最悪の巡り逢い
05.くちづけ
俺の部屋は大学に結構近くて、電車で四駅ほど離れたところにある。風澄も実家は都内だけれど、今は俺と同じ方向の学校から六駅離れたところ、つまり俺の最寄り駅から二駅先にひとり暮らしをしているんだそうだ。聞くところによると、その部屋は、彼女の両親が会社の近くで便利な場所にあるからと多忙な時のために購入したらしい。その後、社屋自体が移転することになり不要になったが、売却が面倒で放置されていたそうだ。そこで、もったいないし通学にも便利だからと彼女が使うことになったらしい。ラッキー、などと思ってしまって俺はまた自分はどこかおかしいと思う。それもこれも、風澄のせいだということはわかっているんだが、今までの俺の反応らしくないよな。
部屋に帰ると、その広さに風澄は驚いていた。今俺が住んでいるのは海外出張中の、例によって学者一家な親戚の家で、もともと、それなりに裕福な核家族用の部屋だからなんだが。向こうの大学に招聘(しょうへい)されたまま帰ってくる時期がさっぱり決まっていないものだから、管理も兼ねて格安で借りている。俺も実家は都内だから、状況は風澄と似ているな。
俺が自室兼寝室として使っている一番大きな部屋は本と資料だらけで、あとはベッドと机とパソコンがある程度だ。殺風景な部屋だと自分でも思う。それなりに服装に気を遣うほうだとはいえ、クローゼットより本棚のほうがずっと詰まっている物が多いくらいだから。部屋は余っているにしても、もともとは親戚の所有するマンションなので、あまり自分の範囲を広げるのもどうかと思い、生活の中心となるものがほとんどこの部屋に入っているからなんだが。
簡単に研究の話をしながら風澄と話す。思ったとおり、バロック時代の絵画の特徴である強烈な明暗のコントラストが好きなのだ、と言っていた。俺も聞きに行った、彼女が三年生の時の発表で扱ったのがルネサンスだったため、明暗法に興味を持ったのだという。だから、この画家を選んだ理由はよくわかる。バロック時代の巨匠だから。けれど、どうしてこの作品なんだろう。特に彼の代表作というわけでもないのに。なにげない気持ちでそのことを問うと、彼女は言葉を失った。
「……だって、彼は何枚も同じテーマの作品を描いているのよ? なにか特別な思い入れがあるんじゃないかって……」
しどろもどろに答える。歯切れのいい喋り方をする子なのに、わかりやすすぎる。つまり『アイツ関係』だ。イタリア人の画家だし、どんな関係あるんだろうと考えていたが、その絵を見て思い当たった。この程度なら、いるかもしれない。日本人でも。まぁ外国人って可能性もあるわけだが。丸顔に茶色い目と髪、細い身体。とりあえず、面長黒髪黒目で身長ばかり高くて筋肉質の俺とは似ても似つかない。
「好みなわけだ、こんな顔が」
「そんなわけじゃ……」
「はっきり言ってやろうか。あいつに似てるんだよな?」
風澄は固まった。どうしてこいつは、その男に関わることにばかり……!
それでわかった。あの研究に対する執着。もともと研究が好きなのだろうとは思っていたが、どうして異常なまでにこだわるのか、その疑問がやっと解けた。あれだけ酷いことをさんざん言った上にいきなり抱きしめるような、決して安全でないとわかっているであろう俺の部屋にのこのこ来てしまうくらいに、その男が好きなのか?
「おまえが研究に打ち込むのは、そんな理由かよ!」
本棚の、風澄のすぐ脇を殴る。あまりの怒りに自分でも驚くほどの大きい声が出た。研究者の誇りを問うていると風澄は思っただろう。だけど俺はわかっていた。これは完全なる嫉妬だと――。
「っ違うっ! ……もともと、この画家にしようとは思ってたの。それで、同じテーマの作品を描いていることが多いから、そのうちのどれかにしようと思って……だから画集を見ていたの。そうしたら」
その絵があったのだろう。
『彼』に、うりふたつの。
「よく考えたら、彼はイタリア人の血が八分の一だけど入っていたから……おかしくはないの。だけどあんまり驚いて……集中しなきゃいけないのにできなくて……だから」
「だから思い切ってこれを選んだって?」
「『この絵がただの絵だと思えるようになってやる』って……思ったのよ」
ぽつり、と呟いたかと思うと、彼女はいきなり叫んだ。
「だって三年も経ってるのよ!? 私だっておかしいと思うわよ! 忘れようと思って、ずっと逃げて、でも駄目だったから、今度は……立ち向かわなきゃって。いつまでたってもこのままなんて……そんなの……」
「確かに」
俺は冷酷に言い放つ。
「叶わなかった恋をいつまでも引きずり続けるなんてことをするのは、悲劇のヒロインを気取る馬鹿か、諦めの悪い子供のすることだな」
そうしたら、彼女は傷ついた目をしてこちらを見た。自分でもそんなことは充分わかっているという表情だった。少し俯いて、またぽつりと言葉を吐く。
「だって……忘れられないんだもの。何年経っても、頭から消えてくれない……」
俺は少し、風澄の想う男に興味を持った。それほどまでに想う男とは、どんな奴なんだろう。三年も、言い寄る男がいなかったはずはないだろうに、風澄が異常なほどの一途なのだろうか、それともその男がそうさせたのだろうか。
「そいつの名前、なんて言うんだ?」
「…………」
「言ってみろよ」
「……宗哉。……志藤 宗哉(しどう そうや)」
「どんなやつ?」
「…………」
二つ上で、四年前に知り合って、最後に逢ったのは三年前。もう東京には住んでいない、と風澄は言った。学校の奴かと聞いたら、違う、と答えた。彼は大学には行っていない、と。それにはさすがに驚いた。うちの大学は日本のトップクラスだけあって、特に女は自分より下の学歴の男なんか見向きもしないんじゃないかという思い込みがあったから。風澄は家だとか学歴だとか、そんなことに恵まれすぎてるからこそ、そこを無視できたのかもしれない。自分が何もかも持っているから。そんなものが人間の価値を決めるわけじゃないってことを、わかりすぎるほどわかっていて。それとも、自分にないものを持っているからこそ、そいつに惹かれたのだろうか?
「どこが好きだったんだ?」
「考え方とか……言動とか。性格も……見た目も、好きだった。別に外人好みとかじゃないんだけど、中性的な感じで。私も色素薄いから、そういうの理解しあえたし。それから……私を、血筋とか家柄とか学歴とか、そういうので、特別扱いしないところ……」
その声。その表情。
思い出しているのだろう。きっと、そいつと交わした会話とか、そんなものを。
見たこともない『宗哉』に、俺は猛烈に嫉妬した。だから彼女を無理矢理抱きしめて、口唇を奪った。激しく舌を絡ませ、彼女の中まで深く。そして抱きしめて、そのままベッドに倒れこむ。よく考えるととんでもない事態だ。彼女は抵抗するだろう、そう思ったが目を開けるとそこには潤んだ目をした風澄がいた。驚いて見つめていたら彼女はふっと気づいて、また表情を硬くして視線を逸らす。……あぁ、あいつじゃないからか……と俺は再び悲しい納得をする。そして、それ以上に嫉妬が渦巻いて、やりきれない気持ちになった。
だから……俺は言った。
「目を閉じて、あいつだと思えばいい」
「え……?」
「できないならこうしてやる」
「なにを……っ!」
クローゼットから古いネクタイを数本引っ張り出し、それを目元に重ねて、視界を覆う。後ろで結ぶと痛いだろうから間抜けだけれど上で結ぶ。それほど強く結んだわけではないけれど、確実に周りは見えなくなるはずだ。そして視力が失われたぶん、その他の感覚は研ぎ澄まされる。
「なにするのよ!」
「こうすれば俺の顔が見えないだろ。あいつだと……思えるだろ」
「そんな……」
顔を隠していても、途惑っているのがわかる。声で。そういうところは素直だ。
「できない。そんな酷いこと……」
――酷いこと――?
俺は真っ先に我が耳を疑い、そして意味を理解して妙に納得し、ほくそえんだ。なぜって、この台詞では風澄は自分が飢えているのだと自白したも同然だったから。拒絶するのではなく、俺に悪い、と言ったのだから。だから俺は大胆になった。
「あいつに抱かれたかったんだろ?」
びくっと身体を震わせただけで、風澄は何も言わなかった。ただ抑えられた嗚咽(おえつ)だけが部屋に響く。涙は見えなかったけど、ネクタイに染みているに違いない。口唇を噛んだせいだろう、わずかに血が滲(にじ)んでいる。俺は少し後悔して、そこにそっとくちづけてから触れるだけのキスをして――最初が無理矢理だったから、できるだけ優しくして――言った。
「酷いことを言った詫びと言っちゃなんだし、こんなことで許されるなんて思っちゃいないけど……身体くらいは満たしてやれるから」
好きだった男のことを思い出させられた後に、あんなに何度も抱きしめられて、激しいキスをされて、相当燃え上がっているはずだ。身体としては、さっさと快楽に溺れてしまいたいに決まってるだろう。それに、さっきの言葉で、どんなにその男を――『宗哉』を、風澄が求めていたのか、どれだけ欲しかったのかわかったから、俺はそこにつけこむことにした。
「だって……」
「それとも俺とはしたくないほど嫌い?」
囁(ささや)きかけた言葉に、風澄は本当に考えているようだった。黙って、反応しない。あぁそうか――この場合の沈黙は、否定だ。現実の許容だ。けれど一向に返事しない風澄が少し気になり、何か彼女の不安要素があるだろうかと探して、ひとつ思いあたったところで咄嗟(とっさ)に言った。
「あ、ちゃんと避妊はするし! そのへんいい加減な男ってわけじゃないから俺」
慌てて言い出した俺に、風澄はくすくすと笑い出した。目が見えないのが惜しいほど、それは打ち解けた笑いだった。目隠しをしてしまったことを俺はちょっと後悔したが、風澄は俺に抱かれたいわけじゃないし、今更取るわけにも……。
「うん……わかってる」
どういうことだろう、と俺は逆に考えた。こんな短時間で、しかもいじめるだけいじめまくっているのに、なにをわかったと言うのだろう。いくら風澄にどう言えばどう返ってくるかわかった上で会話しているとはいえ、俺のこと過大評価しすぎという気もする。もしかして意外と流されやすい奴ってことはないよなあ。いや、俺は本当に風澄を大事にするし、いい加減なことはしないけど。
そこで、途惑っているのは俺がしたいのかということかもしれないということに思い当たって、駄目押しに言う。
「俺は風澄を抱きたい。他の男を想っていてもいいから。……駄目か?」
きっと気づいていない。初めて名前を呼んだことなんて。
だけどそう言ったら、風澄はふっと微笑んで言った。
目は見えなかったけれど、確かに彼女は穏やかに笑った。
「…………して」
部屋に帰ると、その広さに風澄は驚いていた。今俺が住んでいるのは海外出張中の、例によって学者一家な親戚の家で、もともと、それなりに裕福な核家族用の部屋だからなんだが。向こうの大学に招聘(しょうへい)されたまま帰ってくる時期がさっぱり決まっていないものだから、管理も兼ねて格安で借りている。俺も実家は都内だから、状況は風澄と似ているな。
俺が自室兼寝室として使っている一番大きな部屋は本と資料だらけで、あとはベッドと机とパソコンがある程度だ。殺風景な部屋だと自分でも思う。それなりに服装に気を遣うほうだとはいえ、クローゼットより本棚のほうがずっと詰まっている物が多いくらいだから。部屋は余っているにしても、もともとは親戚の所有するマンションなので、あまり自分の範囲を広げるのもどうかと思い、生活の中心となるものがほとんどこの部屋に入っているからなんだが。
簡単に研究の話をしながら風澄と話す。思ったとおり、バロック時代の絵画の特徴である強烈な明暗のコントラストが好きなのだ、と言っていた。俺も聞きに行った、彼女が三年生の時の発表で扱ったのがルネサンスだったため、明暗法に興味を持ったのだという。だから、この画家を選んだ理由はよくわかる。バロック時代の巨匠だから。けれど、どうしてこの作品なんだろう。特に彼の代表作というわけでもないのに。なにげない気持ちでそのことを問うと、彼女は言葉を失った。
「……だって、彼は何枚も同じテーマの作品を描いているのよ? なにか特別な思い入れがあるんじゃないかって……」
しどろもどろに答える。歯切れのいい喋り方をする子なのに、わかりやすすぎる。つまり『アイツ関係』だ。イタリア人の画家だし、どんな関係あるんだろうと考えていたが、その絵を見て思い当たった。この程度なら、いるかもしれない。日本人でも。まぁ外国人って可能性もあるわけだが。丸顔に茶色い目と髪、細い身体。とりあえず、面長黒髪黒目で身長ばかり高くて筋肉質の俺とは似ても似つかない。
「好みなわけだ、こんな顔が」
「そんなわけじゃ……」
「はっきり言ってやろうか。あいつに似てるんだよな?」
風澄は固まった。どうしてこいつは、その男に関わることにばかり……!
それでわかった。あの研究に対する執着。もともと研究が好きなのだろうとは思っていたが、どうして異常なまでにこだわるのか、その疑問がやっと解けた。あれだけ酷いことをさんざん言った上にいきなり抱きしめるような、決して安全でないとわかっているであろう俺の部屋にのこのこ来てしまうくらいに、その男が好きなのか?
「おまえが研究に打ち込むのは、そんな理由かよ!」
本棚の、風澄のすぐ脇を殴る。あまりの怒りに自分でも驚くほどの大きい声が出た。研究者の誇りを問うていると風澄は思っただろう。だけど俺はわかっていた。これは完全なる嫉妬だと――。
「っ違うっ! ……もともと、この画家にしようとは思ってたの。それで、同じテーマの作品を描いていることが多いから、そのうちのどれかにしようと思って……だから画集を見ていたの。そうしたら」
その絵があったのだろう。
『彼』に、うりふたつの。
「よく考えたら、彼はイタリア人の血が八分の一だけど入っていたから……おかしくはないの。だけどあんまり驚いて……集中しなきゃいけないのにできなくて……だから」
「だから思い切ってこれを選んだって?」
「『この絵がただの絵だと思えるようになってやる』って……思ったのよ」
ぽつり、と呟いたかと思うと、彼女はいきなり叫んだ。
「だって三年も経ってるのよ!? 私だっておかしいと思うわよ! 忘れようと思って、ずっと逃げて、でも駄目だったから、今度は……立ち向かわなきゃって。いつまでたってもこのままなんて……そんなの……」
「確かに」
俺は冷酷に言い放つ。
「叶わなかった恋をいつまでも引きずり続けるなんてことをするのは、悲劇のヒロインを気取る馬鹿か、諦めの悪い子供のすることだな」
そうしたら、彼女は傷ついた目をしてこちらを見た。自分でもそんなことは充分わかっているという表情だった。少し俯いて、またぽつりと言葉を吐く。
「だって……忘れられないんだもの。何年経っても、頭から消えてくれない……」
俺は少し、風澄の想う男に興味を持った。それほどまでに想う男とは、どんな奴なんだろう。三年も、言い寄る男がいなかったはずはないだろうに、風澄が異常なほどの一途なのだろうか、それともその男がそうさせたのだろうか。
「そいつの名前、なんて言うんだ?」
「…………」
「言ってみろよ」
「……宗哉。……志藤 宗哉(しどう そうや)」
「どんなやつ?」
「…………」
二つ上で、四年前に知り合って、最後に逢ったのは三年前。もう東京には住んでいない、と風澄は言った。学校の奴かと聞いたら、違う、と答えた。彼は大学には行っていない、と。それにはさすがに驚いた。うちの大学は日本のトップクラスだけあって、特に女は自分より下の学歴の男なんか見向きもしないんじゃないかという思い込みがあったから。風澄は家だとか学歴だとか、そんなことに恵まれすぎてるからこそ、そこを無視できたのかもしれない。自分が何もかも持っているから。そんなものが人間の価値を決めるわけじゃないってことを、わかりすぎるほどわかっていて。それとも、自分にないものを持っているからこそ、そいつに惹かれたのだろうか?
「どこが好きだったんだ?」
「考え方とか……言動とか。性格も……見た目も、好きだった。別に外人好みとかじゃないんだけど、中性的な感じで。私も色素薄いから、そういうの理解しあえたし。それから……私を、血筋とか家柄とか学歴とか、そういうので、特別扱いしないところ……」
その声。その表情。
思い出しているのだろう。きっと、そいつと交わした会話とか、そんなものを。
見たこともない『宗哉』に、俺は猛烈に嫉妬した。だから彼女を無理矢理抱きしめて、口唇を奪った。激しく舌を絡ませ、彼女の中まで深く。そして抱きしめて、そのままベッドに倒れこむ。よく考えるととんでもない事態だ。彼女は抵抗するだろう、そう思ったが目を開けるとそこには潤んだ目をした風澄がいた。驚いて見つめていたら彼女はふっと気づいて、また表情を硬くして視線を逸らす。……あぁ、あいつじゃないからか……と俺は再び悲しい納得をする。そして、それ以上に嫉妬が渦巻いて、やりきれない気持ちになった。
だから……俺は言った。
「目を閉じて、あいつだと思えばいい」
「え……?」
「できないならこうしてやる」
「なにを……っ!」
クローゼットから古いネクタイを数本引っ張り出し、それを目元に重ねて、視界を覆う。後ろで結ぶと痛いだろうから間抜けだけれど上で結ぶ。それほど強く結んだわけではないけれど、確実に周りは見えなくなるはずだ。そして視力が失われたぶん、その他の感覚は研ぎ澄まされる。
「なにするのよ!」
「こうすれば俺の顔が見えないだろ。あいつだと……思えるだろ」
「そんな……」
顔を隠していても、途惑っているのがわかる。声で。そういうところは素直だ。
「できない。そんな酷いこと……」
――酷いこと――?
俺は真っ先に我が耳を疑い、そして意味を理解して妙に納得し、ほくそえんだ。なぜって、この台詞では風澄は自分が飢えているのだと自白したも同然だったから。拒絶するのではなく、俺に悪い、と言ったのだから。だから俺は大胆になった。
「あいつに抱かれたかったんだろ?」
びくっと身体を震わせただけで、風澄は何も言わなかった。ただ抑えられた嗚咽(おえつ)だけが部屋に響く。涙は見えなかったけど、ネクタイに染みているに違いない。口唇を噛んだせいだろう、わずかに血が滲(にじ)んでいる。俺は少し後悔して、そこにそっとくちづけてから触れるだけのキスをして――最初が無理矢理だったから、できるだけ優しくして――言った。
「酷いことを言った詫びと言っちゃなんだし、こんなことで許されるなんて思っちゃいないけど……身体くらいは満たしてやれるから」
好きだった男のことを思い出させられた後に、あんなに何度も抱きしめられて、激しいキスをされて、相当燃え上がっているはずだ。身体としては、さっさと快楽に溺れてしまいたいに決まってるだろう。それに、さっきの言葉で、どんなにその男を――『宗哉』を、風澄が求めていたのか、どれだけ欲しかったのかわかったから、俺はそこにつけこむことにした。
「だって……」
「それとも俺とはしたくないほど嫌い?」
囁(ささや)きかけた言葉に、風澄は本当に考えているようだった。黙って、反応しない。あぁそうか――この場合の沈黙は、否定だ。現実の許容だ。けれど一向に返事しない風澄が少し気になり、何か彼女の不安要素があるだろうかと探して、ひとつ思いあたったところで咄嗟(とっさ)に言った。
「あ、ちゃんと避妊はするし! そのへんいい加減な男ってわけじゃないから俺」
慌てて言い出した俺に、風澄はくすくすと笑い出した。目が見えないのが惜しいほど、それは打ち解けた笑いだった。目隠しをしてしまったことを俺はちょっと後悔したが、風澄は俺に抱かれたいわけじゃないし、今更取るわけにも……。
「うん……わかってる」
どういうことだろう、と俺は逆に考えた。こんな短時間で、しかもいじめるだけいじめまくっているのに、なにをわかったと言うのだろう。いくら風澄にどう言えばどう返ってくるかわかった上で会話しているとはいえ、俺のこと過大評価しすぎという気もする。もしかして意外と流されやすい奴ってことはないよなあ。いや、俺は本当に風澄を大事にするし、いい加減なことはしないけど。
そこで、途惑っているのは俺がしたいのかということかもしれないということに思い当たって、駄目押しに言う。
「俺は風澄を抱きたい。他の男を想っていてもいいから。……駄目か?」
きっと気づいていない。初めて名前を呼んだことなんて。
だけどそう言ったら、風澄はふっと微笑んで言った。
目は見えなかったけれど、確かに彼女は穏やかに笑った。
「…………して」
To be continued.
2003.09.11.Thu.
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