Rosy Chain Another Story

02.The end of the Last Year


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 これは、ふたりが出逢う前のお話――。

 * * * * *

* Kasumi *
 年末になると、誰に強制されたわけでもなく、親戚や友人を始めとする周囲の人々に葉書でメッセージを綴るのが、この国のならわしだ。
 強制されていないというのは間違いかもしれない。こういった『時候の挨拶文化』というのは、ある意味で強制のように感じることもある。礼儀に限り無く近い暗黙の了解。でなければ押しつけ。正直、面倒だ。毎年、なぜこのような苦行を行なわなければならないのかと、頭の中で疑問を抱き理不尽さを感じながらも、欠かしたことがあるかと聞かれると――否、だったりする。
 私の目の前に重ねられている厚手の紙の枚数は、二十五枚。これは多いほうなのだろうか、それとも少ないほうなのだろうか。あるいは、至極平均的な枚数なのだろうか。リサーチや統計は知らないけれど、二十一歳の大学三年生ならば、この程度が普通なのではないかと私は思う。
 両親や兄ならば、とんでもない量の年賀葉書を早くから作るのだけれど、学生、しかもまず将来企業に関わることのない私では、この程度がせいぜいだ。家族は海外の知人にも挨拶をしなければならないから、クリスマスカードも相当大量になるけれど、年賀状はその比ではない。毎年、元旦には輪ゴムで括られた葉書の山がポストの主のような顔で鎮座している。私宛てのものは、せいぜい三十枚弱といったところだろう。しかも、大抵は元旦より三日のほうが届く枚数が多く、一部はこちらのマンションに届くこともある。
 しかし、それは年が明けてからの話。
 今はまだ、数日後を『来年』と呼ぶべき年である。

 そう、だから――変だ、と思うのだ。
 赤い文字で来年の西暦や元号が印刷されている年賀葉書を見たときに。
 そして、そこにメッセージを入れるときに。

 いつも、この時には違和感がある。受け取る側となれば、巡り来た新年を感じさせるものとなるのだけれど、自分で書く場合は別だ。
 『今年は大変お世話になりました』は、『旧年中は大変お世話になりました』。
 『来年もよろしくお願いいたします』は、『本年もよろしくお願いいたします』。
 決まりきった時候の挨拶。だけど、来たるべき年になってからの言葉に変換して、それを未だ年明けぬ時に書くのは、いつも慣れない。
 日付が変わってからなら、その違和感もある程度は軽減されるのかもしれない。その場合、届くのはだいぶ後になるが、今の時代ならば元旦に到着させることも可能だ。すなわち、インターネットを利用すれば良いのである。友人の間では、ネットのグリーティングカードサービスを利用したほうが面白かったりサービスが色々で楽しかったりするため、ほとんどが家のパソコンに届くことになる。まぁ、これに関しては旧年中に登録しておく場合が多いし、あくまでお遊びということで、年賀状も出す場合が多いのだけれど。携帯メールでも可能だが、大抵11時半を過ぎた頃には『しばらくお待ちください』というメッセージが表示されて、使えなくなってしまう。一年に一度、必ず携帯の画面に表示される文字だ。初めて携帯を使い始めた頃は、なにごとかと驚いたっけ。
 まぁ、どんなメディアでも良いのだろう。
 違和感があろうがなかろうが、大事なのは気持ちだと思う。
 季節や年を理由に、挨拶を交わすのは悪い習慣ではない。むしろ良い機会だろう。

「来年、か……」
 世紀の変わり目には二千年問題だなんだと騒がれたものだったけど、今となってはそんな話題はまるで耳に入らなくなった。その代わり、世界情勢だとか血生臭い事件だとか、ある意味ではもっと嫌なニュースが飛び交っている。安穏としていて良いものかと思わないわけではないけれど、それでも私の年末年始は至極平凡に過ぎていく。
 二十一世紀に入って、早や数年。
 あと数日で、そこにもう一年が加算されるのだ。

 去年の今ごろ、今年は『来年』だった。
 数日も経てば、『今年』も『去年』の仲間入りだ。
 かと言って、それでなにかが変わるわけでもない。学年も年齢も変わらない。二十一世紀になったからと言って生活が大幅に変わったりはしなかったのと同じ。今後、何年経とうと、新しい年の西暦の数字の頭に1がつくことがないというのは、確かだけれど。
 ただ、暦の数字が変わるだけのことなのに、どうして、『今年』と『来年』に、節目を感じてしまうのだろうか。

 来年――
 西暦で呟いてみると、違和感が増した。
 末尾の数字をひとつ減らすだけで馴染めるのに。
 元号で呟いてみたけれど、やはり違和感が増した。
 西洋のことを学んでいると、元号には疎くなるものだけれど。

 今年は、どんな年だっただろうか。
 去年とあまり変わりがなかった気がする。
 一昨々年と一昨年、そして一昨年と去年とでは、望むと望まざるとに関わらず、年末の感慨が全く違ったものだけれど、去年と今年では、大した変わりはない。
 せいぜい今年は研究者となる道を進むための第一歩を踏み出した程度だ。あくまで、研究者となる道を進むための第一歩目であって、研究者の道自体には遥か遠い。基礎の基礎でしかない。未熟なのはわかっている。だけど成長しているとも思う。確実に、自分の中に、確かな知識が根付いていく。それだけは、評価してもいいかもしれない。

 今年の私は、頑張っただろうか。
 そう思って、良いだろうか……?
 だめなところも、足りないところもたくさんあるけれど、それでも、自分を見捨てずに生きてきたことくらいは、認めてもいいんじゃないかと思う。
 忘れられないひとがいる。消えない想いがある。だけど、時が癒すものもある。
 痛みに慣れてきただけなのかもしれない。けれど、歩んできたことだけは事実だ。
 あのひとのいない人生に慣れたくなんかなかったのだけれど。

 そういえば、宗哉に年賀状を書いたことはなかったな。
 あけましておめでとうくらいなら言ったことがあるけれど、住所を知っていたわけじゃないし。知っていたとしても、書いたかどうかは謎だ。

 時候の挨拶さえも、言えたのは、たった一度だけだった。
 『去年』も『来年』も共有することのなかった、一年間だけの関わり。
 宗哉だけじゃない。あの頃の知人と、過ぎた時間に思いを馳せることは結局なかった。
 共に歩むことなどない。
 過ぎ行く時の中で、お互いに、通りすがりの人間でしかなかった。
 彼らは私の人生の一年間だけに刻まれ、私は彼らの人生の一年間だけに刻まれた。
 それだけの関係。

 ……あぁ、だめ。また考えてる。
 そう気づいた瞬間、他の考えを巡らすことにも慣れた。
 それで忘れられるわけではなくても、心が乱れることは少なくなった。

「さぁて、年賀状も書き上がったし、そろそろ家に帰るかな」
 一時間もかからない距離のせいか、別々に暮らしているとはいえ、帰ったり外で会う機会は比較的多い。そのせいか、あまり離れている気がしなくて、のんびりとこちらで過ごしてしまった。会社はお休みに入っているはずだし、そろそろ、火澄兄も戻ってきているかもしれない。久々に、家族五人が揃うことになる。
 年末年始やお盆などに帰省する習慣も、家族の揃う『機会』だと思えば楽しめるように、年賀状は面倒だけれど、『機会』だと思えば、それなりに良いものなのだろう。

 大きくもない荷物を抱え、片手にポストに投函する年賀状をひと束持って、ガスと戸締りを確認しながら、数日後に来る、次の年のことを考える。

 来年は、一体どんな年になるのだろうか。
 この年の西暦や元号が馴染む頃、私はなにをしているだろうか……。

「まぁ、受験に合格さえすれば、なんでもいいかな」
 あとは、平穏に暮らせればいい。
 心を乱すことなく、ただ勉学のことだけを考えられる一年ならいい。

 ――その時の私が願ったことは、せいぜいその程度だった。
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2003.12.27.Sat.
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