最悪の巡り逢い

04.抱擁


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 途惑うのは当然だろう。ほんの一時間ほど前まで会ったこともなかった(いや、本当はあるけどな)男に抱きしめられて。しかもこんなに強く。
「……っ、離して……っ」
 腕の中でかたかたと震え出す風澄。けれど、それを聞いてより強く密着させた。少し甘い髪の香りにくらくらする。すっぽりと包まれる身体。驚くほど柔らかい。細いとはいえ小柄どころか背も高いのに、そこには男と女の体格差が確かにあった。あの気の強さを思うとこの小ささが愛しく思えて、思わず俺は頭を撫でていた。
「……ゃ……めて……」
口ではそう言っていても、頭を撫で続けていたらしだいに力が抜けていって、抵抗は全くなくなった。どれだけそうしていただろう。いつしか風澄は俺に身体を預けたまま、そっと目を閉じていた。うっとりしていると思ったのは俺の希望、いや願望、むしろ妄想だろうが。
 風澄が充分に落ち着いて、俺も密着感に満足した頃、彼女が口を開いた。
「ど……して……?」
 ずっと黙っていたせいか歯切れが悪い。綺麗な声なのにもったいないな、と俺は場違いなことを考えた。
「さぁ?」
 思ったとおりのことを答えたら、風澄は余計混乱してしまったらしい。実を言うと俺もなんで抱きしめたのかよくわからない。三年間思い続けてキレたわけでもないし。だけど放っておけなかった。泣いていたわけじゃないけれど、泣かせるより酷いことを言ってしまったのだと気づいたから。そして風澄は、それだけ辛い思いをしてきたのだろうと。それをあんなふうに軽々しく言うべきじゃなかった。今更後悔しても遅いが。まぁそれで抱きしめることができたんだから、結果オーライか。……なんて考えていたことはとても言えないけれど。ちょっと俺は酷い奴かもしれない。
「さぁって……そんな、こんなこと……」
「こんなことって?」
 にやりと笑って聞き返すと、風澄は真っ赤になって黙り込んでしまった。幾らなんでも初めてってことはないだろうけど、突然の、そして予想外のことに途惑っているんだろう、随分と初々しい反応だ。そんなのも結構好みだったりする。的確に俺のツボを突くなぁと妙に感心してしまった。やっぱり俺は酷い奴かもしれない。
「じゃあ、どうしてだと思うんだ?」
「っ……わからないわよ……だから聞いてるんでしょう……」
 まったくだ。非常にロジカルだ。反論できない。だから俺はちょっと意地悪をした。もっと意地悪をした、と言うべきかもしれないが。
「違うか。どんな理由だったら良いんだ?」
「良いって……」
「嫌だったか?」
「…………」
 黙ったままの彼女を暫く眺めていたが、心の中では大喜びだった。即座に否定されると思っていたからな。心に他の男を住まわせているなら尚更。沈黙は肯定。さっき言ったとおりだ。どうやら、嘘をつけないタイプらしい。結構結構。
「当ててやろうか」
「……なにを?」
「お前の考えてたこと」
「え……?」
「なんでアイツじゃなくてこんな男なんだろうって思っただろう」
 と言ったら、風澄はもう目玉が飛び出んばかりに驚いた表情で言葉を失った。
「どうして……」
「どうしてもこうしてもない。見てればわかるだろ」
 絶句している。自覚がなかったんだろう。まぁ三年間もおまえだけ見てた俺だからわかったことだろうな。我ながらヤバいと思うけど。でも図星だったんだからなにも言えやしないだろう、風澄は。
「お前は他の男を想像してたよな?」
「っ、そんなこと……」
「でも本当に抱きしめられたいのはそいつだろう」
 そう言ったら彼女は口唇を噛み、手を握り締めて反論してきた。
「もう、わけわかんない! 初対面のくせになんでそんなこと言うの!? あなたにそんな権利ないじゃない、私のことなんて関係ないでしょう……!」
「違うよ」
「なにが!」
「俺とおまえは、初対面じゃないよ」
「は?」
「去年、おまえのゼミ発表で会ってる。まぁ、一度きりだったし憶えてないよな」
 それを耳にした風澄は少し考え込んで、はたと気づいたように聞き返した。
「……あのときの?」
「そうそう。君が内容を評価してもらえなくて悔しかった発表を聞いてました」
 と言った途端に手が飛んできた。抑えた手首を一瞥し、おいグーかよと思いつつ風澄を見やる。心底悔しそうだ。悪いけど、こちとら反射神経には自信があるんだ。
「どこからどこまで失礼なのよあんたは!」
「そうそう、その表情! やっと素直になったじゃないか」
「は?」
 今度は気の抜けたような顔になった。これは今まで見たことなかったな。ちょっといいものを見たかもしれない。
「おまえ作りすぎ。しかもバレバレ。そんなんじゃ、頑張りすぎて壊れるぜ」
「っ……」
「だからあれだけ良いものを持ってるのに生かしきれてないんだよ。面白かったし、エンターテイメントとしても楽しめるくらい話も上手い。今のままでも合格点には充分だけど、おまえの目指すものは、そんな程度じゃないだろ?」
 沈黙。これは肯定だな、どう考えても。そう思って俺は言葉を続ける。
「知ってるか? 夏目漱石は留学中に頑張りすぎて身体壊しておじゃんになったって。折角の機会に、おまえはそんなふうになりたいか?」
「…………なりたくない。私はちゃんと、この研究をやりたい」
「俺ならおまえにいい環境を与えてやれる。それだけのものを持ってる。テーマは違うけど、おまえと俺なら視点が違うから、お互いいい影響になるさ」
 そして俺はついに決定的な言葉を吐いた。さりげなく。
「ここじゃなにもないし、資料は全部家にあるから――俺んとこ来る?」
 別にここでもいいはずなのだ。資料はどんなものが必要かとか、そんなことを聞いておけば役には立てる。だからこんな誘いになんて普通の状況じゃ乗るはずがない。だけどどれだけ風澄があの発表に納得していなくて、今の研究に没頭しているのかも予想済みだった俺は、それを利用して風澄を仕向けて――こんな突拍子もない台詞に頷くだろうことも、わかっていた。
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To be continued.
2003.09.11.Thu.
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