忘れられない過去

03.デスク


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 彼は私の背中を片腕で支え、もう片方の手を膝の裏に添え、そしてそっと身体をすくった。軽いはずがないのに易々と抱き上げられて、私は近くにあったデスクの端に載せられてしまう。物が置いてないから使ってないものなんだろう。ほんの少しの距離だったけれど『お姫さま抱っこ』されてしまったことに気づいて、頬が熱くなった。でも照れる間もなくキスを繰り返される。息ができなくて、なにも考えられなくなる彼のくちづけ。頭がくらくらして、全身を彼に委(ゆだ)ねた。
 ぼうっと見上げると、彼は私をじっと見つめ、そして、ふっと目を逸らした。どうしてだろうと疑問を抱いたところで、思い当たる。健全な関係じゃないから。見つめあって幸せを感じるなんていうことは……ないから。
 交わることのない視線に寂しさと後ろめたさがよぎるけれど、私にはなにも言えない。全ての原因が私にあるのかもしれないけれど、彼の気持ちなんて欠片もわからないもの。それに自分が言いたいことさえわからないし、わかっていたとしても、きっと咽喉で止まって出ては来ない。
 今日も目隠しされてしまうんだろうか、と思ったら彼は私を横に倒し、背中を向けさせ、私の顔を壁側にやった。すると、目の前にいきなり本が置かれる。積み上げていた本のうちの一冊……そして、あの絵のページを開かれた。
「っ……!」
「……こうしていれば、想像しやすいだろ?」
「そんな……」
「いいから、それ見てろよ」
 静かだけれど有無を言わさない口調で彼は言った。
 目の前にある宗哉の顔。……違う。宗哉じゃない。ただの絵よ。
 だけどこれじゃあ宗哉の前で昂貴に抱かれているようなものじゃないの……!
 それとも……それが目的なの?
 わからない。彼の意図がわからない。でも、抵抗できなかった。どんな理由でもいい、宗哉を忘れたかったから。そして、忘れさせてくれると昂貴は言ったのだから。だけど、どうして昂貴は宗哉のことを考えろと言うんだろう? もうまるでわけがわからない。なのに今の私はされるがまま。どうして、このひとには逆らえないんだろう? こんなところで、こんな格好は嫌だと言えないんだろう?
 実は、今まで正常位以外でしたことがなかった。でも、そんなの普通だと思う。先週のあのとき、目隠しされてたしなにも考えられなかったけど、初めて別の方向からもされた。知っているのと違う感覚に驚いたっけ。最初と最後はちゃんと普通だったんだけれど、その最中は結構……横とか後ろとか……身体をひっくり返されたり、横倒しにしたり、かなりいろいろされた気がする。
 相手の顔が見えないと、不安になる。目隠しをされていたときと違って五感は変わりないんだけれど、なにをされるか全く予想がつかないのは同じだし、しかも今の体勢じゃまるで動物みたいで恥ずかしい。その上……着衣のままだ。半脱げの自分。どんないやらしい格好をしてるのか、考えたくもない。全裸よりそのほうが興奮するっていうけど本当なんだろうか。でもこれじゃあ本当に性欲処理のためだけみたい。認めたくはないけれど、そういう側面もないとは言えないか……。
 そんなことを考えながらボタンを外される。彼はブラをずり上げて、後ろから覆いかぶさってきた。両胸を両手で揉みしだかれる。昂貴の大きな手に私の胸は包み込まれてしまう。重力がかかって多少は大きくなっているはずなのに。まな板ではないとはいえ、所詮、Cだしね……なんてことを考えているうちに、どんどん揉みこまれて、頭が淫猥(いんわい)な心地よさに染められていく。
「っあ……ぁあん……っ」
 いけない、思わず声を出しちゃった。扉と窓は閉まっているけれど、誰かに聞こえたりしなかっただろうか。
「この棟は部屋ごとの完全防音だから……声出せよ」
 な、なんですって!? ということはもしや、狙ってたわね!?
「つっ、つまり、構内では絶好の場所だってわけ? ……っあぁん!」
 いきなり胸の先端をつままれた。そのままぐりぐりと動かされる。痛いはずなのに、どうして気持ちいいの? 乱暴なようで優しい、ギリギリのラインの触れ方。
「その通り。だから思う存分乱れろよ」
 そのまま彼はねっとりと首筋に舌を這わせた。手は胸に張り付いて離れない。口唇だけが背中を動き回る。ちょっとでも気を抜くと身体を支えてる両手が力を失いそうになる。
「っ……ゃあん!」
 背筋をなぞられて私はのけぞった。自分の声に驚く。背が高いせいか、どちらかというと低いトーンのはずなのに、こんな高くて甘い声出せるものなの?
「いい声だな……もっと聞かせろよ」
「っ……こっ、この変態ぃっ! ……いやぁ……」
 一言、必死の思いで言ったつもりだったのに、すぐさま翻弄される。ふたつの肩甲骨を舐め上げられ、その間の背筋に口唇を押し当てたかと思うと、下へと辿(たど)っていく。
「ふぅん? じゃあ、変態にこんなことされて感じちゃってる風澄ちゃんは変態じゃないのかな……?」
「っやぁ……言わないでぇ……」
 わかってるわよ。
 頭の中で違う男に激しくされていると想像するような女が、正常なわけない。
「……あなたが、っ、私を、変態に、してるんだも……っあぁ!」
 やっと両手が胸を離れたと思ったら、今度は腰。くすぐったさを越えて身体に走る快感。どうしてこんなところで感じちゃうのよ? 触れられるだけでゾクゾクするなんて。
「なれよ。変態に」
 そして彼は、またとんでもないことを言い出した。
「それにしても……『好きな男』に変態はないだろう?」
 …………!
 下を向けば、彼に瓜二つのその絵がある。
 ふと、宗哉の姿がよぎる。『変態』かどうかは知らないけど、変わったひとではあった。
 似てるひとなんかいない。誰も、宗哉のようになんてなれない。
 彼もこんなことをするのだろうか。
 ――あの子に。
 そんなことを考えていたら、反応が止まっていたらしい。昂貴は私を抱きしめて腰にくちづけ、囁いた。
「……考えてろよ、『宗哉』のこと……」
 そう言って、また動きを再開する。
 忘れさせてくれるって言ったのに、どうして彼はこんなことを言うのだろう。考えたら忘れられないじゃない。だけど俺のことを考えろとは彼は言わない。なにを狙っているんだろう。どうして? でもすぐにそんなこと考えられなくなってしまう。
「っあ……は……っ、ふ……」
 肌を吸い上げられる感触。痕をつけてるのがわかる。一週間前、自分の部屋に帰ってからシャワーを浴びた時、全身に残るキスマークが恥ずかしくて、早々に出たのを思い出す。全身に咲く、赤い赤い花。男に愛された証。愛し合った証。愛情なんか、あの行為のどこを探したってありはしないのに、身体にはその痕が残されてる。夏だから気を遣ってか、下着で隠れるところにしかついていなかった。でも、だからこそ、特別な関係でもなければ触れ合わない場所なのも事実で。
 このひとはどうして私を抱くのだろう。しかもこんなに、甘く優しく、そして激しく。
 ただの性欲処理? 『学内で五本の指に入るお嬢』を陥落させている優越感? 私の容姿が好みだとか? それとも。
 わからない。でも、こうしていたかった。
 あの絵を目の前にしていれば、嫌でも宗哉を思い出さずにはいられない。それでも相手は昂貴だとわかっているから、私はまた混乱してしまう。下を向けば宗哉が見えるけれど、目を閉じたりのけぞったりすれば見えない。昂貴の姿は見えないけれど、部屋の明かりで彼の影が私の身体越しに落ちて、覆いかぶさっているぶん大きくなって、後ろからされていることを余計に実感する。こんな明るいの嫌だなんて、もう言えなくなっていた。デスクに爪を立てたら傷跡を残してしまいそうで、一生懸命端を握った。力を入れすぎて、指先から色が抜けていく。
「っあ……っふ、んああぁ……っ」 
 そっとスカートをまくり上げて、下着を除けて、腰から脇に逸れた指が、私の部分を探し当てる。もう充分に濡れそぼっていたと思う。彼は私の分泌液を指に絡ませて、ゆっくりと内部に進入してきた。痛みはない。ただ全身総毛だつような快感に占められるだけ。彼の器用すぎるくらい巧みな指使いに、二本挿れられていると気づいて顔が火照った。それより大きなものが入るわけだから、平気なのはあたりまえなんだけれど。
 そして机に突いていた腕を倒され、足を折ったまま机に突っ伏すようにさせられた。あの絵と、焦点が合うギリギリまで近づけられてしまう。まるで彼に接近しているかのように思えて、私はびくりとこわばった。顔が熱くなる。硬いデスクの上で腕や足が痛かったれど、いきなり指を挿れていたそこと前とを一緒に動かされて、すぐになにも考えられなくなった。なのに、もう達してしまうと思った瞬間、快感の波は頂点に届くかと思ったところで引かされていく。意図的に、強制的に。それを二度三度と繰り返されて、やっと気づいた。
 ――焦らされてるんだ。
 だけど、私をより深く感じさせるための焦らしかたじゃない。
 そう思った瞬間、彼が一体なにをしようとしているのかにまで気づいてしまう。とんでもない予感。言わされるんだ……とても言えないような恥ずかしいことを。感じたら駄目、彼の思う壺だわ。けれどそう思うほど、ますます解放されたくて切なくなる。どのぐらい喘がされたのだろう。もう息も絶え絶え。もう駄目。もう我慢できない。許して。お願い。そういう目で後ろを振り返ったら。
「あっち見てろよ」
 そっけない素振りで言い放つ声。冷たいだけじゃない、彼も冷静を装いつつ興奮しているとわかった。だけど、このままじゃ一体いつ解き放ってもらえるのかわかったものじゃない。あなただってしたいんでしょう? ねぇ違うの? してよ。してったら。心の中で必死に哀願して、でもそれで叶えられるはずもなくて、耐えて耐えて、もう限界だと思ったところで、私は必死で声を絞り出した。
「ね……っあ、ぉ願い……」
「黙ってろ。集中してろよ」
 その集中を頂点に達させないのはどこの誰よ……!?
 頼んでいるのに。必死で。普通の状況だって、私は人になにかを頼んだり頼ったりすることは滅多にない。だから余計に屈辱だった。どうして私はこのひとに敵わないんだろう? どうしてこのひとのすることに翻弄されるんだろう?
 どうして、歯を食いしばって声をたてまいとしないんだろう。声を聞かせろ、誰にも聞こえないからと言われただけで、素直に反応してる。私はそんな女だっただろうか? このひとが、私の想いを知ってるから? 忘れさせてやると言われたから?
 宗哉にされているのだと思いこんでいるから――?
 でもそんなこと、もう考えられない。ただもう解放されたくて、必死で私は頼むだけ。叶えてもらえないと薄々わかっていながら。
「……どうして……っなんで……っ」
 してくれないの。そう言おうとしたら。
「なに? なにか不満でも?」
 ちゃんと感じさせてやってるよな? とでも言いたげな声。だけど、こんなの違う。こんなの嫌。こんなの駄目。
「っあ……意地悪っ……」
 ……意地悪……意地悪意地悪意地悪うぅ……っ!
「意地悪だよ」
 ふっ、と笑って、彼は本当に冷たく言い放つ。
「『鬼』で『悪魔』だからな」
「っ……!」
 言質を取ってる。そんなところまで彼の余裕が見えて、悔しかった。されるがままになっている自分が。それに、だからって、こんなこと……!
「おまえがそう言ったんだよな?」
 酷い。こんなの酷い。あんまりよ。続けざまに絶頂に持っていかされるのだって辛いけど、絶頂のすぐそばまで持っていかされるのに、そこへは行けないなんて、こんなの耐えられない。もういや。そう思ったところで、彼はついに言った。
「ほら……どうして欲しい?」
 やっぱり……!
 言わせる気だったんだ。散々焦らして、恥ずかしいことを。
 耳元で囁かれている間もその指は絶えず動いてた。くちゃりくちゃりと卑猥な音が響く。身体はますます燃え上がっていくのに、決して達することはできない。どうして欲しいかなんて、決まってる。だけど。
「言えよ」
 やっぱり変態じゃないの!
 言えるわけないじゃないそんなこと……!
 だいたい、私が予測できる範囲内の言葉さえ言えないのに、昂貴の狙ってる言葉がそれを越えてたら、言えるわけない。でも、なんて言えばいいのと聞いてしまったら、絶対にものすごく恥ずかしい例を出されて強制されるに決まってる。そうしたら逃げられない。だいたいそんな言葉を聞きたくない。考えることさえ恥ずかしいのに。
「言わなかったらずっとこのままだぜ?」
「っきゃあぁっ!」
 ぐりっと深く抉(えぐ)られる。だけど決して、行きたいところには行けない。
 もう、許してよ。お願いだから。してほしいの。だけど言えない。だから、許してもらえない――いかせてもらえない。
 ただでさえ、宗哉にされているのか、それとも昂貴にされているのか、混乱してわけがわからなくなっているのに、こんなのってない……!
「っ……っああぁ……やぁ……」
 私は涙声になっていたらしい。零れてはいないけど、拒む代わりに頭を振ってたら、視界がどんどん滲んでいく。気づくと彼の動きは止まり、指も抜かれていた。
「……悪かった。泣かせるつもりじゃなかったんだ」
 初めてしたときだって、さんざん前戯で焦らされながらいかされたけど、こんな意地悪じゃなかった。……怖かった。すごく怖かった。震える自分自身の身体を抱きしめて、私は嗚咽を繰り返す。私、ひとまえで泣いたことなんて何年も記憶にないのに……そりゃあ、欠伸(あくび)で涙がぽろぽろ出るし、感動ものにはめっきり弱いし、涙腺が強いほうだとは思わないけど……このひとは何度私を泣かせれば気が済むんだろうか。まだ、たった二度しか逢っていないのに。お互いのことをよく知っているわけじゃない。だけど、研究のことといい、焦らされてる間といい、恨めしいほどプライドを引きずり落とされる。どうして?
「ごめん」
 こつん、と背中におでこが当たる感触がして、後ろから抱きしめられた。あんなに怖かったのに、まだ身体は火照ったままなのに、それだけでどうして私は安心なんかしてるのだろう。あんな酷いことされたのに。散々いじめられたのに。
 だけど向かい合って抱きしめてはくれない。
 そのことに急に寂しさが募って、悲しくなった。
「っ……こんなのやだ……嫌ぁ……」
 つい本音が出てしまう。こんな口調、今までしたことがあっただろうか。でも狙ってるわけでもなんでもない。自然に出るのはどうして?
「悪かったって。ちゃんとするから」
 な? って聞くみたいに、ぎゅっと抱きしめられる。
「……怖かった」
「うん」
「すごく怖かった」
「……うん」
 いっそう強く抱きしめて、離す。そして、少し私の身体を起こし、下着を膝まで下ろしてから、また私を倒すと、彼はそこを舌で舐めはじめた。なんでそんなことができるんだろう。これって普通なの? すぐそばには排泄器官があるっていうのに。そこでそんなところまで丸見えの体勢なんだと今更気づく。必死で身体を捩(ねじ)ったけれど、がっちり抑えられて動けない。しばらくすると、確実に私の快感を引き出していく彼の動きに、抵抗なんて一切できなくなってしまっていた。舌が中に進入してきても、私は言葉にならない声を上げ続けるだけ。でももう意地悪な感じじゃない。さんざんいじめられた上に中途半端なまま放っておかれて一度引いた波を、じっくりとまた起こしていく。ヴォリュームを上げるように念入りに、ゆっくりゆっくり高めていく。意地悪したぶんだけ今度は丁寧に。散々焦らされた私の身体は一気に頂点を目指して駆け上がる。
 やがて、彼は触れるのをやめて、少し離れた。封を切る音がして、準備してるんだ、と気づく。それを持っていたということは、やはりまた彼の思惑通りになってしまったんだろうか。だけどもう意地悪な昂貴じゃない。期待で背筋に快感が走り、唾液を飲み込む音が部屋に響いた。
「挿れるぞ……」
 片手で腰を支え、もう片方の手で襞を広げて、私のその部分に先端を押し当てて、彼は言った。
「っく……」
 入ってくる、その異物感。いつもと違う方向に硬いものが当たって、思わずのけぞった。ふたりの呻(うめ)き声が響く。私の身体の中に、ゆっくりと、彼自身が侵入してくる。全部入ったところで、彼は大きく息をついた。
「やっぱ、後ろからだとキツいな……おまえ締まり良すぎ」
「え……?」
「バックだと締まるタイプだろ」
「何それどういう……っああぁ!」
 いきなり最速で動かれて、私は気を失いそうになる。時折ギシギシと鳴っていただけのデスクが、盛大に軋みはじめる。
「こっち、だと……締まり……っが、良く、なる女……がいるって……」
「……っな、いきなり……ひぃん!」
 締まりって、それってまさか……。なんてこと言うのよ。
「っあ、そ、そんなの知らな……っあん!」
「こんな……っ詐欺だっ……!」
「……ど、ぅいう……っあ、ことよ……っあ……っやあぁ!」
「くっ……」
 答えてくれない。どうして? 私、何か駄目なの……?
「……っあ、普通以外は、俺が初めてか……っ」
 違う質問をされる。どうせ反応でわかってるんだろう、確認でしかなかった。返事も、頷くことさえできない。奥に当たる感触に、もう壊れそう。私の代わりに悲鳴を上げているかのように響くデスクの軋み。身体と身体がぶつかる音。それから粘液のぐちゃぐちゃと絡み合う音。部屋じゅうが淫靡(いんび)な香りに満ちていく。体液の匂いが充満し、ふたりの汗が交じり合う。頭がとろける。獣のようにただ腰を振りあって、あとはもう貪るばかりだった。
「やべ……も、持たね……っ!」
「っ、んあぁ……ぃ、やあぁっ……!」
 胎内に、熱いものが吐き出されるのがわかる。膜越しなのに。
 そして彼は処理もせずにそのまま倒れてきた。私を横倒しにしながら、のしかかるようにして後ろから抱きしめられる。その重みは決して不快なものではなくて、むしろ、激しい行為の後のけだるい心地よさを増した。恐怖も不安も消えていく。私たちは、重なり合う吐息が落ち着くまで、ずっとそのままでいた。
Line
To be continued.
2003.09.15.Mon.
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