにふたりでひとつの空間を共有していた。ひと目でわかるほど……。
そのふたりの表情が、全てを物語っていた。
そのとき感じた。「私じゃないんだ」って。
打ちのめされるような衝撃と共に、一瞬で理解した。頭と心と身体で。
嫉妬よりなにより、感じたのは絶望。
決して敵わない女性と、決して叶わない想いに気づいた瞬間。
今も脳裏から離れないあの光景――。
そんなことを考えていたら、いきなり手を締めつけられる感触がした。見上げた先には、昂貴の強い視線。そして彼はなにも言わずにぐいっと私の手を取ると、無理矢理ひっぱるようにして、外へと連れて行った。私はただ、されるがまま、彼についていくだけだった。
To be continued.
2003.09.22.Mon.
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