Dolce Vita

01.六週間


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* Kouki *
 八月の第四週の週末――学部の河原塚ゼミ中間発表日。
 つまり、風澄の卒論のプレゼンテーションの日である。
 教授の家で数日間にわたって行われる夏休み中の中間発表は、河原塚ゼミの恒例となっている、学部四年生のプレゼンの最後の機会だ。最終日の夜には、やはりこちらも恒例の、打ち上げという名の長き宴会がある。
 たいていの場合、進学希望のゼミ生は夏休み前に中間発表を終わらせておき、夏休み中に設けられた中間発表日は、就職活動を終えた学生や留学帰りの学生、あるいは二度目の中間発表を希望している学生のプレゼンの場となる。
 西洋美術史学に限らず、うちの大学の美学美術史学専攻において最も盛んな河原塚ゼミには、学部の三・四年生をあわせて約四十名が所属している。ゼミ生以外にも、希望したが運悪く入れなかった学生や、学部や学科や専攻が違う学生など、聴講している学生も加わるから、総勢約五十名といったところだろう。打ち上げにはゼミの先輩である院生や卒業生が何人か呼ばれるから、大所帯であることは間違いない。
 果たして、この人数が教授の家に集まれるのかと首を傾げるだろうが、まったくもって心配ない。でっかい家に住んでるんだな、これが。毎回プレゼンのために使われる離れの大部屋は、ちょっとした教室より広いくらいだ。五十人程度なら簡単に収容してしまう。
 ちなみに、風澄の発表は日曜日の最後。すなわち、大トリである。夏休み中のプレゼンを選んだのは風澄自身だが、順番については、風澄に期待しているであろう教授の作為が働いているんじゃないかと、あのおっさんをよく知っている俺は推測する。たぶん当たらずとも遠からず。彼女の発表なら、学部四年生の締めに相応しいだろうから。だいたい、さっきも言ったように、本当なら進学を希望している学生は就職活動をしないぶん早めに発表を終わらせておくものなのに、これだけ延ばしているんだから。まぁ、普通は三年生の時と同じ研究を続けるところを、風澄は違うことをやってるしな。

 俺はと言えば、まずは秋の美学会の研究発表の準備、それから博士論文3本だが、蓄積があるのでほとんど終わっている。風澄に影響されて見直しをしたり、資料を洗いなおしたりはしているけど、さすがに慣れてるし、おおまかなところが固まっているぶん、それほど大変な作業じゃないからな。だから、これ幸いと風澄の発表の面倒を見ていたりする。そもそもはそれが俺たちの関係の目的だったわけだし。それを理由に毎日お互いの家に入り浸って、あっちこっちでいちゃつきまくっていることも勿論だが。……いちゃつきまくるってなんなんだよ俺。でも、そのまんまなんだよな……。

 プレゼン――つまり発表には、幾つか準備しなければならないことがある。
 まず、スライド。俺たちのように美術史学を専攻している場合は、作品の写真をスライドにして持っていかなければならない。作品が見られなきゃ始まらないからな。研究対象として扱っている作品だけでなく、参照として挙げる作品であろうと、手に入る画像系の資料は全てスライドにする。この時代、たいていのプレゼンはパソコンで用意するもんだろうが、美術史学は未だにスライド式。いずれ変わるんだろうけど、スライドのほうが綺麗だし、なんか好きだ。発表のためだけでなく、気に入っている作品はほとんどスライドにして持っているし、複数の資料に掲載されている作品なんかは、あらかじめスライドを作っておき、その発表に相応しいものを持っていくようにしている(もちろん、できるだけ実物に近いほうが良いが、細かい部分がしっかり映っていて説明しやすいなど、いろいろなパターンがあるからだ。また、修復前と修復後など、同じ作品でも全く違うものとなっている場合もある)。ゆえに、初めてプレゼンをしてから六年以上になる俺の所蔵スライドは、とんでもなく大量である。
 スライドを作るには、まず、接写レンズをつけた一眼レフカメラに、スライド用のポジフィルム(リバーサルフィルムとも言う)を入れ、接写台にセットして、資料を撮影する。ここで使うカメラは、もちろん銀塩。とは言っても、これで通じる人間がどのくらい居ることやら。要するに、デジタルでない、ごく普通のカメラのことだ。かつてカメラと言えば当然の如く銀塩を指したが、今やデジカメを想像する奴のほうが多いかもしれない。アナログカメラと呼ぶ奴も居るが、いかにもデジカメと対比するために付けられた名称という印象がある所為か、あまり一般的な言葉ではないように思う。フィルム式カメラと呼ばれることもあるが、銀塩以外にもフィルム式のカメラは幾らでもある。かと言って、銀塩カメラという名称も、相応しいとは言い難かったりするんだが。そもそも、銀塩というのは、かつて銀の化合物をフィルムの感光剤として使用していたことから由来した名称だから、銀塩フィルムならばともかく、銀塩カメラという名称は正確ではないだろう。しかし、言葉の由来と実際の意味とが違うことなんて幾らでもあるし、カメラが好きな奴だとか、デジカメと使い分けている奴の場合、銀塩と呼ぶことが多いのは事実だ。なので、デジカメと使い分けている俺も、銀塩カメラと呼んでいる。銀塩の場合、写真はネガとポジでできていて、フィルムはネガであり、それに光を当てて印画紙に焼き付けないと撮影されたそのままの状態にはならないわけだが、ポジフィルムは撮影されたそのままの状態がフィルムになる(もちろん紙にも焼けるけど、ネガフィルムより高くつく)。ネガフィルムは焼かないと写真として完成しないが、ポジフィルムは現像した時点で完成するとも言えるな。雑誌のカラー写真なんかも大抵ポジフィルムで撮っているんだそうだ。まぁ、今やデジタルの出番も多くなっているんだろうけど。で、そのフィルムに、一枚一枚マウントという枠をつけてスライドプロジェクター(スライドの投影機と言ったほうがわかりやすいかもしれない)にセットし、光を通して拡大して、作品を聴衆に見せるわけだ。普通、ラボにポジフィルムを出せばマウントをつけて渡してくれるが、余計な金がかかるし、自分でやったほうがいろいろと便利なので、俺は別にしてもらい、確認作業をしながら自分でつける。マウントには文字を書けるので、画家名、作品名、所蔵館などのデータを書き込み、出典も一緒に記入しておく。枠のつけかたや書き込む箇所を統一しておけば、セットする時に逆版にしてしまう心配もない(わざと逆版にして見せる場合もあるが、その時はスライドを裏返しにすれば良いだけの話だ)。OHPなんかは学校でもよく使うけれど、スライドなんてフィルムすら見たことのない奴も多いだろう。でも、美術史学を専攻する人間にとっては別。スライドプロジェクターを二つ三つ使うことも多い。作品を比較しながら進行できるからだ。カメラ付き携帯の普及で写真が身近になったこともあり、簡単そうに思うだろうが、スライド作りは意外と曲者。慣れるまではなかなか綺麗に撮れないし、失敗することも多々あるので、余裕のあるうちにやっておくことが大切だ。ネガフィルムと違って、ポジフィルムは修正がきかないからな。研究室に置いてある備品のカメラも、図書館の大型本コーナーに置いてある接写台も、古すぎてガタが来ているし、今や銀塩カメラに触ったことのない奴も多いから。
 俺はもともと写真を撮るのが好きなほうなので、銀塩でもデジタルでも扱えるのだが、なにより、うちの実家の隣に住んでいる父子――遥香の弟と、その父親だ――が、かなりの写真好きだったから、カメラの扱い方や撮るコツを教わったり、スライドチェックが簡単にできるからとライトテーブルを借りに行ったりしたもんだ。今は親戚に古くなったものを譲ってもらったけどな。
 また、意外に思う奴も居るかもしれないが、絵画と写真には、実は深い関わりがある。当然と言えば当然なのだが、現在は写真が担っている記録としての役割は、かつて絵画が負っていた。神話や宗教を主題とした作品ばかりじゃない。世俗画だってたくさんあるし、寓意画や風景画や静物画や、他にもいろいろなジャンルがある。記録としての役割で言うなら、重要な式典の様子などを描いた絵画や、今で言う記念写真や集合写真のような絵画も多く残っている。そして、現在のカメラという言葉の語源であり、そのシステムのおおもととも言える『カーメラ・オブスクーラ(camera obscura)』は、美術史学を学んだ奴なら誰でも一度は教わるものだろう。ラテン語で、cameraが箱あるいは部屋、obscuraは暗い、すなわち『暗い部屋』や『暗箱』という意味である。簡単に説明すると――壁で囲まれた六面体状の部屋があるとする。この壁のひとつに穴を穿つと、室内の他の壁に、穴の外の風景が映し出される――この原理を利用した投影装置がカーメラ・オブスクーラなのだ。本来の用途は、遠近法の一種のために、画家がスケッチなどに利用した道具のひとつである。
 もちろん、絵画が写真に取って代わったとか、良し悪しだのなんだので比較するとか、そんな野暮な話がしたいわけじゃない。絵画は絵画、写真は写真。別に矛盾するものでもなんでもないからな。少なくとも、俺は両方とも好きだ。ただ、俺や風澄が専門としている画家の作品のような自然主義(ナチュラリズム)や写実主義(レアリスム)の絵画の企画展なんかだと、鑑賞者の中には「写真のようだ」という表現をする奴が結構居る。そんな言葉を耳にするたびに、それは違うだろうと言いたくなってしまうのは、致し方のないことだと思うんだが。

 発表の話に戻ると、もうひとつ、大事なのはレジュメ。発表の梗概やら資料やら、なにを載せるもそいつの裁量しだいだが、レジュメのつまらない発表はたいていやる気がなく、面白くない。沽券(こけん)にかかわる問題だ。いかにわかりやすくきちんと意図を伝えられるか。その半分はレジュメが背負っている。
 美術史学の発表におけるレジュメに記載する基本事項は、発表のテーマと流れ、画家のデータ、作品のデータだろう。あまりに枚数が少ないと味気ないし、長ければ良いというものでもない。前者はもちろんだが、後者の場合、詳細に書きすぎてレジュメを読むだけのプレゼンになってしまうこともある。また、プレゼンのテーマが複数の作品の比較である場合、よっぽど有名な作品でない限り、聴衆は区別がつかなくなってしまう可能性がある。大きな違いがあればともかく、構図や色がほとんど同じ場合もあるからな。スライドは当然だが、たとえモノクロであっても、レジュメの中に主要な作品を掲載しておいたほうが解りやすいだろう。また、本論に関係なくともレジュメに簡単な年表は掲載しておきたいところだし、なにはともあれ、バランスが大事ということだ。

 そして、やはり口頭説明の準備。これは簡単な原稿を作っておき、発表の前に自分で簡単なリハーサルをしておくと良い。プレゼンは持ち時間が限られているからだ。しかし、この説明も、詳細に作りすぎると、ただ読むだけのプレゼンになってしまい、聴衆が置いていかれてしまうこともある。その場の雰囲気によって重要事項を繰り返したり、説明を付け加えたりと、反応を窺いつつ柔軟な対応ができるくらいになれば上出来だろう。もちろん、これは、充分な知識と綿密な思考と明確な趣旨が前提となって初めて可能となることである。まぁ、もともと、スライドを大量に使う美術史学の発表は、たとえ口頭説明とスライドの転換について完全に文章化しておいたとしても、自分以外の人間には容易にできるものではないんだが。普段の授業では助手がスライドを担当することが多い。これも、授業の内容や現在の話の流れ、作品についての知識が頭に入っていないと、なかなかスムーズには進行できない。説明をしている時に対象となるスライドが映されていなければ意味が無いのだから。俺は人手が足りない時などに助手の代わりを務めたことが何度もあるが(そのおかげで、二年生の時の風澄の授業中の姿を見ることができたこともあった)、自分の専門であるイタリア・バロック時代はともかく、研究対象として選んだことのない地域や時代、まして日本美術史学や東洋美術史学となると、さすがに進行が不安になったものだった。
 また、プレゼンの後には必ず聴衆からの質問の時間が設けられているので、あらかじめ予想される質問を想定し、その答えを考えておくことも大事だ。まだ風澄は学部生だから、それほど難しい質問をされることはないだろうけど、たまに痛いところ突いてくる奴も居るからなぁ。それは嫌味には限らず、どちらかと言えば親切や興味から発するものなんだが(当然ながら例外も居るけど)、質問者の意図がどうあれ、答えられないのでは情けないだろう。まぁ、同期程度じゃ、そうそう風澄に比肩する者は居ないだろうし、なんと言っても俺がついているのだから、この点は全く心配していない。
 自分の学部時代はと言えば、細かい突っ込みは当然ながら俺の役割。時々は萩屋もだったが。でもさ、そういう質問って、全く面白くない発表だったら絶対しないよな。それに、俺はできる限り質問して欲しいし、したほうがいいと思う。お互いのために。まぁ、ぶっちゃけた話『かかって来やがれ』なんだけどな。

 そんなわけで――風澄はどっちのマンションに居ようが大抵パソコンの画面かプリントアウトされた紙を睨んでいる。レジュメの原稿と発表の原稿だ。
 集中している風澄の雰囲気は、どこまでも研ぎ澄まされている。その名以上に。
 真面目な表情。丹念に読み返し、創意工夫を怠らない努力。
 今や見慣れているはずの俺でも、思わず見惚れてしまうほどの稀有な美貌の中に、大きな決意と、それ以上の興味を抱いて、研究に没頭する彼女。
 眺めているだけで楽しいし、嬉しく思う。この道を先に歩む者としては微笑ましく、頼もしい。そして、気を引き締め、自分自身の研究への気持ちを新たにする。

 ところで、風澄は機械に強い。今時の女の子にしても。俺も好きだけど、なんというか、風澄は機械に対する勘がいい。初めて触った機械でも、あれよあれよという間に使いこなしてしまう。しかもマニュアルを読むのが苦にならないので更に上手くなる。パソコンのタイピングなんて、風澄より正確で速い奴を見たことがない。俺も結構速いほうだと思ってたけど、風澄は段違いだ。物心ついた頃、半角の英数とカナしか打てなかった時代のものから触ってるっていうんだから驚くよなぁ。タイプライターやワープロどころの話じゃないんだから。まぁ、どちらにしろ、今や想像できないことだろうが。しかし、なんでそんなものが家にあったのかと聞いたら、傘下だか出資企業だかが作ってたからだとか。
 そして、風澄は文章を書くのも得意だ。これまでに書いたレポートを見せてもらった時、参考文献の数にも驚いたが、なにより、とてもわかりやすかった。美術史学のレポートはもちろんのこと、これまでに俺が履修したことのない授業のレポートでも、すごく理解しやすかったし、興味を持てた。しかも、ただ書いて印刷するのではなく、読み手を考慮し、きちんと読みやすさまで考えて作っているのだ。去年の発表のレジュメも、中身はもちろんだが、とても丁寧に、わかりやすく作られていた。実は、聞きに行った時に配られたものを大切に取ってあるのだが、今でも、その完成度に感服せずにはいられない。きっと論文だってお手の物だろう。
 だいたい、風澄が苦手なことなんて語学くらいしか俺は知らない。俺を器用だと言う理由がわからないほど、風澄はなんでもできる。と言うか、飲み込みは普通か、人より多少早いくらいであっても、いったん理解すると応用が早い。去年の秋に聞いた発表も非常に興味深く、説明の順序が的確で、話の展開が面白くて、しかも聞き手のつかみが上手かった。どんどん惹き込まれていくんだ。いつの間にか夢中で聞いてしまったっけ。あのとき、正直俺は関心したけど、その後すごく口惜しかったんだよな。学部生に負けた気がして。内容は未熟だけど、素質が段違いなんだ。
 風澄には、常に大きな影響を与えられている。もちろん、今までだって努力してきたし、彼女の発表を聞いてからは、あらためて自分の研究と言うものを省みたけれど、その頃とは大違いだ。なにより、風澄が俺のそばにいるんだから。

 杉野と萩屋の一件以来、俺たちの関係は変わった。いろいろとちょっかいを出されたのは鬱陶しかったが、そのおかげで、お互いの気持ちを確認し合えたから。別に『恋人同士』ってことになったわけじゃないし、関係は相変わらずだけど、お互いがお互いにとって必要な存在だということは認識している。周りに知らしめる気はないにしても、親しい人間になら俺たちの仲を知られてもいいと思うようになった。
 風澄が穏やかに笑う。それが、俺の幸せになる。
 彼女もそうだといい。きっとそうだろう。
 今はその自信があった。『彼氏』じゃなくても。
 ……まだ、風澄は"Ti amo."の意味には気づいていないようだったけれど。

 初めて知り合った日から、既に六週間が過ぎようとしていた。
 あれからセックスばかりしていたわけもなく(もちろんしてたが)、かなりの密度の研究が進んでいた。やはりスライドには苦戦していたようだが、二、三アドバイスをしたうえで俺のカメラを使わせたら、非常に綺麗なものが仕上がった。機械自体には強いんだが、さっきも言ったとおり、備品のやつは古かったしな。風澄は最新機種のほうが強いから。
 そして、今はもう大詰めに入っている。
 風澄の中間発表まで、あと一週間を切っていた。

 * * * * *

「……っ……あぁ……こぉきいぃ……」
「風澄……」
 夏休みに入ってからというもの、なんだかんだ言って、していない日はほとんどない。せいぜい盆に帰省したときくらいだが、これは正しくは『できなかった』だろう。再会した日の夜は、本当に三日ぶん(実質は二日半だが)を取り戻す勢いでした。けれど、帰省する前に言ったように、風澄を壊してしまうどころか、俺が風澄に壊されそうなほどだった。風澄も欲しいと思っていてくれたんだと知って、心から嬉しくて、また求めて。その繰り返し。離れていた間のできごとを話しながら、ふたりでずっとくっついて過ごしたっけ。最近は、俺が求めて風澄が受け容れれば、朝からでも始めてしまう。そして、俺が求めないことも、風澄に拒まれることも、まずない。
 もう何度こんなふうにしただろう。
 いい加減飽きてもいい頃なんだが、全くその気配はない。三年間買っていなかった避妊具の消費量は異常なくらい増えた。常に買い置きがある状態。実は、最初のときに使ったのって、三年前の残りだったんだよな……。避妊具には消費期限がある。知らない奴も多いけど、ちゃんと印刷されてるんだな、これが。でも、ギリギリだった気がする。風澄に生理きてたし、そういう意味では平気だったが、なんとなく申し訳ないなぁ。だけど、あの時残ってて本っ当に良かった。うん。
 美人は三日で飽きるという。嘘だろう。少なくとも俺にとっては。風澄は飽きない。それどころか、遠くから想っていた日々よりも、今のほうがずっと強く惹かれている気がする。いつだってものすごく好きだと思うのだけれど、知れば知るほどその魅力にとりつかれていく。際限なく、想いが高まっていく。限界など知らないかのように。
 手に入ったら飽きるんじゃないか。そう思っていた日々が懐かしい。
 そりゃあ俺は風澄の恋人ってわけじゃないけど、風澄は俺を受け容れてくれる。心も身体も。それとも、やはり恋人でないから惹かれ続けているのだろうか? 俺のものだと宣言できないから? ……違う気がする。だいたい、別に周囲にそう思われたって俺たちは構わないんだ。
 風澄は『宗哉』を忘れてはいないと思う。だけど考えずにいられる時間は格段に長くなっただろう。知り合った頃、あの作品――彼女の卒論のテーマである、『宗哉』に似ているという《洗礼者聖ヨハネ》――を眺めるのは、とても辛そうだった。けれど、俺が散々慣らしたので、しだいにあれは『ただの絵』だと思えるようになってきたんじゃないかと思う。研究対象として見れば見るほど、慣れてきたようだった。知り合った頃とは、作業中の表情がまるで違うから。それに、そうでなければ、あんなふうに研究に打ち込むことはできないから。そして、あんなふうに俺に抱かれることはできないだろうから。
 そういうふうにできたのは、俺の力だと思っていいだろうか。
 行為の最中、俺が避妊具を装着するために離れるのを嫌がる。俺だってくっついたままでいたいけど、だからと言って避妊しないわけにはいかない。どう引き止められても身体を離すのだが、準備を済ませて再び覆い被さる俺に腕を絡ませて、しっかりと抱きついてくる。もう離さないでねとでも言うように。見つめれば視線を返してくれる。口唇を重ねれば応えてくれる。笑ってくれる。抱いている俺の身体を抱きしめ返して、触れてくれる。俺の腕に幸せそうに甘えて。あれだけ乱れるくせにまだ恥ずかしがる。そして、その姿からは想像できないほどの、普段の凛々しさと賢さと清涼さ。その二面性。
 愛しかった。
「やぁ……あん……もぉだめえぇ……もぉ……あぁん!」
 甘えきった感じ声。普段の彼女からは想像できないほど舌足らずな喋りかた。
「っ……んっ、んんっ……!」
 首を振って、眉を歪めて。すすり泣くように鼻にかかる声。
「……だめぇ……もぉイっちゃうぅ……」
 絶え間なく喘ぎながら、全身を小刻みに震わせて。
「ふぁ、ああぁあん……あ、あぁ……!」
 そのときの、叫び声も。
 なにもかもが、愛しいと思った。
Line
To be continued.
2007.12.28.Fri.
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